Works 187号 特集 組織と不正 その構造的要因を読み解く
STARTO ENTERTAINMENT社長に聞く 意志決定過程を透明化し権力の暴走防ぐ仕組みに注力した1年
旧ジャニーズ事務所からタレントマネジメント業務を引き継いだ新会社「STARTO ENTERTAINMENT」(以下、STARTO)の社長に就任した福田淳氏はこの1年余り、事務所トップによる性加害問題に揺れた旧事務所の組織や働き方を見直すために改革に取り組んできた。具体的な施策と社内に起きた変化、残された課題を聞いた。
福田氏はソニー・デジタルエンタテインメント社長などを経てベンチャーを起業し、「のん」さんのエージェントも務めている。2023年10月、STARTO設立と同時に社長に就任した。「60年間ファンを熱狂させてきた事務所が瓦解の危機にある、自分の手でそれを食い止められるならと考えて引き受けたのですが、人生でこれほど難しい仕事はなかった。あまりにもタフな日々が続き、記憶がないほどです」と振り返る。
就任当時は社会の逆風が非常に強かった。本社オフィスを借りようとしても10件以上に断られ、金融機関から融資を受けることもままならなかった。新卒採用では親の反対で内定を辞退する学生がいたり、住宅ローンの審査に通らなかった社員もいたりした。
最も大きな打撃を受けたのは「何の落ち度も責任もない」(福田氏)、タレントたちだ。CMのクライアントは170社から一時80社まで激減し、NHKやテレビ東京はSTARTOとマネジメント契約を結ぶタレントの起用を停止した。
こうしたなかで組織改革を始めるにあたって、福田氏は中核となる人材として意識的にテック系ベンチャーの経験者など、業界外の「一匹狼」を集めた。
「芸能の世界の『常識』に対して『それがどうした』と言い返せる人でなければ、状況を打破できないと思ったのです」(福田氏)
公約として掲げたのは、組織改革とコンプライアンス体制の整備を通じて社会の信用を取り戻し、「タレントが自由に活躍できる状態を作る」ことだ。子どもの人権問題に取り組んできた弁護士の和田美香氏をCCO(チーフ・コンプライアンス・オフィサー)に迎え、内部監査室や内部通報制度を設置。社員の職務権限を明確化し、意思決定のプロセスも透明化して特定の人に権力が集中しないようにした。
「問題の根幹である権力の暴走を防ぐため、打てる手はすべて打ち、上場企業以上にガバナンスの効いた仕組みを構築できたと自負しています」(福田氏)
この間、旧オーナーからの指示は1度もなく、「フリーハンドで改革に取り組めました」(福田氏)とも明かした。
タレント、ジュニアへ研修も マネジャーにシフト制も導入
契約タレント171人については、福田氏が全員と面談して会社の方向性を伝え、直接本人たちの思いも聞いた。また文書やマネジャー経由で行われていたタレントとのコミュニケーションにLINEWORKSを導入し、困りごとの相談対応や会社側のメッセージの発信に活用するようになった。
タレントと若手の「ジュニア」、そして社員を対象に、ジェンダーや人権、SNSの投稿ルールなどの研修も始めた。性加害者・性被害者のいずれにもならないために、また不用意な発言などによる炎上を防ぐためにも、正しい知識は不可欠だからだ。
CCOの和田氏は、「小学生、中学生と年齢に合わせて具体的な事例を動画にして見せるほか、女性弁護士などを講師に招いてわかりやすく話してもらいました」と説明する。
現在「ジュニア」の新規加入は見合わせているが、研修施設の確保や防犯カメラの設置など、子どもたちが安心・安全に過ごせる環境は整ったので、近く再開する予定だ。新規加入者の審査や「ジュニア」の育成にあたっても、今後はダンスや歌唱などの評価基準を明示するとしている。「選考・評価のプロセスを透明化することが重要だと考えています」(福田氏)
また改革前の現場は、社員が多忙のあまり大きな仕事の依頼にすら返信できないといったことが頻発していたという。福田氏が組織改革を進めるうえで、最も大きな足かせになったのも人手不足で、「労務問題でいずれ組織が行き詰まっていた可能性が高かった」(福田氏)という。
このため従業員数を209人から263人へと約3割増員し、2025年4月には新卒者20人も入社する予定だ。福田氏は「外からの空気が入ることで、新しい制度も浸透しやすくなるはず」と期待する。
人員補充とともに業務削減も進めている。長時間労働に陥りがちだったマネジャー業務にシフト制を導入したほか、タレントのSNS投稿のチェックと送迎の一部も外部に委託するようになった。「シフト制にしたことで、芸能マネジャーが休みがなかなか取れない昔ながらの付き人的な働き方ではなく、時間的にバランスが取れる働き方ができるようになるのではないかと期待している。人は十分に休めば、クリエイティブな脳がもっと活性化するので、結局は会社にとっていい影響が出てくると考えています」(福田氏)
伝え続ければ文化は変わる 文化としての定着を目指す
「『言われたことを完璧にできる人が優秀』という、オーナー企業ならではのカルチャーを変えること」もミッションの1つだと福田氏は言う。しかし、60年間培われた文化が一夕一朝で変わるはずもなく、設立当初に「どんどん意見を出してほしい」と伝えても、社員の反応はなかった。
そこで毎月全社員を集めてミーティングを開き、経営陣と社員がやり取りできる場を作った。社員の質問を受けて、福田氏が各部門の経営戦略をすべて説明したこともあった。最近は社員から経営陣へ、意見や異論なども出てくるようになったという。
「経営者の仕事は、最後の1人が完全に理解するまで言い続けること。今は、社員が僕にも『それは違うんじゃないか』と指摘してくれるようになりました」(福田氏)
また和田氏は、内部通報制度に月1~2件の通報が寄せられるようになったことについて、「これまでの会社の取り組みを見て『秘密を守ってくれそうだし、改善のために動いてもらえそうだから、通報しよう』という信頼が、社員に生まれているのでは」と手ごたえも感じている。「今後は整えてきた施策を続けて、カルチャーとして定着させることが課題です」と話した。
NHKもタレント起用解禁 ささいな取り組みが成否を分ける
芸能界はいまだにギャラや契約条件について、口約束でうやむやのまま進める慣行が残っている。2019年には吉本興業がタレントと契約書を交わしていないことが明らかになり、世間の批判を受けて書面を交わすよう改めたこともあった。STARTOも「契約書に判を押さないうちは、タレントの衣装合わせもさせない」(福田氏)という姿勢を徹底している。
折しもフリーランス法が2024年11月1日に施行され、企業がフリーランスに業務を依頼するにあたっては取引条件や報酬を明示することが義務づけられた。和田氏は「フリーランス法は当社とタレントの取引にも適用されます。このためテレビ局などのクライアントに文書を送り、出演依頼の際は契約条件や報酬を明示するよう要請しました」と語る。
タレントへの誹謗中傷や著作権侵害に関する通報窓口を設置するなど、権利侵害への対策も強化している。2024年9月にはコンサートチケットなどが高額で違法転売されているとして、転売サイトに出品者数百件分の情報開示請求も行った。「同業他社に追随の動きもあり、いい傾向だと思います。1社が権利侵害や不正行為に対して毅然と対応する姿勢を示せば、業界にもポジティブな効果が生まれるのです」(福田氏)
2024年10月には、NHKとテレビ東京が契約タレントの起用を解禁すると発表し「タレントが自由に活躍できる状態を作る」という公約も着実に達成に向かっている。テレビの音楽番組などで、競合他社とSTARTOのタレントが共演するという、かつてあまりなかった光景も頻繁に見られるようになった。
福田氏がエージェントを務める「のん」さんは、所属する芸能事務所とのトラブルから改名を迫られ、メディア露出が減った時期もある。福田氏は「芸能界にいまだ芸能事務所への忖度が残っているなら、それを正したい」という思いから、取引先と対等な関係を築くことにも努めてきた。「 少なくともこの1年、当社に関しては芸能界特有の悪しき商慣行は僕の知る限り1つも見られなかった。以前に比べれば、業界は開かれてきたと感じます」(福田氏)
予算管理も共有され、紙で行われていた多くの業務がデジタル化された。各部署での権限委譲も行われた。日々の一つひとつの取り組みは「ささいなことかもしれない」と福田氏は言う。「しかし『たったそれだけのこと』ができるかできないかが、実は組織が変われるかどうかを分けるのだと思います」
Text=有馬知子 Photo=今村拓馬
福田淳氏
STARTO ENTERTAINMENT
代表取締役 CEO