コンパクトシティ化の推進と同時に地域の課題を発見し、仕事化することが重要 ――饗庭 伸 氏

2024年08月26日

人口減少とともに地域の労働力不足が深刻化するなかで、移動や購買、介護などのサービス品質の担保、道路や上下水道などのインフラのメンテナンスは誰がどのように担っていくのか。人口減少時代の都市計画やコンパクトシティの取り組みに詳しい東京都立大学の饗庭伸教授に、今後の都市計画の方向性やインフラの維持、コミュニティのあり方などを伺った。

aiba_photo饗庭 伸(あいば・しん)氏 プロフィール
東京都立大学 都市環境学部 都市政策科学科 教授。都市の計画とデザイン、そのための市民参加手法、市民自治の制度、NPOなどについて研究を行っている。近年のテーマとしては、震災復興に関する研究、人口減少時代における都市計画のあり方に関する研究、東アジア諸国のまちづくりに関する研究を行っており、国内各地の現場(岩手県大船渡市、山形県鶴岡市、東京都世田谷区明大前駅前地区、中央区晴海地区、日野市、国立市など)において、実際のまちづくりに専門家として関わり、それに必要なまちづくりの技術開発も行っている。

コンパクトシティ化はゆっくりと進行する

――先生は地域の人口が減少していく際、地域に空き家や空き地などの小さい穴が少しずつあいていき、街全体が低密化していく現象を「スポンジ化」と表現されています。スポンジ化すると経済効率の面でどんな影響がありますか?

エネルギーや下水道などのインフラについて言えば、面積あたりの利用者が減るので経済効率は当然下がります。全体を集約してサービスを提供する方が低コストで効率的なのは明らかで、住宅を中心部に集めてコンパクトシティ化するのに越したことはないというのが僕の立場です。しかしながら、空き家は郊外よりも先に形成された中央部で増えてスポンジ化していくので、コンパクト化を進める際にはそうした実態を前提に空間を調整する必要があります。

ただ、スポンジ化は悪いことばかりではありません。例えば空き家の有効活用もその一つ。都心に住むのも新築マンションを買って住むのでなく、親が住んでいた空き家を改造して住めば住宅コストが抑えられます。その分を教育費やレジャーに回すというふうに資金の使いみちの選択肢が増えていきます。また、空き家を利用してお店を始めるとか事務所を立ち上げるとかすれば、起業時の空間調達のコストが抑えられるというメリットもあります。最近はパンのネット販売など場所を問わずに始められるので、空間的な障壁はさらに低くなっています。こうしたことは長い目で見れば経済の活性化に繋がると思います。

――一方で例えば訪問看護・介護のようなサービスの場合、ある程度利用者が密集していた方が事業者としては効率的に運営が可能なのではないでしょうか?

確かにコンパクトシティの問題意識は、スポンジ化するとサービスの密度が薄まって効率が悪くなるといったところにあります。理屈では、病院や福祉施設を適正に再配置することが必要であると考えますよね。ところが実際にある人口10万人ぐらいの町でコンパクトシティの計画を手伝ったことがあるのですが、地元の医師会とかにヒアリングに行くと、「僕らは車で患者さんの家に行くだけなので、病院の配置を変えてもあまり変わりません」と言われました。

また、ある町の介護事業所の状況を研究室の学生が調査したところ、やはりかなり遠い距離をケアワーカーが訪問していて効率が悪いと思うのですが、当人はあまり気にしていないし利用者も満足しているという実態がありました。理屈よりも、長年かけてつくり上げてきた関係が優先され、少々の不合理性は自動車の利便性がカバーしてしまうということです。現場では効率性ということがそこまでクリティカル(危機的)な問題として発生するわけではないのかもしれません。今後世代交代で若い医療関係者がより合理的な判断をするようになって、50~100年のレンジで病院が集中化していくことはあるかもしれません。しかし、短期的にはおそらくそういうことにはならないでしょう。

都市計画の使命は、より身近で小さな課題を、空間を使って解くこと

――地方においてスポンジ化が進むと過疎化、やがては「消滅可能性都市」と言われるように衰退・消滅していくのでしょうか?

都市はそんなに簡単には消滅しません。日本全体では2008年から人口減少が始まったと言われていますが、それ以前から縮小が始まった1万人以上の都市でも消滅した例はまだありません。もちろん、例外的に戦争や災害などによる短期的な破壊、人口減少はありえます。

基本的に人口が減る要因は死亡による自然減か、引っ越しなどの移動による社会減です。転職などに伴う移転は一定数ありますが、日本人の多くは住宅を購入するとそこに30~40年住み続けます。ですから減少のペースは非常にゆっくりとしていて、本当に消滅するとすればおそらく100~150年後になるでしょう。その間に例えば町の人口が半分ぐらいになって2軒に1軒が空き家になるという状況はありうるかもしれません。ですから、そうなった時に町に残った人たちが豊かに暮らせるように都市をどうデザインするかが大事だと考えています。

――スポンジ化していく局面における都市計画で、先生が特に大切にされていることを教えてください。

近代の都市計画はイギリスから始まりました。産業革命でロンドンの中心部が住工混在となって密度が高まり、衛生状態が悪くなるなどの弊害をどう解決するかというのが都市計画の起こりとされています。ですから、都市に集中する人をどうさばくかというのが都市計画の最大のテーマで、日本においても明治維新後に都心部の人口が爆発的に増えて、スラム化を防ぐために街を改造していったという経緯があります。

それが2008年を境に人口が減り始めて都市への集中という大きな課題がなくなりました。それで今度は人口減少が課題というふうに言われているわけですが、僕はむしろ都市空間がゆったりしてくることのメリットに注目しています。昔は日本の住宅が「ウサギ小屋」と揶揄されていたわけで、これからはもっと空間の余裕がある都市生活に進化していくべきだと思います。そのときの都市計画の役割は、余った空間を使って、さまざまな社会の課題を解決していくこと、例えば不登校気味の子供をサポートする空間とか、独居老人の見守りをする空間とか、より身近で小さな課題を、空間を使って解決していくことだと考えています。例えば空き家を活用して福祉作業所や素敵なシェアハウス、共同農園を造るなど、土地オーナーやユーザーにとどまらず周囲の人々も豊かにするということを重視しています。

公助や先端技術に全面依存せず、自前で修復できる仕組みへ

――日本中に張り巡らされた道路、水道などインフラの老朽化やこれらを将来的にどう維持していくかも大きな課題です。

まず優先順位を付けることが大事です。万が一崩壊してしまうと悲惨な状況が生じる「橋」や「トンネル」は重点的に取り組む必要があります。逆に道路は表面がガタガタしてきたり、隙間から草が生えてきたりするという程度の話なのでそこまで急がなくてもいい。人口減で税収が減り、予算にも限りがあるので各自治体で優先順位の議論を十分にする必要があります。電気、ガスなどエネルギー系や下水道については、太陽光発電など自然エネルギーの活用によるオフグリッド(自給自足)化や生活排水を循環再利用するオフグリッド住宅の登場など、技術で解決できる部分もあるので、僕はそこまで深刻に捉えていません。

――交通インフラについてはコミュニティバスの運行などが都市計画に盛り込まれていますが、肝心の運転手が不足しています。

都市計画では人材不足の問題を考えたことがなく、これまでは鉄道とバスに資本を投下して公共交通機能を維持しよう、ということくらいしか考えていませんでした。ところが最近、どれだけ求人を出しても運転手がいないというのがはっきりしてきて、都市計画の前提が崩れてしまいました。北海道では燃料輸送を担うトラックの運転手がいないせいで海外からのチャーター便を呼び込めない事態も生じています。これまで労働市場の動向把握は都市計画の範囲外で、計画する側が全体を俯瞰できていなかったことが原因です。バス会社もドライバーの給与アップなどに取り組んでいますが、意思決定するのに時間がかかり過ぎると運行を維持できなくなるケースも出てくるでしょう。今後はその市の都市計画を検討するときに、バス会社の乗務員の年齢構成を見てから議論を進めたり、乗務員の給料が上がるような施策をあわせて講じたりすることも視野に入れないといけないでしょう。

――自動運転などのテクノロジーを都市空間に導入することは解決策になりませんか?

徐々にそういう方向になっていくと思いますが、技術が高度化して壊れたら誰も手が出せないという状態は都市機能として脆弱だと思います。不具合があったり故障したりしたときに、一定のスキルを持った人材が自力で直せるような状態にしておくべきです。上下水道なども壊れたら地域の人が応急処置をできるようにしておく。僕はDIYが好きで、何でも自分でつくる派なのですが、労働市場に左右されずにコミュニティなどが自前である程度できるようにすること。そうなればシステムとして強い町にできると思います。能登半島地震で被害のあった一部地域では、上下水道の配管を緊急避難的に露出配管にしているそうですが、壊れても土を掘り返さないでよいので、その方が修理しやすいですよね。前もってそんなふうに自前で修復できる仕組みに変えていくことが必要だと僕は考えています。

地域の課題を発見し、仕事化する「過疎地脳」を持つべし

――先生は都市がスポンジ化するなかで、地域コミュニティが復活していくかもしれないとおっしゃっています。

はい。ただ、コミュニティが活性化するためには単に「ご近所同士で仲良くしましょう」というのではなく、共同で取り組む仕事があるかどうかが大事だと思います。例えば道路わきの草刈りをするとか、お年寄りの家の雪下ろしをするとか、半ば強制的・継続的に取り組むべき仕事があること。その作業を通じて「あの人はもう腰が立たない」とか「あの若いもん、こういうときは頑張るな」という具合にお互いの状態を把握し合えることが大切です。そんなコミュニティならばいざ下水道を直そうというときに「あの家にユンボがあるから相談しよう」とか、運転手がいなくてバス路線が廃止となったときでも「みんなでワゴン車を買って回そうか」というふうに回復力が期待できます。行政や市場の力に頼り過ぎずに住民がポジティブに意識転換することが理想ですが、実際は「行政は何もしてくれないから」とか「業者がつかまらないから」というふうに、根底に怒りを抱えた状態で意識転換するパターンが増えているような気がします。

――実際にそのように地域の人たちが課題を「仕事化」している例を教えてください。

先日、奥能登に行きましたが珠洲市などは震災以前から過疎化が深刻化していて自助・共助の意識が高いです。はなから行政が助けに来てくれることを期待していないという印象で、食料も海や山から取ってくるとか道路が寸断されても自給自足されていました。ただし、断水だけは解決が難しく、ボランティアも立ち入れない状況でした。この点については先ほども言ったように地上に配管が出ているとか、地域で回復可能な仕組みをつくれないかと考えているところです。

他の地方のある村では公園のトイレが和式トイレだったそうですが、これを何とかしたいと移住組の住民が洋式に替えるプロジェクトを立ち上げた例を聞きました。それまで分断されていた移住組と地元住民が一緒に取り組んだことをきっかけにコミュニティが活性化したそうです。このように自力で地域の課題を発見して、仕事化する「過疎地脳」にみんなが切り替わっていけば、コミュニティがいいループに入っていくのではないかと思います。

――スポンジ化する地域で豊かに暮らすために私たちはどうあるべきでしょう?

前述したようにこれからは都市が過密化するという大きな問題がなくなります。そうなると、より細かい、個別的な課題にどう対応するかという発想に変わっていくでしょう。そういう状況において誰もが公共的な視点で課題を発見できて、政府が提供する資源、民間が提供する資源、コミュニティから掘り起こせる資源を柔軟に組み合わせて、課題解決に取り組める状態にある、というのが理想的な姿です。技術や製品は発達した民間市場からもたらされ、財源は政府からもたらされる、空間の資源はコミュニティのなかから発見されるといった具合に、政府、市場、コミュニティの得手不得手がありますから、それらの3つの世界をちゃんと繋げられることが非常に大事だと僕は考えています。

聞き手:坂本貴志
執筆:高山淳

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