Works 185号 特集 ニッポンの“課長”の処方箋

産業医が見た「部下をこわがる」管理職

2024年09月11日

この数年、社内ホットラインに寄せられる悩みに大きな変化があるという。
メンタルヘルス対策の最前線で何が起こっているのか。30社超の企業で産業医を務める大室正志氏に聞く。


ここ5年ほどで、「部下がこわい」という中間管理職からの相談が増えています。

あるとき強い言葉が口をついて出てしまい、部下は社内ホットラインに駆け込む。パワハラと認定されないまでも、よかれと思って指導し、ハラスメントにもならないようにと重ねてきた努力と我慢が限界を超え、メンタル不調や休職に追い込まれるケースです。かつては「あの上司のもとでは働けない」と訴える部下が多かったのですが、最近では「あの部下とは働けない」という上司の配置換えも珍しくありません。

背景には、いくつかの環境変化があります。1つは組織構造の変化です。年功序列型の組織では、入社時に厳しく指導され、年次を重ねるにつれ優遇されるモデルが一般的でしたが、今はそのモデルも崩れました。新入社員には優しく・管理職には厳しくという逆転現象も起きています。

新入社員への指導を中間管理職に一任する経営者も増えています。「富士山に登るぞ」という号令に、一生懸命リサーチして山梨県側の吉田ルートで登頂計画を進めていると、「やっぱり静岡県側の富士宮ルートだ」と経営者が言い出す。大目標には変わりはないものの、経営者は天候などさまざまな条件を勘案してルート変更を決定する。そこに細かな説明はないのです。急な変更に部下から突き上げを食らうのは中間管理職で、部下に対して丁寧な説明を補足する必要があります。外部環境の変化が速くなるにつれ、経営の意思決定はコロコロ変わっていきます。

さらに360度評価やエンゲージメントサーベイ、ホットラインなどを通じて、部下からの評価が可視化されやすくなりました。上からは丸投げされ、下からは突き上げられる。昇進時に報酬が大幅に引き上げられるならまだしも、多くの場合、負荷ばかりが増えて手取りは変わりません。「もうやっていられない」。こんな悲鳴が上がるのも無理からぬことです。

多様な相手に向き合う
負荷を一手に引き受ける

しかし残念ながら、中間管理職の疲弊を経営課題として捉える企業はごくわずかです。そもそも管理職は人数が少ないために、部下のメンタル不調に比べて注目されづらい。「中間管理職はもはや“無理ゲー”」という認知の拡大が望まれます。

パワハラは論外ですが、双方が真摯に取り組んでいるにもかかわらず、小さな掛け違いによって疲弊するケースもあります。同質性の高い組織では、コミュニケーションコストは相対的に低い。リクルーター制は最たるもので、同じ大学・体育会出身者ばかりなら阿吽の呼吸も通じます。しかし多様性を掲げている以上、背景の異なる相手に丁寧にコミュニケーションする必要があり、その負荷を中間管理職が一手に引き受けているのが現状です。

この場合、自社の社風を明確に打ち出すことも有効です。戦略コンサルティング会社で論理の綻びを詰められても納得する人が多いのは、会社の価値観が明確に共有されているためです。

私が勤めていたジョンソン・エンド・ジョンソンでは、クレド(信条)と呼ばれる価値観が明文化されており、社内摩擦の軽減にも役立っていました。スピードを重視するのか、挑戦を尊ぶのか。企業文化や価値観が明文化され、評価基準が共有されている組織は、結果としてコミュニケーションコストが下がり、上司・部下双方の心理的安全性を担保することにつながっています。

Text=渡辺裕子 Photo=大室氏提供

大室正志氏

大室産業医事務所
代表

産業医科大学医学部医学科卒業。ジョンソン・エンド・ジョンソン統括産業医、医療法人社団同友会産業医室を経て現職。社会医学系専門医・指導医。