社員のボイスとエンゲージメントの意外な関係 ―「希望を叶える」前にできること―
ボイスなき日本企業の組織風土
働き方が多様化し雇用が流動化するなかで、自分らしいキャリアを歩むには、自身の希望を企業に伝える「ボイス」が必要です。けれども、なぜ海外では7割が賃金交渉をしているのに、日本は3割に留まるのか?で確認したように、日本では海外諸国のように自身の要望を企業に伝える風土がありません。
働く人が希望を表明する風土が日本で乏しい理由は、はっきり言葉にするよりも慮ることが良しとされるハイコンテクストな文化が社会全体に根付いていることや、終身雇用の仕組みのもとでは働き方について要望する機会や必然性が少なかったからだと考えられます。
このままでは、働く人が自身の希望を表明し、社員と企業が互恵的な“I-deals”を交わすようにはなりません。この問題は、個人だけでなく、企業にも対応が求められるため、本稿では組織側の対応について考察していきます。
「聞きたくない」「要望されても困る」という本音
筆者がセミナーなどで、「これからは働く人のボイスが重要です」「海外では自身の希望を表明するのは普通のことです」といった話をすると、おおむね3つの反応が返ってきます。
1つ目は、海外赴任や海外事業を経験してきた方々からの「実感値と合っている」という反応です。なかには、社員がはっきり意思を表明する海外よりも、社員が経営に対して受け身な日本のほうがマネジメントしやすいとはっきりいう方もいます(※1)。
2つ目は、「自分で働き方の希望を伝えることが大切」といわれても「できる気がしない」というものです。この反応は、日本企業で長く働いている方からよく伺います。日本には働く人が声をあげる風土が乏しいことを問題視している本連載の根幹に通じるものです。
そして3つ目は、企業の管理職や人事の方々からの、「要望されても困る」「本音を言えば、そんな話は聞きたくない」という反応です。管理職や人事が率直な発言を嫌がる職場で、社員が声をあげるのは容易ではないでしょう。
社員が声をあげられるかは、上司次第
実際、「働く人のボイス調査」によって、上司が部下の発言を推奨している職場では、社員は自身の希望を表明しやすいことが明らかになっています。
上司が部下に改善提案や意見を言うよう伝えている職場では、社員が重視している労働条件に対して要望や意見を伝える割合は50.0%なのに対し、上司が部下の発言を推奨していない職場では41.8%に留まります(図表1)。
図表1 社員が重視条件に対して要望する割合
出所:リクルートワークス研究所(2021)「働く人のボイス調査」
また、上司が部下の発言を推奨している職場では、社員の希望が叶う割合も高い傾向があります。
自身の要望を伝えた際、上司が部下に改善提案や意見を言うよう伝えている職場では、希望のすべてもしくは一部が叶った割合は73.0%もあるのに対し、そうではない職場では、希望が叶った割合は48.4%となっています(図表2)。
図表2 希望のすべてもしくは一部が叶った割合
出所:リクルートワークス研究所(2021)「働く人のボイス調査」
社員の希望を叶えられない職場もある
以上の結果から、発言を推奨する上司のもとでは、社員が希望を表明する可能性も、希望が通る可能性も高いことがわかります。しかしこのことは裏を返せば、希望を叶えることが難しい職場では、上司が部下の発言を封じるようになる可能性も示唆します。
企業の管理職や人事が「要望されても困る」「そんな話は聞きたくない」と、社員の発言を敬遠する背景には、要望を聞くことが嫌なのではなく、仮に要望を聞いても、それに応えられないという制約があるからかもしれません。
特に、職場での個別交渉“I-deals”の実態―ハードとソフトの労働条件―で考察したように、賃金や雇用の安定などのハードな労働条件は、仕事内容やチームのメンバー、家庭生活との両立といったソフトな労働条件に比べて、社員は要望を表明しにくく、希望も通りにくいことがわかっています。企業は社員のすべての要望を、同じレベルで実現することはできないのです。
けれども分析の結果、企業がまず取り組むべきは、社員の希望を「100%叶える」ことではなく、社員の発言に耳を傾け「対応できるか検討する」ことである、ということがわかったのです。
エンゲージメントを高めるのは「対話」
企業が社員の要望に向き合うのは、社員により意欲的に働いてほしい、不満から辞めないでほしい、社員を大切にしたいといった理由からです。そこで、社員が何らかの要望を伝えたときの対応と、「今の仕事にのめりこんでいる」「今の会社で長く働きたい」というエンゲージメントの関係を整理したのが図表3です。
社員が要望を伝えたときに、希望が叶った人は「今の仕事にのめりこんでいる」という回答が34.0%、「今の会社で長く働きたい」という回答が53.2%なのに対し、希望が叶わなかった人はそれぞれ15.9%、27.3%に留まります。やはり、希望が叶うほうがエンゲージメントは高まるのです。
しかし、希望が叶うかどうかとは別に、「不満や要望を聞き、対応できるか検討してくれた」場合も同じように、「今の仕事にのめりこんでいる」「今の会社で長く働きたい」の割合は高まります。
要望を伝えた際に上司や人事が対応を検討してくれなかった人は、「今の仕事にのめりこんでいる」が19.3%、「今の会社で長く働きたい」31.5%のところ、対応を検討してくれた人はそれぞれ33.6%、53.3%となっています。
図表3 上司や人事に要望を伝えた時の対応と、エンゲージメントの関係
出所:リクルートワークス研究所(2021)「働く個人のボイス調査」
社員の要望に対して企業がすべきは、まずはその要望に耳を傾け、対応できるか検討することです。その結果、まったく要望が叶えられないことも、一部しか叶えられないこともあるでしょう。しかし結果はどうあれ、社員は要望に対する上司や人事の姿勢をみています。
働き方の希望を表明できる風土は、社員の希望に耳を傾けてくれる上司や人事あってこそ広がっていきます(※2)。
“I-deals”に潜むジェンダーバイアスを除く
なお今回、「仕事内容」や「賃金」、「一緒に働くメンバーや上司」などの不満や要望を企業に伝えた際に、それが叶うかどうかを男女別に集計したところ、次のこともわかっています。
・「仕事内容」や「賃金」は、男性のほうが女性よりも要望しており、男性のほうが要望しても叶わない割合が高い(女性のほうが要望すると叶う割合が高い)
・「一緒に働くメンバーや上司」や「家庭生活との両立」は、女性のほうが男性よりも要望しおており、女性のほうが要望すると叶う割合が高い
「賃金」はハードな労働条件であり、要望するのも、希望を叶えるのも難しいことは、職場での個別交渉“I-deals”の実態―ハードとソフトの労働条件―でみた通りです。しかし、ソフトな労働条件に入る「仕事内容」と「一緒に働くメンバーや上司」、「家庭生活との両立」についても、性別によって希望が実現するかどうかに差があるのです。
とくに、「仕事内容」「一緒に働くメンバーや上司」「家庭生活との両立」について要望した場合、男性よりも女性のほうが、希望が叶いやすいという結果は、性別によって企業の対応が異なるか、もしくは、性別によって交渉の仕方に違いがあると考えられます。
日本的雇用慣行は「男性は一家の大黒柱で、女性は専業主婦として家族を支える」という固定的な性別役割分業と表裏一体となって浸透してきました。女性管理職が増えつつあるものの、いまなお管理職の多くが男性であること、一方で、男性の育児などへの参加は容易ではないことを考えると、同じ要望をしても性別によって企業側の対応が異なることは十分考えられます。
しかし働き方は本来、性別ではなく、本人の志向やスキルによって決まるべきものです。悪しきジェンダーバイアスなど、職場に潜む無意識の差別的行為を取り除きながら、社員の声に耳を傾ける風土をつくっていくことが、企業には強く期待されます。
中村天江
(※1)中村天江(2020)「人材育成と生産性、『ジョブ型』制度設計の先にある課題」『「働く」の論点』リクルートワークス研究所
(※2)中村天江(2018)「『Voice』を言える個人、『Voice』を聞ける職場 ―多様な働き方を叶える鍵」『研究所員の鳥瞰虫瞰vol.3』リクルートワークス研究所