Works 188号 特集 インドの人材力
インドからの留学生受け入れ加速させる東京大学。グローバル化の試金石に
東京大学は2012年にインド事務所を立ち上げ、日本へのインド人留学生受け入れを促進してきた。アカデミアの視点で見たインド人材の可能性はどうか。東京大学理事・副学長で、インド事務所長も務める林香里氏に聞いた。
2024年10月、インドのデリーで開催された「第三回日印大学等フォーラム」。日印大学の学長などが出席した。
東京大学は2012年にインド事務所を開所し、2024年には文部科学省の「日本留学促進のための海外ネットワーク機能強化事業」で、「最重点国」のインドを含めた南西アジア地域の事業に採択されました。私は2024年には10月と11月にインドを訪問し、高等教育機関の連携についてインドの大学関係者と協議し、現地の高校でも日本の大学の魅力について説明してきました。
現地で感じたのは、インドの人々はとても教育熱心だということです。理工系における最難関大学のインド工科大学(IIT)に入学するためには、非常に高い倍率を突破しなければならず、学生はトップ中のトップの存在です。14億人あまりの人口の約半数が25歳未満。教育セクターにおけるインドのポテンシャルは大きいと受け止めています。
学生が日本に抱く印象は、アジア地域としての親近感やアニメの人気も相まってとてもよいと感じます。その一方で、日本の大学の存在感は薄く、高等教育の留学先としてのイメージが形成されていません。何とかそこを脱却したいと奮闘しています。
英語プログラムもロールモデルも 少ない日本の大学、課題は山積
日本の大学の存在感が薄いのにはさまざまな理由があります。第1には、特に大学学部レベルでの英語のみで学位が取得できるプログラムが少なく、留学先の選択肢が限られていることです。
これまで日本の高等教育機関への留学生といえば、中国や韓国など漢字文化圏の学生が多く、主に日本語で学ぶことを前提とする学生が中心。中国からの高等教育機関への留学生が約8.7万人に対して、インドからは1600人ほどしかいません。日本の高等教育が本当にグローバル化を目指すのなら、「日本語で生活できる人だけ来てください」ではダメで、高等教育の真のグローバル化のあり方を改革する必要があります。何より、これからの社会では、日本人だけで完結しない、国際的な環境での学びは必須です。
教員側の変革も必要です。韓国のトップ校には、欧米で学位を取得して帰国した教員が多いのに対して、日本の大学教員は日本国内の大学を卒業後、国内の大学院に進んだ人も多い。これまでは日本の人口規模がそれなりに大きかったため、日本人学生を相手に日本語で授業をするだけでもよかったと思いますが、少子化が進むなか、それでは大学経営も厳しくなります。私は、インドからの留学受け入れが進むかどうかは、大学が生き残れるかどうかの今後を占う試金石になると考えています。高等教育のグローバル化は、待ったなしなのです。
日本が留学先になりづらいのは、インドからの移民が少ないことも関係しています。親からすれば、知らない国に我が子を送り出すのは不安なもの。アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアにはインド移民が多く住んでおり、コミュニティがあることから留学先に頼れる親戚がいたり、友人・知人のネットワークもあったりしますが、日本にはそれが十分にない。Googleの社長がインド出身であることに代表されるように、留学先にロールモデルがいるかどうかも重要です。日本にはそういうロールモデルも非常に少ない。生活面でも、ベジタリアンフードの種類も食べられる場所も限られているなど、課題は山積みです。
日本企業のインド人材受け入れには 複数の給与体系など制度整備が必要
一方で、日本は欧米よりも大学の授業料や生活コストが安く、比較的安全であるというアピールポイントがあります。そうした特徴がありながら、世界トップクラスの科学者が活躍している。特に、安全面は女性の学生の受け入れに際してプラスに働くと考え、積極的に伝えています。
女性の受け入れは、東京大学にとってもメリットがあります。定期的に学生交流をしているバングラデシュのアジア女性大学からロヒンギャ難民の女性の学生が来たときには、この学生が積極的に手を挙げてはきはきと発言する姿に、東大の学生は圧倒されていました。東大には、学部の女性の学生の割合が約2割にとどまり、かつなかなか増えないという課題があります。留学生の女性が増えることは大学に活力を与え、ダイバーシティの観点からもありがたいことです。
そのためにも、これまでインドからの留学受け入れ先として中心だった工学や理学に加えて、受け入れ先の幅も広げたいと考えています。今、法学や経済といった社会科学に強いインドの私学トップ校とも国際交流協定を結び、学生や教員を派遣する事業を計画しています。国連の元職員や環境政策を専門とする教員が顔の見える形でインドの学生にレクチャーすることで、「日本にこんな研究者がいるのか」と関心を持ってもらうきっかけを作りたいのです。
日本企業の方と話すと、インド人の学生への期待感は高い一方で、年功序列、終身雇用という「我が社のハーモニー」が崩れることへの警戒感も強い社があるようです。インド人にとっては昇給交渉は当たり前のこと。日本企業がインド人材を受け入れたいのであれば、企業側も職務と職能に応じた複数の給与体系を導入するなど、新たな職場文化と人事制度を整えていく必要があるのではないでしょうか。
Text=川口敦子 Photo=東京大学提供

林 香里氏
東京大学理事・副学長
(国際・ダイバーシティ担当)
大学院情報学環教授
専門はジャーナリズム研究、マスメディア研究。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会情報学)。日本学術会議連携会員。朝日新聞論壇時評筆者、BPO放送人権委員会委員、日本マス・コミュニケーション学会(現日本メディア学会)理事などを歴任。2021年東京大学理事・副学長に就任。