「集積の経済」により地方都市を大都市に。全体最適化には価値観の転換が必要――中川雅之氏

2024年09月25日

人口減少対策として多くの市町村が取り組むコンパクトシティ化は、労働力不足の解消や経済発展の側面でどこまで有効なのか。コンパクトシティの発想の根幹をなす「集積の経済」について、都市経済に詳しい日本大学中川雅之教授に都市最適化の理論や高齢者の移住促進、国の過疎化政策のあり方などを伺った。

中川雅之教授の写真中川 雅之(なかがわ・まさゆき)氏プロフィール
日本大学経済学部教授。1984年京都大学経済学部卒業。経済学博士(大阪大学)。1984年建設省入省後、大阪大学社会経済研究所助教授、国土交通省都市開発融資推進官などを経て、2004年から現職。国家戦略特別区域諮問会議議員。日本計画行政学会会長、日本公共政策学会会長に就任。主な著書・論文に『都市住宅政策の経済分析』(2003年、日本評論社。2003年度日経・経済図書文化賞、2003年NIRA大来政策研究賞受賞)、『経済学で考える人口減少時代の住宅土地問題』(山崎福壽との共著。2020年、東洋経済新報社)、『財政学への招待』(2022年、新世社)、“Earthquake risks and land prices: Evidence from the Tokyo Metropolitan Area” (Masayuki Nakagawa, Makoto Saito, and Hisaki Yamaga, Japanese Economic Review, 2009)がある。

都市は最適化に向かうが、集積を保ちながら縮小することは困難

――日本の人口は2008年の1億2,808万人をピークに減少局面に転じています。これに伴い、特に地域の労働力不足が深刻化するなかで、先生はどのようなアプローチが求められると考えていますか。

生産性から考えると、私たちの豊かな生活を支える付加価値生産は、長期的には労働力や資本、技術をどれだけ投入できるかという、生産関数の中で決まっていきます。人口減少による労働力不足の対策としては、女性や高齢者の付加価値生産への関与を強化する、あるいは人力をテクノロジーに代替する、といったことが非常に重要で一定の効果がありますが、都市政策などのマクロな視点では、総量として投入する労働力の減少は止まらないと見ています。とりわけ地方部の人口減少は激しく、また労働力にならない高齢者層の増加も深刻化する一方です。

地方の人口減少と高齢化が止まらないという前提に立つと、どんな対策が考えられるのか。少なくとも一定規模の土地に人を集めることは可能です。労働力のマッチングをはじめ、多様な人との出会いや有機的な結び付き、またいろいろな情報を共有するなかで次々とイノベーションが生まれる「情報スピルオーバー」のメカニズムが機能するのも集積した環境の中でこそです。公共財や公共サービスにしても、多くの住民がシェアリングするほど財政的にも効率化できます。コンパクトシティの発想の根本にあるのはこうした考え方であり、私も日本全体でそうした「集積の経済」を進めていくことが必要ではないかと思っています。

――「集積の経済」を進めるにあたり、障壁となる問題はなんでしょうか。

1960年代から70年代にかけての人口上昇局面では、国も地方公共団体も、キャパシティを最大化する方向で建造物の開発やインフラ整備などのまちづくりに取り組んできました。人口増加を前提に都市計画を行ったため、最初はかなり狭く設定していた市街化区域を徐々に広げていくといった、いわば「秩序だった拡大」を誘導する政策技術がそれなりに確立されてきたわけです。都市経済学の都市システム論では、最適な生産体制を維持する都市の人口規模や空間の範囲は、自然に形成されるという考え方があります。過密化により非効率になれば、受け皿としてまた新たに都市が形成されるので、生産体制は効率的なまま維持されます。実際に人口上昇局面では、新しい都市がどんどん生まれました。

しかし人口の減少は、郊外から順に人が消えるわけではありません。基本的に人口減少の主要因はいわゆる自然減と若者の流出で、ランダムに減っていきます。そうすると人口がマックスの状態でつくられたかつての都市の器(うつわ)は、かなりスカスカな状態になりますね。先ほどの都市システム論でいうと、人口減少局面では過疎化した都市同士の合併や、人の移動が促されることにより、最適な生産体制、生産規模は維持されるはずです。しかし私たちは都市を縮小させる、あるいは消滅させるという政策技術を、少なくとも現時点では持っておりません。立地適正化計画などはありますが緩やかな効果しかなく、集積を保ったまま都市を縮小することがなかなか難しい状況です。

高齢者の移動を促進するには、高齢者政策の根幹をなす「哲学」のシフトチェンジが必要

――コンパクト化の難しさについて、もう少しお聞かせください。最適化を阻んでいるのは、市町村の統廃合や人の移動がうまくいかないという理由もあるのでしょうか。

市町村合併は確かに一つの解ですが、平成の大合併で多くの自治体が苦労した中、市町村の首長も国も、おそらく再びやりたいとは考えないでしょう。より現実的に考えると、立地適正化計画のようにコンパクト化を進めるスキームを、市町村が連携しやすいものに変えていくことが重要ではないかと考えています。

人の移転に関しては、人口増加局面よりも減少局面の方が難しいのは確かです。特に人生の大半を地域のネットワークとの結び付きで生きてきた高齢者は、いくら過疎化が進もうとなかなかその地を離れる決断ができません。そうした方々にどうやって他の土地に移ってもらい、旧知のコミュニティから離れる痛みをどのように緩和していくか。非常に大きい問題だと思います。また、移動が難しいのはお金の関係もあります。日本人の資産形成は不動産が圧倒的に多いのですが、それなりに標準化・規格化されているマンションはともかく、過疎地域の戸建住宅にほとんど資産価値はありません。移転というのは資産交換の側面もありますので、お金がないから移転できないという現実もあります。

――ただ、暮らしの利便性という面では、むしろ高齢者が都市部に居住する方が望ましいと思います。コミュニティの形成とお金の問題がクリアできれば、そうした動きは見込めるでしょうか。

一定程度は見込めると思います。現に私の故郷の秋田市では、中心市街地にタワーマンションが建ち、高齢の方もかなり居住しています。公共交通のインフラが整備され、買物も困らないし医療機関も増えました。面白いのは当初、商業地として復活させるために再開発を進めていたのが、商業としては付加価値生産に適さないことが明らかになり、現在の形に変更した点です。集積地の一区画などを利用転換することにより、街全体の効率性を上げていく動きも進みつつあると思います。

――高齢者の移動にかかるコストを公的に補助してもいいかもしれません。補助金を出す地方自治体も見られますが、全国的な制度はありますか。

特に成功と言えるものは、現時点ではあまりないかと思います。個別補助ではなく自治体への交付金事業としては「日本版CCRC」という試みが提唱されていますが、ほとんど根付いていません。CCRC(Continuing Care Retirement Community)とはアメリカで始まった概念で、高齢者が健康な段階で移住し、生涯安心・安全に暮らせるよう手厚いケアが受けられる生活共同体のことです。日本版CCRCは、東京圏をはじめとする大都市圏の高齢者に地方部に移住してもらい、そこでQOL(Quality Of Life)の高い生活をしていただきましょうという構想で、富裕層を対象とするアメリカと違い普通の世帯を想定しています。なぜこうした制度設計になったかというと、高齢化の問題で深刻なのは、東京・大都市圏における将来的な高齢者人口の爆発だと予想されるからです。高齢者が何十万人、何百万人も増加すると、介護や医療、福祉サービスのキャパが圧倒的に不足してしまいます。効率性という点ではよく考えられた構想ですが、元気なうちに移住していただくのが基本コンセプトですから、介護が必要になったときの財政負担を考えると受け入れる自治体が二の足を踏んでしまうのが、根付かない理由かもしれません。

――コンパクトシティ化を進める自治体でも、市街地への移住を促進するため家賃補助や事業所の開設支援などを行っていますが、効果は限定的だと聞いています。税制上の優遇措置を講じるなど、もっと抜本的な政策が求められるのかもしれません。

そうですね。特に介護、医療、福祉は労働集約型のサービスですので、効率性を上げる意味でも高齢者に集まっていただくことが望ましいのは自明です。私たち経済学者も基本的にはそう考えています。ただ、税の優遇といった全国的な措置を講じるには、それ以前に理念的な部分で乗り越えなければならないハードルがあります。それは、高齢者がどんな状態になっても住み慣れた自宅や地域で、安心して自分らしく最期まで生活する、という「エイジング・イン・プレイス」の考え方です。これは高齢者ケアの理念として世界的な潮流になりつつあるので致し方ない面もあるのですが、我が国もこの考え方に立脚し、地域包括ケアシステムなどを推進しています。つまり、高齢者の移動を全く前提にしていないのですね。少なくとも国は、集積を促進する立場にはありません。もちろん私もエイジング・イン・プレイスが望ましいのは理解していますが、全国どこでもエイジング・イン・プレイスのまちづくりができるかといえば、不可能と答えざるを得ません。個人の幸せを優先するのか、それとも全体最適化か、という、ある種哲学的な議論になりますが、国もどこかでパラダイムシフトを宣言しなければいけないと思います。

ブロック中心都市を大都市化するのが存続の方程式。市町村を超えた連携が不可欠

――公共サービスの労働力不足についてもお伺いします。現状、地方公共団体において、特に技術系の職員が圧倒的に足りないと聞いていますが、先生の視点からはどうお考えでしょうか。

現在の地域人口に比べて、高度成長期につくられたライフラインのインフラは明らかに供給過剰です。しかし水道や電気などは、1人でも住んでいる地域には供給しなければならず、これが行政職員の労働力不足を招く一因に繋がっています。コンパクト化した暁にはインフラも集約すれば、それなりの人員で回していけるでしょう。そうした面でも、まちのコンパクト化が一つの解決策なのです。

ただし、コンパクト化するまでの移行期間に、専門性の高い技術人材がかなり不足する問題は考えなければいけません。公務員をどんどん採用するのは難しいでしょうから、一つの参考事例として地方共同法人日本下水道事業団の成り立ちを紹介します。日本下水道事業団は下水道技術者のプール機関として1972年に設置された下水道事業センターが前身です。全国的に下水道を整備しようとしたときに、技術者が圧倒的に足らず、国や大学にもいない。ではどこにいたかというと、横浜や大阪、京都など、下水道整備が進んでいた指定都市です。そこで指定都市の技術者を集約し、必要に応じて地方公共団体の下水道事業を受託する仕組みをつくりました。地域によっては派遣の形が適しているところもあるかもしれませんが、いずれにせよ「供給源」をどこかに設ける仕組み化はあってしかるべきと考えています。

――市町村単位を超えた連携の仕組みですね。

都市政策や都市計画の決定権限を持つのは市町村長です。彼らのインセンティブは自分の地域を維持することにあり、集積化にはほとんど関心がありません。しかしまず認識しなければならないのは、人口減少が進むなかで全国1,700の市町村が維持できるわけがないという、厳然たる事実です。日本の人口は、100年後には3,000万人から5,000万人程度まで減少すると予測されています。3,000万人は江戸時代中期以降の人口規模で、もしそうなったらどこの都市が残るかという研究を京都大学の森知也教授が学会で発表されたことがあります。東京と福岡の2つしか残らないという、衝撃的な結論でした。大阪や名古屋は東京に近いため吸収されてしまうのです。100年後の遠い先の話ですが、少なくとも自分の地域が消滅する危機感はリアルに抱いておいてほしいと思います。

また、市町村というのは行政単位に過ぎません。居住する地域と仕事場、買い物などに行く地域がまたがるのは特に都市では普通のことで、都市経済学では雇用を基準に都市圏を定義する「都市雇用圏」が有名です。中心都市と周辺の郊外市町村を一定の基準によりまとめたもので、100から200のブロックで日本の総人口の9割以上をカバーしています。よく「東京一極集中」と言われますが、実際には地方のブロック中心都市に人が集まってくるので、関連する市町村が連携して就業機会を増やし、さらに雇用の創出、生活インフラの充実などによる「大都市化」に取り組むことが望ましいと考えています。集積を促進しなければ立ちゆかないほどの人口減少に見舞われている第一の国は、日本です。今こそ、前例のない試みに挑む機運を醸成する時期かと思います。

聞き手:坂本貴志
執筆:稲田真木子

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