Works 186号 特集 あなたの会社の人的資本経営大丈夫ですか?
「人的資本開示の鍵は独自指標の設定と課題の開示」Unipos・田中弦代表
国内外のべ5500社以上の有価証券報告書や統合報告書を読み解き、人的資本経営に関する発信を積極的に行うUnipos代表の田中弦氏。人的資本情報開示2年目を迎えた日本企業の現在地について聞いた。
人的資本開示の義務化をきっかけに、日本企業の情報開示の実態について調査しています。開示2年目となった2024年は、有志のボランティアグループとともに、3月決算の上場企業、全2295社の有価証券報告書を読み、独自の基準で格付けしました。2022年度決算分と合わせると、国内外のべ5500社以上の人的資本開示を読み込んだことになります。
人的資本開示は、「人材育成方針」「社内環境整備」の戦略・指標・目標の3点セットと、女性活躍推進法(女活法)に基づき、「女性管理職比率」「男性育休取得率」「男女間賃金格差」の比較可能指標の開示が義務付けられています。ただし、比較可能指標だけでは各社固有のビジネスモデルや経営戦略を語りきれないことから、独自指標を設定してバランスよく開示することが求められています。いわば各企業がかなり自由演技をできるようにしており、最初は手探りで始まった日本の人的資本開示が、2年目を迎えてどれだけ進化するのか、注目していました。
結果としては、残念ながら、期待したほどの進化が見られませんでした。今回の調査は、独自設定した基準に基づき、レベル1(不十分)、レベル2(要改善)、レベル3(良好)、レベル4(優良)、レベル5(卓越)の5段階で評価しています。5点満点で、全体平均は1.99。2022年度の1.78からわずかな進展は見られたものの、まだまだ改善の余地が大きいことがわかります。
レベル4以上になると、独自指標や目標が設定・解説され、自社固有のストーリーが図示されており、他社が学ぶべき水準にあるといえます。そのなかでも、非常にユニークネスを感じさせ、日本トップレベルと思われるものをレベル5としています。ただしレベル4以上の企業は、前年と変わらず、わずか11%に留まりました。
あまり平均点が伸びなかった要因は、レベル1の企業が45%を占めていることにあります。レベル1は、目標が設定されていなかったり、あっても女活法関連や、比較可能指標しか記載されていないなど、開示要件を満たしていない水準です。前年調査の55%からは減りましたが、いまだに半数近くの企業が不十分な開示しかできていないのは、残念に思います。
市場別に見ると、レベル1の企業数が最も多かったのがスタンダード市場で、開示レベル平均も1.46と、グロース市場の1.48に逆転される結果となりました。レベル5の企業はプライム市場に集中していますが、プライム市場のなかにもレベル1の企業が依然として多く存在するなど、二極化が進んでいます。
業種別では、開示が進んでいるトップ3を保険・銀行・空運が占め、ワーストは倉庫・運輸関連となりました。おそらく上位3業種は、事業の特性として差異化が困難であることから、人の能力に頼るところが大きく、人的資本開示にも積極的なのではないかと考えています。
目指す姿から逆算して 独自指標を設定する
では、評価の高かった企業はどのような開示をしているのでしょうか。
たとえば双日は、「事業や人材を創造し続ける総合商社」の実現に向け、独自の人材KPIを設けています。「挑戦指数」や「風通し指数」の目標達成を通じて「双日らしいカルチャーの醸成」を目指すほか、海外・国内への出向経験を持つ女性総合職の割合を増やすことで、管理職へのパイプラインを構築し、多様性を競争力につなげていこうとしています。
2022年度に比べて、内容が大幅に充実したのが滋賀銀行です。2022年度までは「一人あたり研修投資時間」や「中途採用者の管理職数」など比較可能指標の記載が中心でしたが、2023年度は「管理職候補者の本部と営業店を両方経験した割合」や「自律的にキャリアに挑戦した人数」など、自社の事業環境を踏まえた独自指標が新たに設定されました。地方銀行として、持続可能な発展を目指していこうという熱意が感じられます。
また、味の素の開示は、事業戦略と人材戦略の連携がよく説明されていると感じます。同社は、食品事業とアミノサイエンス事業の利益比率を、現在の2対1から、2030年に1対1にするとしています。この計画を達成するために、イノベーションを共創するための多様性や、新事業や新市場の開拓に向けた挑戦などの重点課題を抽出し、課題に対応する形で、「全従業員の内、キャリア採用で入社した従業員の構成比」や「手挙げでの異動比率」「自身にとって挑戦と思えることを1つでも達成できたと答えた人の割合」などの独自指標を設定しています。
投資家の立場からすると、事業構成を大きく変えるという野心的な計画をどう実現していくのか気になるところですが、事業戦略と連動した目標を掲げ、その実績を毎年開示していくことで、目標達成への道筋が見えるようになっています。従業員にとっても、会社の目指す方向性が数値目標として明確に示されているので、ならば自分も挑戦してみようという気持ちの後押しになるのではないかと思います。
欧米企業の開示では 徹底して従業員が主役
高い評価がついた企業に共通するのは、比較可能指標だけでなく独自指標を取り入れて、企業価値向上に向けた合理的な説明がされている点です。これに対して、評価の低かった企業では、そもそも指標や目標が設定されていなかったり、女性管理職比率など女活法関連の記載しかなかったりするケースが多く見られました。もちろん、レベル1や2がついた企業でも、熱心に人材施策に取り組んでいるところはたくさんありますが、重要なことは、それが経営と連動しているかどうかなのです。
人的資本開示に関して企業にアドバイスを求められたとき、私は、まずは1つでもいいから独自指標を入れてくださいと伝えています。比較可能指標だけでは、自社の経営やビジネスを語れないからです。
目指す理想の姿に対して、現実とのギャップは必ずあるはずです。そのギャップが会社の課題です。自社の課題を明らかにして、解決するために何をするのか、定量的な指標を設定して取り組んでいく。そこでさまざまな独自指標が生まれるはずです。
海外の事例を見ても、ユニークな独自指標を設定している企業が多くあります。以前、S&P500企業の人的資本開示を調査しました。トップレベルの会社を比較すれば日本のほうが優れているケースもあり、必ずしも「S&P500企業だから開示が進んでいる」わけではありません。
ただ、日本とアメリカとでは、開示のスタンスが明らかに違いました。全体的な印象として、日本ではIRとして株主に向けた開示が多いのに対して、アメリカではマルチステークホルダーを意識して説明をしていこうという姿勢が見て取れました。
最たる例がエンゲージメントスコアの開示の仕方です。日本では会社を主語にして「我が社のエンゲージメントスコアは○○でした」という記述が一般的ですが、アメリカでは「従業員の○%はこう思っています」と従業員が主語になります。徹底して従業員を主役に考えており、その会社ならではの独自性が色濃く出ていました。日本ではあまり見られないユニークな開示がたくさんあり、参考になるのではないかと思います。
人的資本経営の実践には カルチャー変革も必要
人的資本経営の実践には、個人の人的資本を組織の力に変えていくことが必要ですが、そのプロセスを回すには2つの大きな断絶を乗り越えなければなりません。
人的資本経営フレームワーク
1つは、個人の観点から見た行動の断絶です。社員が今後のキャリアを考え、自分の人的資本に投資をしても結果に結びつかないことがあります。たとえば海外マーケットで勝負したいと思っても、どうすればその仕事に就けるのか、どのようなスキルを身に付ければよいのかなど、取るべき行動がわからないケースがある。行動をしたとしても、周囲から否定されてしまうことさえあります。これでは継続につながらないでしょう。
もう1つは、組織の観点から見た学習の断絶です。個人の行動やノウハウが共有されず、組織の形式知として蓄積されなければ、競争優位につながりません。
2つの断絶を乗り越えるには、健全なカルチャーを醸成していくことが必要になります。まず、会社として何が「よい行動」なのかを具体的に定義する。人的資本開示の独自指標は、この「よい行動」を示すことにもつながります。そのうえで、よい行動の事例を見つけて共有し、称えていく。このサイクルを回すことによってカルチャーが変わり、組織全体の行動基準が変わってくるはずです。
Text=瀬戸友子 Photo=Unipos提供
田中 弦氏
Unipos
代表取締役社長CEO
ソフトバンク、ネットイヤーグループ、コーポレートディレクションを経て、2005 年ネットエイジグループ(現ユナイテッド)執行役員。同年、Fringe81を創業し、2021年10月、Uniposに社名変更。