Works 186号 特集 あなたの会社の人的資本経営大丈夫ですか?
エーザイ/123ページの人的資本報告書で会社の「本気度」を示す
人的資本については多くの企業が、統合報告書で数ページを割いて開示するに留まるが、製薬会社のエーザイは2023年、国内製薬業界で初めて人的資本報告書を作った。2024年はページ数を大幅に増やし、ターゲットもあえて「社員と学生ら求職者」に絞った。その狙いは何か。
2024年版報告書の特徴は、ページ数が前年版の47ページから123ページへと大幅に増えたことと、ターゲットを社員と求職者に絞ったことだ。これらは2023年版の「反省」が起点になっていると、執行役CHROの真坂晃之氏は話す。
「2023年に報告書を出したのは、人的資本の情報開示が求められるなか、『規定演技』のように決まった情報ではなく、エーザイらしい独自のKPIやメッセージを出したかったから。そのためには統合報告書内の数ページでは不十分で、手探りでも人的資本に特化した報告書を作る必要がありました」
2023年版を公表後、社外からは大きな反響を得られた一方、見えてきた課題も多かった。その1つが社内への浸透だ。もともと真坂氏などHRのメンバーには、「人事の施策や事業戦略が、社員にうまく伝わっていない」という課題意識があった。実際社員アンケートを取ると、人事戦略を理解している社員は52.8%しかいなかった。
「そもそも社員に知る努力を求める前に、私たちが『伝わる努力(≠伝える努力)』をすべき。戦略や制度を知って、社員がエーザイの強みやよさを再発見してくれれば、結果的にエンゲージメント向上につながるはずだ」(真坂氏)と考え、2024年版は「社員と将来社員になる可能性のある求職者に宛てたものを、社外の人にも見てもらう」というコンセプトに変更。投資家など幅広いステークホルダーに向けた2023年版から大きく転換したのだ。
2024年版の報告書で目を引くのは、海外も含めてエーザイで働く社員へのインタビューだ。2023年版の6人から50人に大幅に増やした。併用する写真も、家族やペットと過ごす場面や趣味の写真など、あえて素顔が垣間見えるものにした。
グラフィックスや写真を多数盛り込み、海外現地法人やグループ会社の情報も充実させたことで、ページ数は大幅に増えたが、その取材・執筆にはほとんど外部の手は借りず、人事のメンバーが担当した。
報告書作成を担ったグローバルHR戦略企画部の三瓶悠希氏は、難病を患って1年半の休職を経験しており、「健康とウェルビーイングの大切さを痛感した」という。離職した元社員の話を聞いて、「各種の制度を知ってさえいれば、辞めずにすんだかもしれない」と感じることも多く、「病気や育児、介護の際のサポートから死亡時の遺族補償まで、幅広く伝えたい」という思いが、報告書作成の原動力になった。
「報告書を通読するというより、知り合いのインタビューなど興味のある記事から読んでもらい、そのなかで制度などについても理解してもらいたかった。ボリュームを増やしたのも、読んでもらうきっかけになる記事を増やしたかったからです」と話す。
「伝わる」ための努力も惜しまなかった。全社メールやポータルサイト、社内ポスターなどを使って、社内にも大々的に告知した。
ネガティブに見えるKPIも開示し「伸びしろ」を示す
さらに2024年版で進化させたのは情報開示の範囲だ。「一見するとネガティブとも解釈できる数値も含め公開する」(三瓶氏)ことを重視し、内部通報制度による懲戒件数や、製薬会社の生命線ともいえるイノベーションスコアの低下も開示した。ただ同時に、イノベーションスコアの低迷については「重要領域の早期アルツハイマー病治療薬レケンビに投資を集中させたため、一部インフラへの投資が不足した」などと原因を分析し、解決に必要な取り組みも打ち出している。
三瓶氏は「ネガティブな数字を出すことは一概にマイナスとはいえず、当社がコミットすべき課題をきちんと認識し、解決に取り組んでいるという『伸びしろ』を示す面もあります」と話す。さらに「就活の掲示板などを見ても、企業のネガティブな情報を隠せないことは明白です。こちらから課題を提示し、解決に取り組んでいると説明することで、透明性の高い企業だという認識を広めたい」とも述べた。
もともと2023年版から定量化が可能なほぼすべてのKPIを開示することに力を入れてきたが、2024年版では新たに、独自開発の指標「E-HCI(エーザイヒューマンキャピタルインデックス)」を設定。社員のエンゲージメント、定量化した社会的なインパクトを給与総額で割った人財投資効率、人への投資が企業収益にどれだけ寄与したかを示す人的資本ROIという3つの要素を使って「人的資本経営の総合力」を評価する指標だという。
人的資本に特化した報告書の作成やE-HCIの開発が可能になったのは、真坂氏が2022年にCHROに就任してから、人事領域の組織改革に取り組んだおかげもある。それ以前は、専門家が集まる縦割り組織で、定型業務の負荷も大きく視座の高い戦略などを考える余力に乏しかった。
真坂氏は2023年6月に、評価や研修、労務管理など各セクションから独立した「グローバルHR戦略企画部」を新設し、戦略立案や情報開示のあり方など「重要だが優先順位が低かった業務」を集中させた(36ページ図)。同部にはMRや経営企画を経験した三瓶氏のほか、データアナリストなど、他部署の経験者も集めた。
真坂氏自身、海外駐在や社長秘書などを経験しており、「経営企画や営業現場など、さまざまな知見を持つ人が組織に入って『人事のプロ』と融合したことで、経営戦略を実現するための人事戦略に取り組めるようになりました」と話す。
CEOの内藤晴夫氏がHRの取り組みを理解していることも、「改革の進めやすさにつながっています」(真坂氏)。報告書も、冒頭に内藤氏ではなく真坂氏のメッセージを掲載することがかえって「人事戦略をHRに任せる」という、内藤氏の意向を伝える結果となっている。
社内から「読んだ」の声多数「社員から人事へ」の流れも
7月末に2024年版がリリースされると、社外からの問い合わせだけでなく、報告書に掲載された社員から「多くの同僚から『読んだよ』と声を掛けられました」といった声が多数寄せられた。「社員のコミュニケーションを深める狙いもあったので、こうした反応も嬉しかったです」(三瓶氏)
新卒者向けの就職サイトなどにも、報告書のリンクを掲示した。真坂氏は「人財獲得競争が激化し、新卒者、転職者の会社を見る目はシビアになっています。当社が人的資本経営に本気で取り組んでいることを理解してもらうと同時に、インタビュー記事を通じて社員の様子、社風まで感じてもらえれば大成功です」と語る。
2025年版に向けては、作成メンバーを社内から手挙げで募ってアイデアを出してもらうなど「社員から人事へ」という情報の流れも作り出したいという。三瓶氏は「分量をややコンパクトにする、イラストや動画を活用するなど、部外の社員の意見も聞きながら、さらに多くの人に見てもらえるものを作りたい」と抱負を述べた。
*エーザイの表記に従い、「人材」を「人財」としています。
Text=有馬知子 Photo=エーザイ提供
真坂晃之氏
エーザイ
執行役 チーフHRオフィサー
兼総務担当
兼国内ネットワーク企業担当
三瓶悠希氏
エーザイ
グローバルHR 戦略企画部
戦略グループ
グループ長