Works 188号 特集 インドの人材力

コロナ後に注目集めるインドの成長性。大手企業と中小で進出に格差も

2025年02月27日

コロナ禍によるGDPの落ち込みから急回復を果たし、世界中の企業から注目を集めるインド。しかし日本からの進出企業数はここ数年、約1400社で横ばいが続く。インド進出の現状と課題を、日本貿易振興機構(JETRO)ニューデリー事務所長の鈴木隆史氏に聞いた。


2018年からインドに駐在し、コロナ禍の間も現地の様子を見てきた鈴木氏は、インドがグローバルなビジネスのなかで存在感を高めている理由を、次のように分析する。

「インドは建国以来、2ケタ台の急成長はありませんが、堅調で安定的な経済成長を続けてきました。コロナ禍で他国が沈むなか、いち早く本来の成長を取り戻したことで、外的要因への抵抗力が強く、堅調に成長し続けるというインド経済の魅力が再認識されたのだと考えています」

JETROは1960年代にインドに事務所を立ち上げて以来、主に製造業のインド進出をサポートしてきた。ただ中国、ASEANという、日本企業にとってはうってつけの製造拠点が近くにあったこともあり、日印のビジネスが発展するには時間がかかった。しかし最近は足元で中国経済が減速していることもあり、ニューデリー事務所には日本企業が「1日2社ほどのペース」で訪れ、進出に関する相談が寄せられるという。

「かつてインドは『眠れる巨象』と揶揄され、日本からの進出企業も、現地での販売を念頭に置く自動車関連の産業がメインでした。しかし今やありとあらゆるセクターで、1度はインドを検討しなければ、というモメンタムが高まっており、隔世の感があります」

潮目が変わったのは、コロナ禍の少し前からだ。それまで市場としてインドを見ていたメーカー各社が、インドで製造した製品を中東やアフリカに輸出し始めたのだ。

「インド国内の事業が次第に安定するなかで、インドの拠点を活用して新たなビジネスモデルを模索する余裕が出てきたのだと思います。特に、既にインドに拠点を置く企業のなかには、黒字を確保するだけでなく拠点を増やしたり販売エリアを拡大したりといった前向きな姿勢が見られます。現地での事業拡大や人材活用などに対する、本社のコミットメントも強まっています」

JETROの調査によると、2009年にインド事業で黒字を達成していた日系企業は4割程度だったが、2024年には8割近くに達した。また日本企業に今後の事業展開の方向性を聞いたところ、「拡大」と回答した企業が最も多いのがインドで、約8割にのぼった(下図)。

今後1〜2年の事業展開の方向性(主要国・地域別)今後1〜2 年の事業展開の方向性グラフ出所:JETRO「2024年度海外進出日系企業実態調査(全世界編)」を編集部により抜粋

意欲は高いが進出数は頭打ち 中小の参入に高い壁

在インド日系企業数在インド日系企業数グラフ注:2022年10月時点
出所:在インド日本国大使館・JETRO「インド進出日系企業リスト」(2022年版)

ただ、実際にインドへ進出した企業の数を見てみると、2017年以降は1400社前後で横ばいが続く(上図)。日本からインドへの直接投資もここ10年、増加傾向は見られないのが現状だ。鈴木氏は要因として、さまざまな産業の関心は高まっているものの、実際に進出している企業はまだ自動車製造業が中心であるという業種の偏りと、中小企業の進出の少なさを挙げた。

「中国やASEAN諸国への進出企業を見ると、半分以上を中小が占めていますが、インドでは15%程度にとどまります。中小の進出が進まないと、数も業種もなかなか広がらないのです」

中小企業の参入障壁の1つが、税制や行政手続きの複雑さだ。インドでは税務や行政のルールが頻繁に変わり、突然新たな税金を課されることもしばしばだという。

「アドミニストレーション専任の担当者を置ける大企業ですら、大変な苦労を強いられています。ましてや専任者を置く余裕のない中小にとっては負担が過大で、それが進出をためらわせる要因になっています」

インドは植民地時代、宗主国のイギリスに搾取されたという歴史的な経緯から、海外企業に経済のイニシアチブを握られることへの警戒感が強い。中国やASEAN諸国のように、外資をうまく使って経済を成長させるというマインドも薄いという。

特にナレンドラ・モディ首相率いる現政権は「メイク・イン・インディア」政策を掲げ、GDPにおける製造業の割合を15%から25%に引き上げることを目標に国内製造業の振興を打ち出している。保護主義的な貿易政策を取り、日本企業が現地製造に必要な物資をインドに輸入しづらい状況も生まれている。

「貿易を自由化すれば急成長が実現したかもしれませんが、インドはその道を選ばなかった。一方、保護主義的で世界情勢の影響を受けにくいからこそ、コロナ禍から急回復できたともいえます。外資にとって最適な環境とはいえませんが、それを前提に付き合うしかありません」

もう1つのネックが、人件費の高騰と離職率の高さという、人材に関わる問題だ。日系企業がインドで雇用する一般従業員の昇給率は10%に上り、管理職クラスの引き抜き合戦も過熱している。労働者がよりよい報酬と待遇を求めて、転職を繰り返すことも一般的だ。

「経済が活況を呈し、人材の奪い合いになっているため、昇給の際に高い報酬を提示しなければ人材が定着しないことも中小にとっては厳しい環境です」

草の根の人的交流がカギ 多くの人に来てもらう

さらに鈴木氏が、中小の参入が進まない最大の原因と考えているのが、日本とインドの人的交流の少なさだ。今やインドにルーツを持つ人は、グローバル企業のトップや国家元首など、世界のあらゆる領域で活躍している。しかし日本では、ITの領域以外でインド人材の影は薄く、法務省統計によると、在日インド人の数は2023年、4万3886人と中国人の76万1563人にはるかに及ばない。日本学生支援機構の調査によると、インド人留学生も1612人と、中国人留学生の11万5493人とは比較にならない。

「中小企業の経営者が、海外に拠点を置こうと思うきっかけは多くの場合、職場にその国の人がいて親近感を抱くことです。インドとビジネスをするという発想を持ってもらうには、草の根の交流を広げるしかないと考えています」

このためJETROは2024年8月、インドで最も優秀な学生が集まるといわれるインド工科大学(IIT)のハイデラバード校で、日本企業18社を集めて企業説明会を開いた。日印の大学関係者の交流会や、インド人学生に対するインターンシップの実施、インドの大学での寄付講座開設などを通じて、学生のうちから日本との接点をなるべくたくさん作っておくことを目指している。

ただ日本の企業や大学の注目はIT領域に偏りがちで、大学側からは「土木など別の領域にも優秀な学生がいるので、ぜひ目を向けてほしい」との要望も寄せられている。

「日本で高度IT人材としてインド人が活躍するようになったのは、両国にとってよい変化ではあります。しかし関係をさらに深めるには、IT以外の領域も含めた多様な人材に、日本で活躍してもらう必要があると考えています」

IITハイデラバード校での企業説明会の風景写真IITハイデラバード校での企業説明会には日本企業18社が参加した。

日本企業の手厚い人材育成は魅力 一方で長期雇用前提はミスマッチに

インドの人材にとって、日本企業で働く魅力は何だろうか。鈴木氏は「日本や欧州、アメリカといった海外の企業で働くことはアピールポイントになるので、選択肢の1つとして日本に対する学生の関心は高い」と話す。日本企業の初任給の提示額が約600万円と、現地企業の平均200万~300万円に比べて高水準なことも、人気の一因だ。日本のアニメが好き、日本での生活に関心があるといった学生も多いという。トランプ政権の発足で、アメリカの移民政策が不透明になるとの見立ても、日本へ目を向けさせる追い風となっているようだ。

日本企業も注目するIITは国内に23校あり、そのすべての学生が何千万円という年俸で欧米の多国籍企業に採用されるとは限らない。ILOによると、インドでは中等教育を終えた若年層の失業率が16%に上り、大卒者のうちすぐに就職できない人も30%に達する。

「インドは財閥系企業が多く国内の企業数が限られることもあり、大卒者の受け皿は不足しています。また優秀な経験者を引き抜くことが人材戦略の柱で、新卒を育成する発想が薄い企業も多い。そのため、日本企業の手厚い人材育成も一部の若者にとって魅力に映るようです」 一方でインドの若者たちのなかには、初職で2~3年勤めたら転職する、というキャリアビジョンを持つ人も多数含まれる。

「日本企業が長期雇用を前提に採用すると、ミスマッチを引き起こす可能性が高い。キャリアパスと昇進・昇給の時期を具体的に示し、成長につながる仕事を提示することが重要です」

Text=有馬知子 Photo=JETRO提供

鈴木隆史氏

JETROニューデリー事務所長

1994年入職、アジア諸国のビジネス振興を担当し、ナイジェリア、ベルギー、バングラデシュなどの駐在を経て2018年からインド・ベンガルール事務所長。2022年より現職。