「守り」中心の法整備、人材育成に投資し「良い流動化」を生み出す政策へ転換を――山田 久氏・法政大学経営大学院教授
労働人口の減少、特に無限定な働き方が可能な現役男性の減少が加速する中、日本的な「就社型」の雇用システムも大きく揺らいでいる。雇用システムがどのように変化するか、そしてシステムを支える労働法制はどうあるべきかについて、法政大学経営大学院教授の山田久氏に聞いた。
労働時間の上限規制の背景に現役男性の減少 女性活躍が必要に
―労働市場の現状をどう捉えていますか。
日本の労働市場では、従来中核的な労働力を担ってきた現役男性の減少が、「就社型」の雇用システムに破壊的なインパクトをもたらしています。
日本企業は、時間や場所の制約を受けずに働ける正社員、主に現役男性を前提として機能してきたため、現役男性の数が大きく減ると維持できなくなります。労働時間や解雇などに関する法制度も、無限定の正社員をモデルとする古い社会を前提に整備されてきたため、根本から揺らいでいます。
―経済の持続可能性を高めるには、現役男性以外の人に働いてもらう必要性が高まっているということですね。こうした変化に伴い、法律や雇用システムにも変わる兆しは見られますか。
例えば労働基準法の時間外労働に上限規制が設けられたのも、過重労働が直接のきっかけでしたが、根本には現役男性の減少があります。今や組織を維持するには女性の力が不可欠ですが、無限定な働き方が標準形である限り、女性に能力を発揮してもらうのは難しい。パートナーである男性も家庭のケアができず、少子化などの問題も引き起こします。そのため欧米のように一定の労働時間を定め、例外として適用除外を認める形にしたのです。
多くの企業が「就社」型の組織を維持しきれなくなったことで、欧米の「ジョブ型」的な働き方も導入されるようになりました。日本と欧米は社会の仕組みが異なるので完全に同じにはならないでしょうが、労働人口減少という課題への対応が、こうした動きにつながっているのだと思います。
「良い流動化」を実現させる 求められる中間層の育成
―ジョブ型の導入などによって、解雇ルールも変わっていくとお考えですか。
日本企業は従来、強い人事権と引き換えに、解雇に関しては判例で厳しい要件を課されてきました。しかしジョブ型によって人事権がある程度制約されるなら、解雇ルールも別の要件で考える必要があります。そうなれば仮に職を失った時も別の職場へ確実に移れるよう、人材の能力を育成することも重要になります。解雇規制とジョブ型、リスキリングといった政策は互いに連動しており、すべてを含めて雇用システムの全体像を描こうと試行錯誤する中で、労働法も修正されていくのだと思います。
ただ現実の解雇に関して言えば一概に「難しい」とは言い切れず、企業規模や産業によって差が出ています。中小企業の解雇のハードルはかなり低く、人材育成を考えると定着率を高めた方がいいほどです。大手企業でも、希望退職を通じた雇用調整が行われています。労働市場の流動性が低い原因は、解雇の難しさより外部労働市場の弱さにあると考えられます。
―外部労働市場の機能を強化するためには、どのような施策が必要でしょうか。
中小企業の社員や女性、シニアらの能力形成のほか、ジョブに紐づいた賃金相場の形成などが求められます。一方で内部労働市場の配属と採用、育成、評価も外部労働市場との接続性を高めるよう、修正しなければなりません。
大事なのは労働者の能力が向上し、経済や企業が活性化する「良い流動化」を実現させることです。転職によって賃金や労働環境が下がる「悪い流動化」になるなら、むしろ「良い雇用維持」を選択し、社内で能力を高めた方がいいでしょう。一方で、大企業のミドルシニアは「悪い雇用維持」が多めなので、勤め先企業がリスキリングなどを実施し「良い流動化」につなげるのです。
しかし中小企業や女性らへの人的投資は、従来から不十分です。また長期雇用の慣行が衰退し、人材に投資するインセンティブが低下したことで、大企業正社員の育成も手薄になってしまいました。このまま企業に育成を丸投げしていては過少投資になってしまうので、政府や産業界がきちんと関与し、中間層を育成する必要性が高まっています。
―諸外国はどうしていますか。
米国では、一部の優秀な人材に手厚い育成投資がされる一方で、それ以外の人にはされないという二極化が進んでいます。世界中から人材が集まる米国だからこそ、こうした手法でも競争力が維持できるのであって、日本が同じ手法をとるのは無理があります。
また日本で導入が進められている人的資本開示は、投資家目線で大企業に投資を迫るという米国的な考え方がベースにあります。それはそれで進めてもいいですが、日本で課題となっている中小企業や非正規労働者の育成まではカバーしきれません。
一方でドイツや北欧諸国は、歴史的に政府や産業界が関与し、人材を育てる仕組みを作ってきました。例えばスウェーデンは2022年に労働市場改革を実施し、職業訓練の対象者を解雇された労働者から、在職者と組合員以外の非正規労働者に広げています。「いいものをしっかり作る」という、品質力を強みとする点も日本と共通しています。
日本はこれまで、非正規労働者や失業者ら弱い立場にある人の保護という受け身の政策に偏りがちでした。しかし今後は北部の欧州諸国のように、中間層の能力を育てる政策も充実させる必要があります。例えば産業界がリーダーシップを発揮して、学生に長期インターンシップなど職業訓練の場を提供し、政府もそれを後押しすべきです。労働者に一定の能力が形成されれば、外部労働市場の活性化にもつながります。
適用除外を活用し柔軟に対応を 労使関係の再構築も必要
―ジョブ型的な働き方が広まりフリーランスも増加するなど、昨今の労働市場は大きく変化しています。新しい労働環境にフィットした法制度の在り方を、どのように考えますか。
法律は雇用システムを構成する1要素であり、慣行やルールを明文化したにすぎません。企業の慣行は長い歴史を掛けて形成されているので、法律も一気に変えるのは難しい。また企業の在り方も、ジョブ型と就社型の間でさまざまなグラデーションを持つようになり多様化しているので、一律に法で規制すると、企業活動が硬直的になり経済効率が低下しかねません。例えば時間外労働の上限規制も、労働者を過重労働から守る一方、若手の育成やホワイトカラーの働き方にそぐわないといった面もあります。最低賃金も強制的に上げ続けると、中小企業から支援を求める声が高まり、助成金依存を引き起こしかねません。
このため、法律そのものを変えたり新たに作ったりするよりも、いわゆる適用除外(デロゲーション)を使って、柔軟に運用する方向を目指すのがリーズナブルです。
フリーランスも、非常に多様で一律に法律で保護するのは難しい。ある程度類型化し、経済的な従属性が強ければ、労働者に類似した最低賃金と社会保障を確保するなど、類型ごとに政策を講じてもいいと思います。
―デロゲーションをうまく機能させるためには、どのような策を講じる必要があるでしょうか。
デロゲーションの導入で最も重要なのは対等な労使関係で、欧州の労働政策のベースとなっているのも労使関係です。本来はまず労使がルールを決め、カバーしきれない部分に労働法の網を掛けるという発想が望ましいと思います。
しかしデロゲーションを協議する際、労働側が弱いと企業に有利な内容ばかりが導入されてしまうため、今の日本の労使関係では運用が難しい。従業員代表制度を普及させる、産業別労働組合と使用者団体の機能を強化するなどして、集団的労使関係を再構築する必要があります。
日本では、従業員代表制度の導入はあまり議論されていませんし、労使関係の重要性に対する社会の認識も薄れています。しかし欧州で労使が「ソーシャルパートナー」と呼ばれているように、広い意味での労使のシステムは社会にとって重要なインフラです。政府が調整役を務め、労使が議論を通じてより良い雇用システムを実現できる環境を整えてほしいと考えています。
聞き手:坂本貴志
執筆:有馬知子
山田 久氏