Works 184号 特集 多様な働き方時代の人権

労働法の進化にみる「働く私たちの人権」

2024年07月04日

近代資本主義の発展のなかで、労働者を失業や困窮から保護してきた労働法。
労働のあり方が多様化する時代、働く人の人権をどう守るのか。
労働法の専門家であり、数多くの政策提言を行ってきた鎌田耕一氏に聞く。


適正な労働条件を確保し、労働者が安心して働くために欠かせないのが労働法だ。

労働法の現在の形は第二次世界大戦後から始まった。戦後の混乱期にまず旧労働組合法(1945年)、労働関係調整法(1946年)、労働基準法(1947年)など主要な労働法が相次いで制定され、基盤が整備された。高度経済成長期には、生活の安定を支える最低賃金法や雇用対策法を制定。1980年代に入ると、雇用における男女平等を目指す男女雇用機会均等法や、人材の流動化を促す労働者派遣法などの新しい法律が成立し、その後も差別解消や労働者の権利保護の観点から度重なる改定が行われた。近年では、長時間労働にメスを入れる働き方改革関連法の制定など、時代の変化を反映しながら進化を続けている。

労働法を専門とする鎌田氏は、「労働法はそのときどきの社会状況を踏まえて発展してきましたが、体系的に見ると、日本国憲法の人権、特に社会的人権の定める内容を理念として作られてきたといえるでしょう」と話す。

たとえば、最低賃金法や労働基準法の労働時間規定は、憲法27条2項「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」に基づいたもので、労働条件の最低基準は、たとえ労使が合意しても引き下げられないことを明らかにしている。憲法28条で定められている「労働三権(団結権、団体交渉権、争議権)」の保障は、労働組合法に反映されている。これは法律で最低基準を保障しながら、適正な労働条件を目指し、立場の弱い労働者が企業と対等に話し合いができるよう、集団で交渉できる権利を確保したものだ。

より基本的な働く権利「勤労権」については、憲法27条1項がすべての国民に保障し、職業安定法で職業紹介や職業指導を通じて労働の機会を与えるとともに、雇用保険法で失業時の生活の安定を図るという形で具体化している。同時に、憲法22条1項は、職業選択の自由を保障している。

また、憲法14条1項で定められた「法の下の平等」の理念を受けて、性別による差別禁止が男女雇用機会均等法に、障がいを理由とした差別禁止が障害者雇用促進法に、年齢による差別禁止が労働施策総合推進法にそれぞれ規定されてきた。

弱い立場の保護、人権との調整、労使の利害対立の緩和も進める

「労働法は当初は女性や子どもなど、最も弱い立場にある人、厳しい状況のなかで本当に困っている特定の人たちを優先的にピンポイントで保護しようという発想で生まれてきました。これは時間の経過とともに、憲法の人権理念との調整も必要になりました」

その象徴的な例の1つが、労働基準法の女性保護規定と憲法における平等原則だ。妊娠・出産の機会のある女性には特別な保護が必要との考えから、制定当初、労働基準法には、時間外・休日労働の制限や夜間労働の禁止などさまざまな女性保護規定が設けられていた。これは、戦前の「工場法」で女性・子どもを優先的に保護の対象としていた流れを受けてのものだ。

しかし、男女雇用機会均等法制定の機運が高まるにつれ、労働基準法の女性保護規定が男女平等の原則に相容れないという議論が起こり、現在は、産前・産後休業など一部の「母性保護規定」を除き、さまざまな制限を撤廃することで整合性を取ってきた。

また、現実の社会の変化とともに労働法と人権理念との齟齬も生じる。近年、注目されているフリーランスの問題もその1つだ。憲法はすべての国民を対象としているが、労働法は「労働者」を保護するものであるため、個人事業主であるフリーランスには適用されない。実態として限りなく「労働者」に近い働き方をしていても、法的には対象外になるという齟齬が生まれてしまう。紛争や訴訟がたびたび起こるなど働く側が声を上げ始め、2023年、特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律(フリーランス新法)が制定された。

労働法は、労働者の人権を保障するという側面だけではなく、労働者と企業の利害対立を緩和する仕組みも提供していることに留意が必要だ。「産業の安定的発展も重要で、労働法は労使が衝突しないようにその利益を調整する役割を同時に担ってきました」

非正規雇用の無期転換ルール(有期契約を一定期間継続した労働者に無期契約への転換を認める)が新設された、2013年施行の改正労働契約法もそうだ。その狙いは、長期で契約更新している有期雇用者の雇い止めに対する不安を解消し、安心して働き続けられる環境を整備するというもの。当時、鎌田氏は厚生労働省の「有期労働契約研究会」(2010年)の座長を務めていたが、大きく意見は割れていたという。労働者の希望で無期転換できるというのは、企業側から見れば不景気のときに労働者数を調整できないことになり、また、無期転換の申し込みがあれば企業がそれを承諾したとみなされるのは、契約の強制にあたり、「憲法に定められた採用の自由に反する」と反発が大きかった。

これに対して、労働者側からは、「無期転換ルールを課すことで、無期転換権発生前に雇い止めをする動きが発生し得る。有期雇用自体をなくすべき」と批判する人々もいた。条件についてもさまざまな意見が出たが、最終的に無期転換は「契約期間が5年を超えており、本人から申し出があった場合」に落ち着き、無期転換権発生直前の雇い止めは望ましくないとされた。

施行後、懸念されていたように無期転換直前の雇い止めを行う企業も実際に出てきて、裁判で争われている。だからといって有期契約を原則禁止すればよいという単純な話でもないという。「さまざまな制約のなかで、すっきりと割り切れない部分は確かにあるものの、時間をかけて法改正を図るなどして、少しずつ前進していくほかないのです」

労働法と人権の関係を考えるとき、現在広まりつつあるビジネスと人権に関する国際的な潮流は、「これまでの労働法の概念を超えるもので、大きな衝撃だった」と鎌田氏は言う。

戦後の労働法の制定・改正による労働者の権利保護と拡大戦後の労働法の制定・改正による労働者の権利保護と拡大の年表出所:鎌田氏、松原哲也(リクルートワークス研究所客員研究員)作成

個人の主体的なキャリア形成を
生かす労働市場の構築が重要

これまでは、人権は基本的に国が保障するものであり、そのうえで企業は労働法に基づき、雇用している労働者の人権を守らなくてはいけないとされた。ところが、海外も含むサプライチェーンにおける関係企業の労働者の人権についても、発注企業が責任を負うべきだというまったく新しい考え方が生まれたのである。2020年に政府が策定した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」によれば、企業は、自社およびサプライヤーなどが労働者の人権に対して「負の影響」を引き起こしている場合には、法的拘束力はないが、その軽減と回復が求められる。

最近では、少子高齢化やデジタル技術の発展に伴い国内の雇用環境や労使関係も大きく変わってきた。労働力不足を背景に、企業は求職者ニーズに寄り添う動きを見せ、また、長年、我が国の雇用社会の基盤となってきた日本型雇用システムも崩れつつある。

「辞令1枚で見知らぬ土地に転勤になったり、まったく希望しない職種に異動になったりするのは、個人にとって生活設計、そして主体的なキャリア形成を制約するもので、憲法の人権尊重の理念と相容れない行為といえるでしょう。それがまかり通ってきたのは、これまでは雇用を保障する代わりに、会社が広範な人事権を持つことに一定の合理性があるとされてきたからです。それも今や特に若い人たちには通用しなくなっていると思います」

こうした動きも受け、労働法のなかでも、法政大学名誉教授の諏訪康雄氏が提唱した「キャリア権」という考え方が注目されるようになってきたという。これは、個人の主体的なキャリア形成を可能とする仕組みづくりを求める権利のことだ。個人の主体性を尊重し、生涯を通じたキャリア形成の機会を確保するという点で、憲法13条で保障する幸福追求権から派生した権利といえる。

「これまでのように、立場が弱い特定の対象を保護するという発想だけではなく、自分の希望やライフステージに応じて、誰もが自由に働き方を選んでキャリアを作っていけるように、キャリアを生かす労働市場を構築することが重要です。キャリア権は、これからの時代の労働法の理論的土台になり得る考え方です」

ただし、キャリア権に対する企業の抵抗は小さくない。ジョブ型雇用への転換を図る企業であっても、人事権は手放したくないというケースが多いという。「日本的雇用システムへの執着はいまだに根強い」と鎌田氏も感じている。

それでも、大きな環境変化のなかで、労働法は転換点にきている。「2023年6月に政府が出した『三位一体の労働市場改革』の指針もその表れ」と、鎌田氏は言う。時代の要請を反映して発展してきた労働法の歴史を振り返ると、次のステージに向けた進化は既に動き出しているかもしれない。

Text=瀬戸友子 Photo=鎌田氏提供

鎌田耕一氏

東洋大学 名誉教授

中央大学大学院法学研究科博士前期課程修了(法学修士)。釧路公立大学経済学部教授、流通経済大学法学部教授、東洋大学法学部教授を経て現職。