Works 187号 特集 組織と不正 その構造的要因を読み解く

リクルート/リクナビDMP事件後に取り組んだガバナンスと挑戦のバランス

2025年01月22日

2019年、リクルートの子会社リクルートキャリア(当時)が顧客企業に学生の「内定辞退率」の予測データを提供していた問題が明らかになり、個人情報保護委員会から指導・勧告を受けた。原因究明から再発防止策づくりまで関与したリクルートのソリューション法務室長、岡本玲奈に、問題の根本に何があったのかを聞いた。


就職情報サイト「リクナビ」などを運営していたリクルートキャリア(2021年にリクルートに統合)は、2018年3月に開始したサービス「リクナビDMPフォロー」で、リクナビ上の学生の行動ログを使って内定辞退率を予測し、データを顧客企業35社に提供していた。この際、個人情報の提供について一部の学生から十分な同意を得ていなかったことも判明した。この件に対して個人情報保護委員会から2度にわたって是正を求める指導・勧告が出されたほか、東京労働局からも職業安定法の指針に反し、学生の不安を引き起こしたなどとして指導を受けた。

2019年7月に、同委員会からヒアリングを受けたことで問題が発覚すると、当時のリクルートキャリア社長をトップとする対策本部を設置し、岡本も親会社の法務部長としてメンバーに加わった。ただ当初は「対策本部内でも問題の深刻さを正しく認識できず、矮小化して捉えるきらいがあった」と振り返る。

一部メディアの報道を受けて8月1日に出したプレスリリースでも、同サービスを「一時」休止するとしているが、「(データを提供することによって)企業は(学生に対して)適切なフォローを行うことができ、学生にとっては、企業とのコミュニケーションを取る機会を増や」せるなどとメリットを強調する文言も見られる。

しかし社内確認が進む過程で、一部の画面上でプライバシーポリシーの不備が発生していた事実が明らかになったり、大学や学生たちの厳しい反応に加え、メディアや社会の批判が大きくなったりするなかで「刻々と認識が変わっていった」という。学生たちからは「裏切られた」といった声が多数届くようになり、新卒領域以外の事業に関わる社員も、顧客企業から苦言を呈されることが相次いだ。こうしたなかで対策本部も「学生視点に立てば、このサービスは受け入れがたい」との認識を共有するようになった。

そこからの決断は早かった。8月4日にはサービスの廃止を決め、8月26日に個人情報保護委員会の最初の勧告を受けて、「ガバナンス不全と学生視点の欠如」を問題の本質とする調査結果を発表。12月に「事実認定が完了した」として最終報告と再発防止策をあらためてリリースした。

開発スピードを優先 失われた「学生視点」

リクナビDMPフォローはもともと、学生の内定辞退率が高止まりしているという問題意識を起点に、採用企業の負担を軽減するために作られた。企業が内定辞退を防ぐために学生に手厚いフォローをすれば、学生の企業に対する理解も深まり、納得性の高いマッチングが実現するという狙いもあった。しかし、「学生にとってもよいサービスになるはずだ、という思い込みが先行し、実際の気持ちや印象には考えが及びきれていませんでした」。

さらに開発チーム側には、個人情報をハッシュ化(ランダムな文字列に変換し、元に戻せなくすること)すればセキュリティは守られるという認識もあったが、ほかのデータとつき合わせれば個人の特定は可能で、この点も法的な整理に不備があった。

開発チーム外の社員からは、「学生たちが不安になるのではないか」という疑問の声もあったという。しかし、こうした意見が十分に議論されることはなかった。より新規性の高いものを速く生み出そうとする研究開発的なアプローチで作られていたことで、意思決定にもスピードが重視され、明確な責任者のもとでさまざまな角度から検討する視点に欠けていたと、岡本は分析する。

「スピードを優先していた開発チームは、結果として同じ視点を持つ少数のメンバーで構成され、多様な視点が失われていたのだと思います。顧客企業の苦労は日々聞いていてリアリティがあっても、学生に関しては、このサービスに対してどのような不安な気持ちを抱き得るか、という当たり前のことが見えていませんでした」

適法性などリスク観点をレビューする仕組みもあったが、研究開発的な商品開発としてプロセスが進行するなかで、本来不可欠であった必要十分かつ複眼的なチェックがなされなかった。また社会的な公正・公平性やユーザーの心情への十分な配慮 といった、法に触れない部分については、レビューで指摘を受けたとしても、最終判断は開発サイドに委ねられていたという。

「最大の問題は、単一の価値観のもと十分な点検が行われないまま事業が突き進んでしまったとき、そこに歯止めをかけるガバナンスの仕組みを経営側が提供できていないことでした」

リクナビDMPフォローの経緯出所:リクルートWebサイト「これまでの経緯およびプレスリリース」より編集部作成

開発の責任と役割を明確化 不正のチェックポイントも

2019年12月に発表された再発防止策には、データの利活用について弁護士ら外部の有識者による諮問委員会を設置することなどが盛り込まれた。研究開発的な手法で生み出されたサービスでは、複数の部署にメンバーが分散して役割と責任がうやむやになりがちだったという反省から、責任者を明確化し社内にも周知するとした。

このほか社内では、責任者を集めてDMPのような問題がほかにも発生していないかを点検するための会議も設けられた。会議は臨時的な位置づけだったが、2020年から定例化された。「 責任者に責任を押し付けるのではなく、課題解決に必要な情報を提供したり、ヒヤリハット事例を共有したりする場も必要です。時間の経過とともに会議のテーマも、点検から啓発や意識醸成へと変わってきました」

また個人情報について、DMP問題の内容も盛り込んだ研修を新たに実施することを決めた。リクルートでは、新入社員研修で1988年のリクルート事件に関して詳しく伝えるなど、自社の不祥事から学ぶ姿勢が受け継がれている。問題に関わった当事者に経過や反省を語ってもらい、動画にして受講者に見せることもある。

「一般論でなく身近な事例が、最も社員の心に響きます。『今から思えば、ここに気をつければよかった』といった言葉を聞くと、自分たちにも思い当たることが出てくる。それが再発防止につながります」

特に力を入れたのが、すべての商品開発のプロセスを標準化し、企画から開発、外部へのリリースといった節目ごとに適法性やプライバシー、社会における道義的な責任・公平性などをチェックするようにしたことだ。研究開発的に作られたサービスも例外なく、標準プロセスを通過することになった。

スタートアップ的なメンタリティで開発を担うメンバーからは「標準プロセスを入れると開発スピードが鈍る」という声もあるといい、「定着にはまだ課題もあります」と、岡本は話す。

「しかしサービスが持続的に社会に受け入れられるには、スピードのみを重視するような短期的な視点では不十分なことは、DMPの問題からも明らかです。チェックを通じて外からの視点が入ることで、開発者が多くの気づきを得られるというメリットもありました」

標準プロセスレビューのイメージ出所:リクルート
DMP問題を契機に、すべての商品開発のプロセスを標準化。開発から営業などにも広がり、再発を防止しながらチャレンジのカルチャーを邪魔しない仕組みとして機能している。

手を緩めず改善続ける 仕組み化が挑戦の風土を守った

プロセスの標準化は、2020年にいくつかの事業領域に適用されたのを皮切りにすべての事業へ広がり、現在は営業など開発以外の部門にも導入されている。またチェックの項目も適法性、プライバシー、セキュリティだけでなく、カスタマーサポートや審査、ファイナンス、生成AIのリスクなどへ多様化している。このようにして再発防止を仕組み化することには、チャレンジを重んじる社風を守る狙いもあった。

「啓蒙や研修も大事ですが、法令遵守を個人の意識に頼りすぎると、社員が萎縮し挑戦をしり込みするようになりかねません。仮に個人がつまずきそうになったとしても、会社が歯止めをかけてくれるというガバナンスの仕組みがあれば、社員は安心して新しいことに挑戦できます」

本当の意味でユーザーが快適に使えるサービスを作るためには、公平性やプライバシーを担保することが不可欠だ、という認識も社員に浸透し始めたという。さらに社員たちが開発の際に「自分の事業は、本当に社会に受け入れられるのだろうか」と考えたり、外部の意見を聞いたりするようになった。

「当社では課題解決に向けて一直線に進む社風が成長の起爆剤となる一方、外部の多様な意見を聞くことが後回しにされ、独りよがりになりがちでした。しかし問題の発生と再発防止の取り組みを経て、社会とコミュニケーションを取ろうという姿勢が強まりました」

岡本自身、諮問委員会の外部委員の意見から学ぶことが非常に多いと実感している。社外の声を受け入れる風土ができたことで、社内から出される異論や疑問にも耳を傾ける空気が醸成され、それによって社員も声を上げやすくなった。

一方で岡本は、「改善は日々続けていますがまだ完璧ではなく、再発防止の取り組みは道半ばです」とも話す。

「プロセスの標準化も四半期ごとに使い勝手などの改修を重ね、進化し続けています。少しでも動きが鈍れば、『開発スピードを阻害している』という声が大きくなり、元に戻ろうとする圧力に押されかねない。再発防止の手を緩めることは許されないのです」

Text=有馬知子 Photo=リクルート提供

岡本玲奈

リクルート
スタッフ統括本部 経営管理
ソリューション法務室 室長・データ&AIガバナンス室 室長