Works 187号 特集 組織と不正 その構造的要因を読み解く
「組織不祥事」から「組織不正」の時代へ ルールからの逸脱見える化で起きた変化
コンプライアンスが重視され、法律や規制も整備されているのに、なぜ企業の不正はなくならないのか。不正はどのようなメカニズムで起こるのか。経営学の観点から組織不祥事を研究する経営学者で『 組織不正はいつも正しい』の著者、中原翔氏に聞く。
大手企業による品質不正や業界ぐるみの談合など、今日でも企業が問題を起こしたという報道は後を絶ちません。もし不正が発覚したら、その企業の評判は下がり株価にも影響し、大きなダメージを受けることは明らかです。不正を行わないほうが得策であるにもかかわらず、なぜ企業の不正や不祥事はなくならないのか、不思議に思う人は多いのではないでしょうか。
私自身もそのような関心から組織不祥事の研究を始め、さまざまな事案を見てきました。近年ではその内容が変質しており、不祥事よりも不正が増えているようです。つまり、「組織不祥事」から「組織不正」の時代に入ってきたといえるでしょう。
一般的にはあまり意識して使い分けされていないかもしれませんが、経営学の研究においては、組織不祥事とは、組織が重大な不利益をもたらす「損害や危害」のことを指し、組織不正とは、特定の基準からの「逸脱」を意味します。つまり、組織不祥事では損害や危害といったよくない結果について盛んに議論されるのに対して、組織不正では形式が問題にされます。製造プロセスや認証プロセスの手続きなど、定められた形式から外れていることが問題であり、結果として品質には特に問題が生じていないということもあり得ます。
組織不正が増えてきた背景には、重大な不利益をもたらす不祥事を防ぐために、法令や規制が整備されてきたことが挙げられます。品質基準や製造基準などさまざまなルールが設定されたため、それだけルールからの「逸脱」が見えやすくなってきたということです。
そう考えると、不正が増えているのは、必ずしも悪いこととはいえないでしょう。不祥事に至る前に、基準からのずれが見えるようになったということですから、いかにこのギャップを訂正して最悪の結果を避けるかが大切です。
組織における「正しさ」の暴走が 不正を引き起こす
ただし訂正するといっても、どちらかが正しく、どちらかが間違っていると一概にいえるものではありません。組織不正が起こるメカニズムをひもとくと、個人が悪意を持ってルールを破るケースばかりではなく、実は一人ひとりに悪気はなく、意図せず不正を起こしているケースが少なくないのです。単純なミスやルールへの理解不足という場合もありますが、むしろその組織における「正しい」判断をしていった結果、組織不正につながってしまうことが起こり得るのです。
2024年に自動車メーカー各社で相次いだ認証不正問題では、監督官庁である国土交通省と、企業側との「正しさ」の違いが浮き彫りになりました。国交省は、試験の方法などが法的に定められた基準と異なることを問題視していますが、自動車メーカー側は謝罪しながらも、より厳しい基準を適用しており品質に問題がないことを説明しています。品質を満たしていることと、手続きが法的な要件を満たしていることはまったく別の問題ですが、自動車メーカーからすると、プロセスを二の次にしても品質を満たすという正しさを追求したということになるでしょう。
このような乖離は、省庁と企業との間だけでなく、トップと現場との間にも生じます。組織には、これまで伝統的に作られてきたやり方があり、長い時間をかけて蓄積されてきたものは簡単には変えられません。規制や法令が変わり、「変えよ」と上司から言われたとしても、「この部門では、ずっとこのやり方でやってきたのだから」という気持ちが強く残ってしまうものです。
特に物理的な条件が決まってしまうと、ますます変えることが難しくなります。新しい基準に対応するために生産設備を入れ替える必要が生じた場合、「これまで何も問題がなかったのだから、設備投資をしてまでやり方を変える必要はない」と現場は考えます。コストをかけずに品質を守り、最も効率的な方法でものづくりをするのは、現場にとっては正しいことだからです。
競争環境が激しく、経営的に厳しい状況に置かれると、経営層から各部門に高すぎる目標が課せられることがあり、現場とのギャップはさらに大きくなります。人員を増やす、新しい設備を導入するなどの手当てもないまま、売上を倍にしろ、生産のリードタイムを半減しろと要求されても、現場はどうすることもできません。それでもなんとか目標を達成しようという正しさを求めていった結果、必要な工程を省略したり、会計処理をごまかしたりといった不正へとつながっていくのです。
個人の正しさが起こす社会的雪崩 意識されにくい原因
恐ろしいのは、一人ひとりが正しさを追求していくと、それが積み重なって、組織や社会をつぶしてしまう可能性があることです。私はこれを「社会的雪崩(ソーシャル・アバランチ)」と呼んでいます(下図参照)。
個人が悪意を持って不正に手を染めた場合は、被害が大きくなる前にどこかで発覚するものですが、個人が正しさを求めていくと、周囲にも疑われることなく受け入れられて、いつのまにか組織、社会へと広がっていく。少しずつ雪が降り積もってやがて雪崩が起きるのと同じように、組織や社会に大きなダメージを与えることが起こり得ます。雪崩の原因が正しさゆえに、原因が原因として意識されにくいことが問題です。
だからこそ、やはりときどき立ち止まって、このやり方が本当に適切なのか、法令に適合しているのか、別の視点から正しさを疑ってみることが大切になるでしょう。
Text=瀬戸友子 Photo=中原氏提供
中原翔氏
立命館大学
経営学部 経営学科 准教授
2016年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。大阪産業大学経営学部専任講師を経て、2019年より同学部准教授。2022年から2023年まで同大学学長補佐を担当。2024年より現職。