労働政策には「デジタルファースト」の発想が不可欠 AIの活用で規制から解放を――大内伸哉・神戸大学大学院教授

2024年09月02日

人手不足が労働市場の最重要課題となる中、労働政策も失業対策や雇用維持に軸足を置く従来の在り方から、デジタル技術による省力化・自動化を前提とした施策へと変化を迫られるようになった。技術革新と労働政策を研究する神戸大学大学院教授の大内伸哉氏に、AI時代に求められる法規制や政策を聞いた。

デジタル技術が、人を規制から解放する

大内氏は「労働供給制約の問題が深刻化するほど、解決には『デジタルファースト』の考え方が必要になってきます」と強調する。

AIの活用やDXを促す施策は、業務効率化、生産性向上をもたらすため産業政策に位置づけられがちだ。しかし、これからは労働政策も「デジタル技術を使って人が働かずにすむ環境」を想定して検討すべきだという。
「そもそもデジタルの施策が産業政策と労働政策に分断されると、それぞれの観点で具体策が提示されるため、ちぐはぐで実態にそぐわない内容になってしまう。政策をもっと包括的に考えることが重要です」

またデジタルという新しい概念を、既存の枠組みの中で扱おうとすると「小手先の弥縫策に留まり、大きな変化に追いつけなくなってしまう」とも懸念する。
「これからは『人ありき』の政策からデジタル技術による課題解決を先行させる政策へと、発想を逆転させる必要があります」

また大内氏は「これからの労働政策は、デジタル技術を用いて労働者や企業を規制から解放する方向へと向かうべきだ」とも主張する。
例えば現在は長時間労働による健康被害を防ぐため、労働基準法によって残業時間の上限が定められている。しかし労働者本人がアプリなどを使って健康状態を自己管理し、過労のリスクが生じたらアプリが警告を発する、さらにリスクが高まったら業務用パソコンを強制的にシャットダウンする、といった対策をとれるようになれば、法規制に頼らず健康を確保できる。

「フリーランスや副業の働き方が普及し、労働時間を自ら決めたいという働き手のニーズも高まっています。企業と個人が協力し、技術を使って健康を確保できれば、一律に労働時間を規制するより、より実効性が高く柔軟性もある解決策を提示できます」

変化する「規制」の形 禁止からインセンティブへ

現在の労働法は、弱い立場の労働者を長時間労働や搾取から守るため、一律に規制を掛けるという色彩が強い。高度プロフェッショナル制度や企画業務型裁量労働制度といった労働時間規制の適用除外(デロゲーション)に関しても、あくまで制度の例外と位置づけられ、その導入のハードルが高く使いづらいものとなっている。

しかし人手不足で人材の価値が高まる中、「いくらでも替えが利く、圧倒的に交渉力の弱い存在」というかつての労働者像は当てはまらなくなりつつある。

「こうした状況下では、規制を維持するとしてもデロゲーションを認めるなど、労働者個人の自己決定を尊重できる形にすべきです。その上で政府は、労働者が適切な自己決定ができるように誘導したり、サポートしたりするというリバタリアン・パターナリズム的な発想が求められるのではないでしょうか」

デジタルに関する施策は、個人情報の流出や不正使用を防ぐための規制に偏りがちだが、リスクを懸念するあまり、デジタルツールの活用が過度に萎縮されないようにすべきだという。EUが2024年5月に成立させた「AI規制法」も、使用を制限するというより「容認できないリスク」を明確化することで、よりAIを使いやすくする内容だと説明する。

「欧州もデジタル先進国とは言えず、すべてを参考にするわけにはいきません。ただ罰則で禁じるハードローに代わって、AI規制のように人の行動変容を促したり誘導したりするインセンティブのような形の『規制』を試みている点は参考になる、と言えます」

また日本はマイナンバーをあたかも秘密情報のように扱うなど、情報漏洩リスクに過剰反応しているきらいもあり「どの程度個人情報を守るか、という国民的なコンセンサスも構築する必要があります」とも語った。

政府主体で法律を作る従来の立法プロセスでは、先端技術への対応に限界もあることから、デジタルの領域に精通した事業者と協働でルールを作る「Co-regulation(共同規制)」も広がりつつある。2020年に成立した「デジタルプラットフォーム取引透明化法」も、政府の関与を最小限に留め、プラットフォーマーに公平性確保や情報開示などの自主的な取り組みを促す内容だ。事業者が立法の当事者となることで、自分たちの作ったルールだから順守しよう、というインセンティブも生まれやすくなっている。

「強い労働者を作る」政策へ転換を 教育が重要

人手不足の中、企業は週休3日制の導入や賃上げなど、人材確保のためのさまざまな対策を講じている。大内氏は「これからは労働者個人のニーズに合わせて、業務や勤務地や労働時間、休日などを契約で決める形へ変わる」と予想する。

「労働政策も、弱い労働者を守ることを柱とした施策から、職業教育などを通じて弱者を強者に変える施策へとシフトすることが、ポイントになってくるでしょう」

とりわけAI時代を生き抜く人材を育てるためには、義務教育段階から教養教育などを通じて「人間」に対する深い理解を育てる必要がある。社会に出る前に、人間だからこそ担える仕事は何か、AIとどう関わるか、どんなキャリアを築きたいか、といったビジョンを持っておくことが望ましい。また雇用の流動化が進む中、これまで人材育成の機能を担ってきた企業も、従来のように育成にコストと時間を費やすことが難しくなっているという事情もある。

ただ教育には時間がかかるため、たとえ政策が転換したとしても、しばらくの間は弱い立場の労働者が一定数存在することになる。また近い将来、単純労働が機械に代替される可能性も高く、非正規労働者や一部の正社員も職を失うリスクを抱えている。

「職を機械に奪われた非正規などの働き手を一時的に支援する必要はありますが、こうした過渡期の対策ばかりにとらわれず、中長期のビジョンを示すことが大事。また労働者を弱者として保護する視点より、情報と教育を提供して『強者』へ変える視点が必要です」

危機に陥る前に労働市場改革を

日本企業は、雇用に関する義務を負うのと引き換えに強力な人事権を持ち、会社の都合で社員に配転を命じてきた。近年、大企業を中心に「ジョブ型」人事制度の導入が広がっているのは、キャリアの主導権を社員へ渡すことで、自律的に行動できる「強い」労働者を作り、企業成長やイノベーションにつなげたいとの意図があるためだ。

大内氏は、人事権の在り方が変わりつつある以上、表裏の関係にある雇用保障にもメスを入れる必要があると考え、解雇に金銭解決ルールを導入することを提案する。

これは不用意な解雇を抑制するため、解雇に伴い労働者が被る損失(賃金水準の低い企業に転職した場合に、減る所得の総額)を企業が完全に補償し、その補償は労災保険と同様、企業から保険料を徴収して政府が運営する「解雇保険」によって行うというものだ。

「金銭補償によって理由を問わず解雇できるようにすれば、『客観的合理性』『社会的相当性』といった解雇要件のあいまいさも排除できます。将来ジョブ型雇用が定着すれば、同じジョブに転職した場合は賃金は下がらないことになるので、企業が負担する補償額も減ることになります」

しかし解雇規制の見直しについては、「解雇という言葉が出てきた瞬間、思考停止に陥ってしまう」のが実状だ。かつてイタリアは経済破綻の危機に瀕して、ようやく解雇規制の金銭解決を導入した。大内氏はイタリアの例を教訓として、深刻な経済不安に陥る前に労働市場改革に着手すべきだと訴える。

「最終的には政治家がリーダーシップを発揮し、必要な改革を行うことを期待しています。政治や行政も、AIをはじめとする新しい技術への理解を深めてほしいと考えています」

執筆:有馬知子

大内伸哉氏

神戸大学大学院法学研究科教授。専門は労働法、労働政策。
デジタルトランスフォーメーションのもたらす雇用への影響やテレワーク,フリーランスのような新たな働き方の広がりにともなう法政策課題を主として研究している。
主要な著書に、『AI時代の働き方と法』(弘文堂)、『人事労働法』(同)、『誰のためのテレワーク?』(明石書店)、『会社員が消える』(文春新書)等。