Works 188号 特集 インドの人材力

経済成長「加速」の真の姿は 格差拡大、一方深刻な雇用不足

2025年02月27日

国際舞台で存在感を高める「大国インド」。2014年に誕生したモディ政権下で経済成長が加速しているイメージがあるが、真の姿はどうか。インドの政治経済に詳しいアジア経済研究所研究員の湊一樹氏に聞いた。


「モディ政権の経済運営によって、インドが急成長を遂げている」というイメージが国内外に流布していますが、高い経済成長率は1990年代後半から一貫して続いており、モディ政権下ではむしろ鈍化しています。その大きな原因の1つとして、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う全土封鎖の影響があります。ただ、データをよく見ると、既にコロナ前にインド経済は深刻な停滞に陥っていました。具体的には、2017年度第4四半期(2018年1~3月)から四半期ごとのGDP成長率は下落を続け、全土封鎖直前の2019年度第4四半期(2020年1~3月)には前年同期比3.1%増にとどまっていました。

その後、コロナ禍を経た直近3年のGDP成長率は7~9%台と「V字回復」を果たしており、GDPは現在の世界5位から、近い将来に日本とドイツを抜いて3位に浮上する見込みです。そのため、最近はインド経済について明るい見通しが語られることが多くなっています。

政府統計への信頼揺らぎ インドのGDPにも疑問の声

その一方で、インドに関するこうした見通しには注意すべき点が2つあります。1つは経済に関するデータの信頼性が十分かどうか、もう1つは経済成長の恩恵が幅広い階層に行きわたっているのかどうかです。

モディ政権になって以降、それまで定期的に実施されていた統計調査が行われなくなったり、実施済みの統計調査の結果が一向に公表されなかったりすることが相次いでいます。そのため、政府統計への信頼が大きく揺らぎ、インドのGDPにも疑問の声が上がるようになっています。

たとえば、インフォーマル部門(非組織部門)についての政府統計は、2024年6月に最新のものが一部公表されましたが、それまでは、コロナ前の2015年度のデータしか政府は公表していませんでした。GDPで約5割、就業者数で約8割を占める同部門の動向が適切に反映されてこなかったため、GDPをはじめとする政府統計がインド経済の全体像を正確に捉えられていない可能性があるのです。

また、パンデミック後の「V字回復」で富む人はさらに富む一方で、低所得層の状況は厳しく、経済階層間の格差はさらに拡大したと考えられています。インド自動車工業会によると、2022年度の乗用車の販売台数は過去最高を記録した一方で、二輪車の販売台数は2014年度の水準にとどまり、排気量の少ないスクーターに限ると、二輪車販売数がピークだった2018年度比で28%減りました。つまり、中間層予備軍というべき、二輪車の購買層が拡大していないのです。

この点は、インド進出を考えている企業にとっても重要でしょう。将来的に中間層が増えていくという見通しをもとにインドに進出したものの、蓋を開けてみたら、中間層は期待したほど膨らまなかったという可能性がないとはいえないからです。

2024年4~6月の総選挙で、モディ首相は3期目の続投を決めたものの、自らが率いる与党BJP(インド人民党)の議席は大幅に減りました。生活苦を感じた国民の不満が、選挙結果に表れたものと受け止められています。

高層ビルの狭間にバラック街が点在している写真経済格差を象徴するように、都市部では高層ビルの狭間にバラック街が点在している。
Photo=dpa/時事通信フォト

製造業の振興策は成果出せず 雇用創出も進まず

現在のインド経済における課題は、世界一の人口規模に見合う産業と雇用を創出できていないことにあります。モディ政権は「メイク・イン・インディア」というスローガンのもと、貿易赤字の削減や新規雇用の創出を目的に、国内製造業の振興を図ってきましたが、目立った成果は上がっていません。製造業に従事する労働者の割合はまったく増えていませんし、中国からの輸入に大きく依存する状況に変わりはありません。大企業にはさまざまな優遇措置を講じる一方で、地域に雇用を生み出す中小零細企業への支援は不十分であることも、大きな問題です。

また、人口の多くを占める若年層の雇用不足も深刻で、若者が教育を受けても、それに見合う仕事がありません。民間部門の雇用が不足しているため、若者が公的部門への就職に頼るしかない状況が顕著になっており、2022年にインド国鉄が3万5000人の従業員を募集した際には、1250万人の応募者が殺到して大混乱になりました。

人口は世界一で比較的安価な労働力が豊富にあるはずなのに投資を呼び込めないのは、国民の全体的な教育水準が低いことが原因の1つです。日本では「インド人はみんな英語を話せて、計算が速い」というイメージがあるかもしれませんが、そのような人は全体のうちわずか。圧倒的多数は深刻な格差と教育システムの欠陥によって十分な教育機会を得られていません。高度な教育を受けた一握りの人たちの多くは、高収入を求めて欧米などに移住しています。

広く実態が知られない理由は モディ政権のイメージ戦略

これまで述べてきたようなインドの実態が広く一般に知られていない理由として、モディ政権のイメージ戦略が奏功しているという点が挙げられます。モディ政権は、インドを「世界最大の民主主義国」「民主主義の母国」と対外的にアピールする一方、国内では権威主義化と少数派(特にイスラーム教徒)に対する迫害が深刻化しています。

2023年1月、モディ首相のグジャラート州首相時代に起きた大規模暴動や現政権下でのイスラーム教徒への差別的政策の様子を伝えるドキュメンタリー番組をBBCがイギリス国内で放送しました。インド政府はこれに反発し、YouTubeとTwitter(現X)に番組の動画削除を命令しました。さらに、国際取引に関する法令違反があったとの名目で、インドの税務当局がBBCの現地支局に家宅捜索に入りました。

ところが、折しもBBCへの家宅捜索が始まった日、航空大手エア・インディアが欧州エアバスとアメリカのボーイングに旅客機470機を発注するという、過去最大規模の購入計画が発表されました。単なる偶然なのかそうでないのか真実はわかりません。さらに興味深いことに、この一件について欧米諸国はインドを表立って非難することを避けたのです。

中国に比べるとインドの国内事情に関する報道は圧倒的に少ないため、インドの実態が日本にはなかなか伝わっていないと日頃から感じています。皆さんにはさまざまな情報に触れて、インドの真の姿について考えを巡らせてほしいと願っています。

Text=川口敦子 Photo=湊氏提供

湊 一樹氏

アジア経済研究所
地域研究センター 研究員

東北大学経済学部卒業。2006年ボストン大学より修士号(政治経済学)を取得後、日本貿易振興機構(JETRO)アジア経済研究所に入所し現職。著書に『「モディ化」するインド——大国幻想が生み出した権威主義』(中央公論新社)など。