Works 186号 特集 あなたの会社の人的資本経営大丈夫ですか?
カクイチ/Slackで経営情報の公開を徹底 タスクで社員が経営課題にコミット
農業用資材やガレージを製造・販売するカクイチは、社員が5人1組で経営課題に挑む「タスクチーム」を、企業成長のエンジンにしようとしている。タスクチームは同時に、潜在能力を可視化させ、人材育成にも大きな役割を果たしているという。
カクイチは創業138年の老舗企業で、現社長の田中離有(りう)氏が2014年に社長に就任したときは、「意思決定の遅い中堅製造業の典型」だった。
「複数の事業があったため、それぞれ横のつながりもなく、情報も共有されない。社員も言われたことだけやればいいという指示待ち体質が強く、イノベーションも起きなくなっていました」(田中氏)
田中氏はビジョン、ミッション、バリューの定義などさまざまな改革に取り組んだが、社内への浸透は今ひとつだった。こうしたなかで次第に「自ら行動できる社員が育たないのは、判断に必要な情報を持っていないためではないか」と気づく。
そこで2019年、全社員に社用のiPhoneを配布し、Slackを導入して経営情報も含めてほぼすべての社内情報を公開した。経営会議をZoomで公開し、関心のある社員は誰でも参加できるようにした。
とはいえ、最初から積極的に参加する社員は少なかった。田中氏自ら毎日プライベートなことも含めて投稿し、参加のハードルを下げた。今でも田中氏は毎朝1時間ほどかけてSlackのすべての投稿に目を通して、「これは」と思うものには「社長必読」「社長賞」というスタンプを押す。スタンプのついた投稿はほかの社員の注目を集め、コメントも多数寄せられる。
「前向きなフィードバックによって人を褒め合う文化が醸成され、『行動を起こすのはいいことだ』という認識が定着する。社員の『やりたい』気持ちを『やります』という実際の行動へと変えるのです」
それまで工場や地方営業所の社員は、東京の本部やほかの職場が何をしているか、ほとんど知らなかった。Slackは職場やプロジェクトごとにチャンネルが分かれているが、自由に見られるので、ほかの職場で起きていることを把握できる。ほかの職場の事例を参考にしたり、自分の意見や感想をSlackに投稿したりするようになった。
「風土は創業の精神など、組織がもともと持つ『土壌』に近いですが、文化は社員に情報という水を与え、成功体験を積ませることで変わる。情報改革が結果的にカルチャーを変え、組織にも成果をもたらしました」(田中氏)
タスクで挑む経営課題 Slackという人材データベース生かす
情報改革によって「現場力」が高まったことを感じた田中氏が、次に始めたのが「タスクチーム」という課題解決の仕組みづくりだ。毎年2回、5人1組の30ほどのチームが作られ、それぞれにテーマが課される。メンバーはオンラインやリアルで集まって3カ月間課題に取り組み、月に1度、経営層に成果を報告する。1回で社員の3分の1に当たる150人が参加することになるため、大半の社員がこれまで複数回のタスクを経験している。
テーマは停滞している職場の活性化や製造現場のコストダウン、AIの活用策など多岐にわたり、なかには「禁煙とダイエット」といったものもある。共通するのは「身の丈より少し高い難度の課題に取り組んでもらう」ことだ。
テーマとゴールの設定、チームの人選は社長と役員が担う。特にSlackの投稿をつぶさに見ている田中氏は、社員の志向や隠れた能力などの「データベース」が頭のなかにできており、人選の大きな武器になっている。メンバーは全国から集められ、年齢や職種、フルタイムやパートなどの属性もバラバラだ。若手がリーダーとなってミドルシニアのメンバーをまとめることも多い。
「強すぎるリーダーがほかの4人に指示するのでは良い結果は出ないし、中高年男性だけなど同質性の高いチームもうまくいかない。女性や未知の原石である若手らと組み合わせて、ダイバーシティを確保するのが成功の秘訣です」(田中氏)
実は同社ではSlack導入後、「管理職問題」が顕在化していた。一般社員の「現場力」が高まる一方で、管理職は成長から取り残され、部下の成果を把握できなかったり、悪い場合は横取りしたりといった事態が起きていたのだ。経営層が直接、現場へ課題解決を託すことで、ミドルシニアの意識改革を図り、管理職の役割を見直すこともタスクチームの狙いの1つだった。
「現場とトップが直接やり取りするようになると、報連相を仲介する『管理』の仕事は減っていく。ならば管理職はさらに上の視座を持ち、会社の未来を考え『夢を語る』役割を果たすべきです」(田中氏)
「他人に話したくなる」面白さ メンバーとの出会いも醍醐味
福島県内のいわき事業所勤務の塩井明夢(あむ)さんは、これまで4回タスクに参加した。1回目は優れた接客スキルを買われ、「おもてなし」の実践をテーマとしたチームのリーダーに抜擢された。メンバーのホテルの支配人、勤続20年以上のパートタイマーなど、「大ベテラン」を最若手の塩井さんがまとめる形となり、「チームの空中分解を食い止めるのに精いっぱいでした」と語る。退職すると言い出したメンバーの説得にいわきからメンバーのいる店舗まで駆けつけたり、先輩社員に「もう無理です」と泣きついたりしながら、何とか成果発表にこぎつけた。
4回目のテーマは、自己流の業務の進め方に固執し、ビジネスチャンスを逃しがちなミドルシニアの意識変革だった。チームには「リアルのお客さまだけを大事にする」と公言し、顧客からのメールになかなか返信しないメンバーもいた。しかしこのメンバーも、タスクで活動するうちに、メールの問い合わせにすぐに対応して見積もりを送るようになるなど次第に変わっていった。
このタスクの際には、Slack上でのチームのやり取りに田中氏から「社長必読」スタンプがつくことも多く、報告会の前から「あのチームはすごいらしい」という噂が社内に流れたという。報告会では替え歌の動画で意識変革を促すなど、ユーモアのある提案が評価され、「ベストタスク賞」を受賞した。
塩井さんは「メンバーだけでなくその上司や同僚など、通常業務では絶対に会えない多くの人とつながれるのがタスクの醍醐味。タスクの仕組みそのものも面白いので、何も知らない社外の友人に『うちの会社、変わったことやってるんだよ』と話したくなります」と語る。
また長野県東御市の工場で設計を担当する滝澤宗彦さんは、材料費を削減するタスクに取り組んだ。3カ月後、発表が終わると「工場内で『続き』をやってみないか」と勧められ、委員会を立ち上げてコストの見直しを実践した。その結果、鉄板加工の歩留まりを改善し、工場内のスクラップ率を1割以上削減することで年間3000万円のコスト削減を実現した。
滝澤さんは「僕は1人で仕事をするのが好きなタイプですが、タスクでリーダーを任されたことで上司の立場に立って考えるなど、新たな視点を持てるようになりました」と話す。
タスクで鍛えられる経営的視座 経営人材候補を「准役員」に抜擢
2人の話からもわかるように、タスクチームの活動は実際のコストダウンや業務・組織改革、新規事業創出に結びつき、「企業成長のエンジン」として機能し始めている。
あるチームは、電力問題の解決策として中国製の電気自動車を購入し、太陽光発電の蓄電池代わりに使うという案を出し、実際に導入された。製造工程で太陽光を活用できるだけでなく、安価な電気自動車を使うことで高額な蓄電池代を節約し、さらに電気自動車を通勤車として社員に貸し出すことでも、環境に貢献できる。設備をシステム化し、外販することも視野に入れているという。
田中氏は「タスクによって経営課題が可視化され、それらを解決することが会社の成長につながるという、好循環が生まれつつあります」と語る。
タスクのもう1つの大きな役割は、人材育成だ。テーマと達成目標はあらかじめ決められているが、そこに向かってどう動くかはチームに任されている。このためメンバーは自ら考え提案し、行動しなければならない。本業との両立の仕方もそれぞれのチームやメンバーに任されている。
特にリーダーは、メンバーから意見を引き出しまとめる力や、意見が対立したときに落としどころを探る力が鍛えられる。経営課題に取り組むことで、現場の社員であっても職場の枠を超え、一段高い視座を得られるようになった。「タスクで難度の高い仕事に挑むと、その人は急成長します。さらにSlackや報告会を通じて、その人の成長ぶりも社内に可視化されるのです」(田中氏)
一方、タスクのメンバーを送り出す職場側も、タスクに従事する間、空いた穴を同僚がカバーすることでマルチタスクをこなせるようになる。かつての弊害だった「情報が共有されず、担当者にしかわからない」という状態も解消された。
タスクを通じて将来の役員候補となる人材が現れると、年次に関係なく「准役員」として抜擢し、経営者候補として育成する。タスクチームの報告会を聞くのも准役員だ。このときも、別室にいる社長や役員がインカムを通じて、「今の内容は面白いから掘り下げて」「雑談で和ませよう」といった指示を与え、准役員の「聴く力」を鍛える。准役員を役員にすることで、女性や若手の登用も急速に進みつつある。田中氏はこう話す。「タスクを通じて身の丈よりも上の課題に挑戦できる人材が育ち、そのなかからさらに経営を担う人材が生まれる。それによって我々はどんどん、理想を追求できるようになるのです」
Text=有馬知子 Photo=今村拓馬
田中離有氏
カクイチ
代表取締役社長