Works 184号 特集 多様な働き方時代の人権

企業の高収益の裏に潜む人権リスク 人権対応は経営の最優先事項に

2024年07月04日

ビジネスと人権は、経営の優先課題となりつつある。
世界に後れを取っているといわれる日本企業の現在地と、取り組むべき課題について、企業の人権対応に詳しいオウルズコンサルティンググループの石井麻梨氏に聞く。


「日本でも人権対応に取り組む企業が増えてきましたが、残念ながらまだまだ世界的に見ると後れを取っているのが現状です。企業人権ベンチマーク(CHRB)という国際ランキングでも、日本企業は軒並み低スコアに甘んじています」

オウルズコンサルティンググループの石井氏は、日本企業の現状をこう説明する。ESG投資やSDGsの考え方は浸透してきたが、総じて環境への関心ほど人権への関心は高くないという。「人権リスクは、途上国での児童労働や強制労働など、主に海外で起きている問題であり、自社には関係ない」という意識もいまだに残っている。しかし実は、あらゆる企業が人権侵害の当事者になり得るのだ。

「当社の調べでは、2009年から2019年までの間で、日本企業の売り上げは横ばい、利益は5倍に増加していました。日本企業がこの10年間、いかにコスト削減を突き詰めてきたかがわかります。その裏では『もっと安くできないか』という圧力がサプライヤーにかかり、影響は2次、3次サプライヤーへと及んでいく。厳しい締め付けのなかで、さまざまな人権リスクが発生していることは十分に考えられます」

裏を返せば、高収益の企業ほど、見えない人権リスクを抱えている可能性もある。今やビジネスと人権の問題を正しく理解し、当事者として取り組んでいくことは、企業の存続にも関わる重要事項になっている。

環境問題と異なり人権リスクはオフセットできない

では、人権リスクとは何か。日本企業のなかには、「人権リスク=ビジネスリスク」と誤解しているところも少なくないという。人権が重要な経営テーマであることは確かだが、「本来は、人権リスクはビジネスリスクと同義ではない」と石井氏は明言する。

「サプライチェーンでの児童労働が発覚したことによって、不買運動が起きて売り上げが下がってしまうこともリスクには違いありませんが、それよりもずっと重く見るべきリスクは、労働させられた子どもの時間や機会が奪われてしまうこと。これは一度失ったら、二度と取り戻すことはできません。環境問題と違い、人権はオフセットできない。環境ではCO2を排出した分、植林をして相殺することもできますが、人権では、児童労働をさせた代わりに社会貢献活動をして埋め合わせるというわけにはいかないのです」

また、「人権リスク=コンプライアンス違反」という誤解も多い。しかし最近では、法令に違反していなくても、経営者の発言や広告表現など企業のメッセージが差別的だと受け止められて炎上するケースも見られる。採用選考にAIを活用した結果、特定の層が差別されてしまったなど、新しいテクノロジーが開発され、法律が整備されていない領域で人権侵害が起きてしまう恐れもある。特に日本は法令遵守の意識が強い分、法令で捉えきれないリスクは見落とされがちなので、注意を要する。

今や企業が配慮すべき人権リスクは多岐にわたり、業種や業態、サプライチェーンの構造によって着目すべきポイントは異なる。

たとえば製造業であれば、海外の原材料調達先での児童労働や強制労働、現場の労働安全衛生などには特に留意すべきだろう。サービス産業でいえば、納期の短さが従業員や発注先の長時間労働を引き起こす、商業施設とテナントの力関係のなかでハラスメントが起きるなどのケースもある。

「身近なところで見過ごされている人権リスクはたくさんあります。たとえば転勤の問題。本人の意思を無視した辞令は、居住移転の自由を侵害する行為にあたるかもしれません。多様な働き方が広がっているなかで、今後は業務委託した個人事業主など、新たなステークホルダーとの関係にも配慮が必要になってくるでしょう」

人権への積極的な取り組みが新たな価値を生み出す

企業が配慮すべき主な「職場での人権リスク」例企業が配慮すべき主な「職場での人権リスク」例出所:オウルズコンサルティンググループ資料より編集部が一部抜粋・改変

人権リスクをオフセットできない以上、まず企業には「害をなさない」という守りの対応が必要になる。企業が行うべき具体的な対応として、国連の指導原則では、人権方針の策定、人権デューデリジェンスの実施、是正措置の3つを定めている。人権デューデリジェンスとは、自社が引き起こし得る人権リスクを洗い出したうえで深刻度と発生可能性に基づいて優先度をつけ、重要リスクの防止・軽減に向けた対策を実行し、その状況を評価、情報開示していくという一連のプロセスを指す。

「対応を進めるうえで大切なのは、経営層がしっかりとコミットして、全社的な体制で推進していくことです。海外投資家の間では、取締役会に人権の専門家がいるかどうかを評価項目に加える動きも出てきています。ただ、最も重視されるのは、どういう仕組みを構築しているかよりも、その仕組みをどう回しているかです。情報開示についても、日本企業は取り組みに一定の結果が出るまで公表をためらうケースが多いのですが、欧米企業は、進行中であっても自社の取り組みを積極的に開示しています」

実は人権対応に積極的に取り組むことは、新たなビジネスの創出にもつながる。今や「人権」は、日本企業の国際競争力を左右する「品質」の1つといえるのだ。
「たとえば不動産サービス業のLIFULLは、外国人やLGBTQ+など賃貸の入居を断られやすい『住宅弱者』と呼ばれる方々と不動産会社をつなぐサービスを提供しています。既存の製品・サービスにマイノリティの視点を入れることで今までになかったものが生まれる可能性がある。これからは守りの対応は取り組んで当然のものとされ、攻めの人権対応が企業の勝敗を分けると考えています」

Text=瀬戸友子 Photo=オウルズコンサルティンググループ提供

石井麻梨氏

オウルズコンサルティンググループ
マネジャー

内閣府、財務省(内閣府より出向)、デロイト トーマツ コンサルティングを経て現職。近年は企業の「ビジネスと人権」対応支援などのプロジェクトに数多く従事。