Works 187号 特集 組織と不正 その構造的要因を読み解く

コンプライアンスに必要なのは「インテグリティ」 倫理意識というソフト面の強化がカギ

2025年01月16日

企業倫理の実現のために大切なことは何か。経営層がコンプライアンスに取り組むうえで気をつけるべきポイントはどこか。企業社会責任論や経営倫理を研究する経営倫理実践研究センター上席研究員の桑山三恵子氏に聞いた。


茨城県東海村のJCOでの臨界事故時の写真1999年に起きた茨城県東海村のJCOでの臨界事故では、国内で初めて事故被曝による死亡者を出した。
Photo=時事

国内大手自動車各社による量産に不可欠な型式指定認証の不正は、「社会の論理」である法令遵守の意識が、不十分であったと考えます。「社内では過酷な条件で試験を実施しているのだから、国の審査基準の試験をする必要がない」という「社内の論理」を「社会の論理」より優先させたのではないでしょうか。

この問題は業界全体に広がり、2024年7月には、国土交通省が道路運送車両法に基づく是正命令をトヨタ自動車に初めて出しました。日本経済を牽引する産業の1つである自動車業界で不正が発生し、非常に残念です。国際競争力の激化による現場への重圧が背景にあると思います。

私は技術畑出身で、化粧品会社の研究員として商品開発に携わった際には、国の基準、輸出先の国の基準、ブランドにつながる高品質の裏付けとなる社内基準等の複数の基準をクリアする必要がありました。時間もコストもかかりますが、法令による基準の実施は最優先事項でした。

もし、自動車の型式認証の法令に状況の変化により合理的でない課題が生じた場合、自動車業界として監督官庁とコミュニケーションする場があれば、異なる展開になったと考えられ、コミュニケーションの場の設置を提起したいです。また、企業内では、経営と現場との距離感が物理的にも精神的にも遠くなっていたことも要因と考えます。従来の企業不祥事例を見ると、「経営から遠いところに企業不祥事は発生する」ことが多く見られます。要するに、コーポレート・ガバナンスが効いていないということでしょう。

悪い情報ほど早く伝える ミス報告多いと事故の発生が少ない

経営層が、顧客や社員、社会などのさまざまなステークホルダーと向き合ううえで、コンプライアンスが必要なのは言うまでもありませんが、不正や不祥事が発生した後にコンプライアンスを気にしすぎて、社員の言動を過度に制限するようなことが往々にして起こります。むしろ不正や不祥事が起こる前に、現場から経営層へ不正や不祥事の予兆を伝えやすい雰囲気を醸成しておくことが、不正防止のうえでは有効です。

近年、組織不祥事発生後の第三者委員会報告書では、「心理的安全性」が再発防止策の1つとして注目されています。その概念の生みの親であるハーバード・ビジネススクールのエイミー・エドモンドソン教授の著作には、病院の看護師のチームで「ミスをした」という報告が多いチームでは実際の事故の発生が少なく、ミス報告が少ないチームではかえって事故の発生が多かったという論文が紹介されています。ミスの報告をチームのメンバーが共有すれば、各自が気をつけたり、改善策をとったりすることができ、結果として大きな事故にはつながらないことが示唆され、ミスを報告しやすいチームづくりについて解説しています。

また、コンプライアンスの定義にも注意が必要です。日本では法令に加えて社会や社内のルール、規範も幅広く含めることが少なくありませんが、欧米ではコンプライアンスはあくまで「法令遵守」です。企業が社会から求められる組織の誠実さは「インテグリティ」と定義され、近年、日本でもグローバル企業を中心に導入が進んでいます。社員が日々直面しているのはいわば応用問題のようなものですから、すべての行動のルール化は難しい。そんなときに必要になる価値や判断の軸が、「インテグリティ」なのです。

企業の体制整備、20年で進む メンバーの意識づけも不可欠

企業倫理の実践という観点から見ると、日本企業の推進体制整備は、ここ20年間で進んできたといえます。日本経済団体連合会(経団連)では、会員企業・団体に対して、遵守を求める行動原則である企業行動憲章を1991年に制定し、これまでに6回改定しました。特に、2002年には、アメリカの連邦量刑ガイドライン制定の動きを受けて、10か条の守るべき原則をまとめ、経営トップの責任を明示し、「実行の手引き」とともに大幅に改定しました。

当時はJCOの臨界事故、雪印乳業の食中毒事件などの企業不祥事が多発していました。経団連会長であった奥田碩氏(トヨタ自動車元会長)から「産業界の信頼を回復したい」との要請が、当時資生堂社長だった池田守男氏に寄せられ、その指示のもとに、私は、前年に資生堂企業倫理・行動基準を改定した経験を生かし、改定案づくりに参画しました。

さらに経団連では、会長名で会員企業に要請文を送付し、企業倫理行動基準の制定、担当役員の配置や専門委員会、専門部署の設置、継続的な倫理研修の実施や相談窓口設置を要請しました。2010年前後には多くの会員企業で体制が整備され、現在まで「企業倫理推進月間」の設置、継続的な研修などを多くの企業で推進しています。

私は、企業倫理の実現のためには、組織の仕組み(体制)というハード面に加えて、メンバーの倫理意識というソフト面の強化が必要不可欠であり、関係性は、足し算ではなく、かけ算と考えています。ハードが100%構築されても、メンバーの倫理意識がないとかけ算でゼロに、また意欲が高い人がそろっていても、組織の仕組みがなければ持続性がなく、これもゼロになります。両者は車の両輪です。

近年、行動経済学や脳科学の研究の進展により、人間の意思決定は必ずしも合理的ではなく、ヒューリスティック(経験則や先入観などによる思考法)やバイアスが存在することが明らかになりました。人を評価する際にアンコンシャス・バイアスがあることや、「会社のため」「メンバーのため」と考えて不正に手を染める可能性が示唆されています。人の判断には危うさが伴うことを認識し、「組織づくり」と「人づくり」に注力する必要があります。

経営者の皆さんには、経営状況を数字で把握するだけではなく、ぜひ現場に行って、五感を使って課題を察知してほしいと願います。社員が疲れ果てた表情をしていないか、工場や職場の環境はどうか、職場にダイバーシティや心理的安全性は確保されているか、そういう基礎的なところが企業倫理の実現のためには大切なのです。

Text=川口敦子 Photo=桑山氏提供

桑山三恵子氏

経営倫理実践研究センター
上席研究員

修士(経営学)、経営倫理士、薬剤師。資生堂の研究員、商品企画・マーケティング部門管理職、企業倫理室長、CSR 部部長を経験後、一橋大学大学院法学研究科特任教授を経て現職。