転職時は、ボイスが賃上げに効く―日米仏中の比較分析―
転職時の賃金交渉は有効なのか?
本連載で論じてきたように、雇用が流動化すると、労働条件を交渉するタイミングは、雇用契約期間中から雇用契約の締結時・更新時に広がります(図表1)。
そこで本稿では、転職によって雇用契約を新たに結ぶタイミングでの賃金交渉が有効かどうかを、日本・アメリカ・フランス・中国の都市部で、大卒30代・40代を対象に行った国際調査のデータから検証します。
図表1 ボイスメカニズムの変化
出所:中村(2020)(※1)
日本・アメリカ・フランス・中国の雇用の流動性
分析に入る前に、各国の雇用流動化の状況を確認しておきます。平均勤続年数は、日本は12.1年、フランスは11.2年、アメリカは4.2年です(図表2)。
同じ欧米諸国であっても、アメリカとフランスでこれほど違うのは、アメリカは解雇が容易で労働市場が競争的なのに対し(※2)、フランスは労働者保護が強く、解雇も規制されているためです。
中国はデータがありませんが、筆者らが調査を実施した上海地区は、中国のなかでも経済発展が著しく、転職や人材の引き抜きが活発です(※3)。
日本は終身雇用のイメージがありますが、有期雇用の増加などを背景に、もはや長期雇用の国とはいえなくなっています。
図表2 雇用者の勤続年数
出所:労働政策研究・研修機構(2019)「データブック国際労働比較2019」
違いは、キャリアアップ型転職ができるか
では、日本と海外の雇用流動性の違いはどこにあるのでしょうか。実は、日本と海外の流動性の違いは、勤続期間ではなく、好条件での労働移動のしやすさにあります。
転職による変化をまとめたのが図表3です。転職によって年収が5%以上増える割合は、日本は45.3%ですが、アメリカは77.2%、フランスは75,2%、中国は88.9%と、海外諸国では転職によって賃金が増えるのが大半をしめています(※4)。対して日本は、減ったり、変わらなかったりが半数近くです。
また、転職によって役職が上がる割合も、アメリカ42.6%、フランス41,4%、中国52.0%のところ、日本は10.1%しかありません。
加えて、日本では転職によって、会社規模が小さくなったり、職種や業種が変わったりすることも珍しくありません。
海外ではこれまでの専門(業種・職種)をいかして高い役職にキャリアアップ転職ができるのに対し、日本では異業種・異職種の小さい会社に移るというリセット型の転職をせざるを得ないのです。
日本の労働市場では、雇用は流動化したものの、海外諸国のようなキャリアアップ型の労働移動はできないという、中途半端な雇用流動化が起きているのです。
図表3 転職による変化
※集計対象:週労働20時間以上の転職者
出所:リクルートワークス研究所「5カ国リレーション調査」
アメリカ、フランスでは転職時の賃金交渉が有効
「入社時(雇用契約締結時)に賃金について要望すると賃金は増えるのか」を検証するために、転職によって年収が5%以上増加する要因を分析したのが図表4です(※5)。
まず、日本・アメリカ・フランス・中国いずれにおいても、[転職_役職上昇]では、統計的に有意に年収が増加しています。よって、転職により年収を増やすには、役職上昇をともなう転職をすることが有効です。
加えて、アメリカとフランスでは、[入社時賃金要望あり]が統計的に有意に転職後の年収増加に寄与しています。よって、アメリカとフランスでは入社の際に、転職者が賃金について要望することが、年収を増やすのに有効ということができます。
一方、日本と中国では[入社時賃金要望あり]に関して、統計的に有意な結果は得られませんでした。中国に関しては、世界のなかでも賃金上昇率が突出して高いため、個人が賃金希望を伝えるかどうかによらず、賃金の高い仕事に移ることができることが、統計的に有意な結果が得られない理由として考えられます。
図表4 転職後年収5%以上増加に関する分析
※二項ロジスティック回帰分析の結果(有意水準 ***p<0.001、**p<0.01、*p<0.05、†p<0.1)
出所:中村(2021)(※6)
日本では人材エージェントによる発言代行が効く
日本は[入社時賃金要望あり]が転職後の年収増加に寄与しているかどうかに関して、統計的に定かな結果は得られませんでした。けれども図表4の分析結果は、日本でも転職時の賃金に関する要望の表明が、年収増に有効なことを示唆しています。
というのも、日本では、転職者による[入社時賃金要望あり]は有意ではないものの、[入職経路_民間職業紹介]の場合に、統計的に有意に転職後に年収が増加しているからです。
民間職業紹介は、求人企業と採用候補者をマッチングし、互いの希望をすりあわせる役目を担っています(※7)。
「安い賃金」を甘受してきた日本の労働者―ボイスは集団から個人へ―や職場での個別交渉“I-deals”の実態 ―ハードとソフトの労働条件―で考察したように、日本では個人が働き方に関して声をあげる風土が根付いていないため、個人が自身の希望をはっきり表明することに違和感や拒否感を抱く管理職や人事もいます。
とりわけ賃金は調整が難しいハードな労働条件です。例えば、「高い給与を求める転職者に手をやいて困っている」という話を、筆者は何度も聞いたことがあります。
このような日本では、転職者が個人的な意向だけで賃金について要望するよりも、職業紹介エージェントが労働市場の相場観や希望額の妥当性を添えて、賃金について要望するほうが企業は耳を傾けやすいでしょう。
日本では、民間の職業紹介エージェントが転職者のボイスを代弁することで、年収を高めていると考えられます(※8)。
大切なのは、希望の「伝え方」
分析の結果、アメリカやフランス、日本では、転職時に賃金の希望額を伝えると、年収が増える可能性が高まることを確認できました。
ただし、アメリカやフランスは転職者自身が賃金の希望額を伝えるのが効果的ですが、日本では、自分ではなく職業紹介エージェントという第三者に伝えてもらうほうがよいことがわかりました。
職業紹介エージェントが一般的な転職者と違うのは、求人や求職者に関する相場情報をもち、求人企業と求職者の双方が合意できる待遇の水準を見極め、それぞれに歩み寄りを促すことができる点です。
翻って、転職者は、相場観がないまま自己評価で希望額を伝えざるをえません。自己評価は他者評価より高くなりがちですし、明示的に労働条件をすりあわせる風土がない日本では、要望を聞いた企業の管理職や人事は、それに応えなければいけないと過度に圧力を感じるかもしれません。
転職者にそのつもりはなくても、企業からすると転職希望者の要望は職業紹介エージェントのそれよりも、独善的で利己的に聞こえてしまうのです。また、賃金交渉に失敗すると、転職そのものが不成立になることもあります。
よって、ボイスなき日本では海外よりも、希望の伝え方に工夫がいります。
希望額を伝えるタイミング(選考の序盤だと「金にうるさい」と敬遠されるかもしれない)や、なぜその金額を希望するのかの根拠(自身のスキルや経験に対する他社の評価や提示額)、企業側が対応可能な範囲の見極め(いくらまでなら増やせるかを見極め、それ以上強弁しない)などに留意することが大切です。
賃金交渉を成功させるには、交渉リテラシーを身につける必要があります。
中村天江
(※1)中村天江(2020)「集団から個人に移る労働者の“Voice”―5カ国比較調査にみる日本の現状―」日本労務学会第50回全国大会
(※2)アメリカではホワイトカラーの高度人材に対しては高額報酬での引き抜きも珍しくない。
(※3)リクルートワークス研究所(2013)「変わる中国市場 人材獲得をリデザインする」
(※4)中国の平均賃金は、急速な経済発展にともない10年間で約2倍に増えている。この間、主要先進国の平均賃金はせいぜい1割強しか増えておらず、中国の平均賃金の上昇率は世界一である。 International Labour Organization(2018) “Global Wage Report 2018/19 What lies behind gender pay gaps”)をご覧いただきたい。
(※5)分析の詳細は、中村天江(2021)「なぜ日本の労働者は低賃金を甘受してきたのか ―ボイスメカニズムの衰退と萌芽―」『一橋ビジネスレビュー』2021年春号をご覧いただきたい。
(※6)中村天江(2021)「なぜ日本の労働者は低賃金を甘受してきたのか ―ボイスメカニズムの衰退と萌芽―」『一橋ビジネスレビュー』2021年春号
(※7)坂爪洋美(2014)「職業紹介担当者の能力ならびにスキル」佐藤博樹・大木栄一編『人材サービス産業の新しい役割―就業機会とキャリアの質向上のために』有斐閣
(※8)民間職業紹介が転職により年収が増えそうな候補者を優先してマッチングしているセレクション・バイアスの可能性もあるが、そのインセンティブは他国の民間職業紹介でも同様であり、日本の職業紹介経由の転職者の年収増加にはセレクション・バイアス以外の要因があると考えられる。