「コンピュータサイエンス教育の視界から」グーグル クリス・スティーブンソン氏
~コンピュータサイエンス教育の視界から~
Google社
コンピュータサイエンス教育戦略部門責任者
クリス・スティーブンソン氏
グーグルにおけるコンピュータサイエンス教育戦略の責任者として、世界中の学校やさまざまな組織と協働しながらその教育活動を率いているのが、クリス・スティーブンソン氏だ。これからを生きる人々にとって、"コンピュータサイエンスは、全ての人に革新をもたらし、人生の進路を選択するために欠かせない新しいリテラシーである"と指摘すると同時に、学ぶ楽しさをつくりだすのは、仲間の存在、人と人とのコミュニティだと語る。たとえば、グーグルでは、技術的成長と個人的成長の両面において、会社が提供する多彩なコースだけでなく、社員同士が自分の得意な分野でコースを開講しサポートしあう、ユニークな学びの姿があるという。新しい学びにテクノロジーが与えるインパクトと、グーグルでの学びについて話を聞いた。
興味を探索したり、情報交換したり。
より多くの情報から自らの学びを決定する
――テクノロジーによって未来の学びはどう変わると思いますか?
オンラインのコースを受講して自分の興味を探索したり、似た考えの人とつながって情報交換したり、といった機会がますます多くなるでしょう。こうしたオンライン学習を利用する人が増えれば、今まで以上に多くの情報に基づいて、個人が自分のキャリアを選択できるようになります。たとえば私の友人に、どういう職に就きたいのかまったく想像ができなかったという人がいて、大学に入ってからも、そのフィールドを何も知らないままランダムに講義を選んでいました。でも今では、たとえば薬剤師になりたいと思ったら、オンラインを通じて、薬剤師がどんな仕事をしているのか、年収がどのくらいなのかといったことを知ることができます。学校が提供するフォーマルな教育プログラムの必要性がなくなるとは思いませんが、インフォーマルな学習機会の拡大は生涯学習を促進するうえで重要な役割を果たしています。
――社会人にとって学習モチベーションの維持が課題ですが、テクノロジーは何ができるでしょう?
技術的な問題というよりも、気をつけなければいけないのは、学習効果がリアルであるということです。何らかの称号を得るために頑張れるという人もいますが、あるところを境に、何か具体的な利益を得られなければモチベーションを失ってしまいます。子どもなら「金色の星をもらえます」といったことでもすごく努力をしますが、大人については実用的なモチベーションとサポートが必要です。もう1つ、学習の楽しさを維持するのは、私はコミュニティだと考えています。モチベーションとしては、コミュニティとして仲間がいるという認識が強いと思います。
――キャリア目標の設定に関して、テクノロジーがサポートできることは何でしょう。一方で人間にとってより重要になる能力は?
新しい情報を探して、見つけ出すことに関しては、テクノロジーは非常に強力です。ただ、制限なくたくさんあるゴールを提示してしまうので、迷わせてしまう部分もあるかもしれません。一方で、人間にとっては、入手できる情報が以前よりもずっと多くなっています。たとえば、就職センターへ行けば、全国にあるさまざまな仕事情報を閲覧することができ、地域に縛られず職探しをすることができます。しかし、自分にとっていちばんよい職は何か、会社にとってどういう人が合っているのか、そうした判断は人間にしかできないものだと思います。
コンピュータサイエンスは第3のリテラシー
人生の行き先を決めるのに不可欠
――未来の学びについて、ご専門のコンピュータサイエンスの観点からお聞かせください。
未来の学びでは、物事に取り組む際の粘り強さや、柔軟性といったことが必要とされるでしょう。コンピュータサイエンスは、たとえば読み書きのようなレベルの、新しいリテラシーだと思います。なぜなら、私たちの暮らしにはテクノロジーが浸透していて、コンピュータを十分理解していなければ、自分の人生の行き先を決めることができない状態にもなり得るからです。特に、次世代の生徒たちには、コンピュータサイエンスが教えてくれる問題解決能力が不可欠です。これは私の信念でもありますが、すべての生徒は、学校でコンピュータサイエンスのコースを受講する機会と、またそのコースを通じて得られるキャリア機会へのアクセスを与えられるべきです。社会は生徒に対し、将来の仕事に備えさせ、また他者が開発したツールの単なる消費者としてでなく、世界中で活用される新しいツールを自ら生み出す革新者となるためのスキルや知識を身につけさせる義務があると考えています。すべての教師は、自身のキャリアの中で関わるすべての生徒の人生をより良い方向に変化させる媒介となり得るのではないでしょうか。
――コンピュータサイエンスと賢く付き合う術が必要があると。
はい。未来におけるコンピュータサイエンスとの付き合い方には、大きく3通りあると考えています。1つは、コンピュータについて最低限の知識を持ち、技術がどのように機能し、自分の生活のなかでどのような影響力を持っているかを理解してよい判断ができること。2つ目は、コンピュータサイエンス+Xです。何か自分が興味を持っている分野に対して、コンピュータの能力を理解し、生かすといったこと。3つ目は、コンピュータサイエンティストやソフトウェアエンジニアといった専門家など、世界中の人たちが使うようなツールを生み出す人たちになるということです。学習と教育のなかでも、教育システムや社会システムにおいても、この3つを理解する必要があると思います。
私はこれまでにも日本で、たくさんの教育関係者や政府関係者と話をしましたが、皆、人口の高齢化を非常に懸念していました。働く人が減り、高齢者をサポートする人が減っていくなかで、なぜコンピュータサイエンスが重要なのか、日本にとって重要になるのか。それは、1つ目でお話ししたように、テクノロジーができること、できないことを理解することで、より賢く、長く、働くことが可能になるからです。
キャリアを通して個人の目標に関心を持ち、
成長をサポートするのも企業の役割に
――ところで、グーグルでは社員に対して、どのような学びの支援をされていますか。
グーグルは私たちに、継続的に学ぶ機会を多く提供してくれています。それは、今の職でよりよい成果をあげるためだけでなく、自身が最も興味のある分野を探求することができるものです。すべてのグーグル社員が利用できるコースが本当にたくさんあって、スキルを伸ばしたいと思う分野でコースを見つけられないことはほとんどありません。たとえば、私が受講したのは、自分の仕事と関係の深い工学コースや、グーグルシステムを活用して効果的に人をマネジメントするためのマネジメントコースなどです。また、受講したうちのいくつかは、純粋に個人的な興味から受講したもので、たとえば2日間のマインドフルネスのコースでは、職場でのストレスをコントロールするのに非常に役立ちました。
また、グーグル社員は、自分の得意分野では講師としてコースを受け持ち、互いに提供しあうことを奨励されています。テーマは、自分の趣味だったり、技術的な内容だったり、興味のある分野であれば何でも構いません。そういう意味で、Googly(グーグルらしさ)というのは、互いの学びをサポートしあうといったところにあるかもしれません。
――社員が学ぶことについて、会社として何を期待し、どのように評価しているのでしょうか。
まず、グーグルで毎年提供されているコースには、法律問題や、職場の公平性、効果的な外部コミュニケーションといったものがありますが、これらのコースや多くのマネジメントコースでは、受講の履歴は追跡していません。オフィシャルな評価はありませんが、企業として期待しているのは、グーグルで働く人たちが、継続して学び続け、人として成長を続けることなのだと思います。
――「興味のある分野を探求する」ことに対し、企業が社員にできる支援はあるでしょうか。
興味のある分野が持てるかどうか、ということは、ワークライフバランスに大きく依存していると思います。特に、仕事に集中して、成果を出している人は、それ以外のものをすべて捨て去っているようなところがあります。でもそれでは、クリエイティビティを殺してしまいます。
雇用主が個人の興味に関心を持ち、キャリアを通じて目標をサポートし、興味を伸ばすことを奨励するならば、次の世代では、雇用側が社員をサポートすることで、興味を広げ、成長させていくのが当たり前の環境になるのではないかと思います。
大人の学習者については具体的なゴール設定が必要です。「興味が持てるものを探してみましょう」と言うだけでは、意欲は喚起されません。ゴールを設定し、そこまでの道筋を提供することで、学ぶこと、新しいことに前向きに取り組めるのではないでしょうか。
執筆/鹿庭由紀子
※所属・肩書は取材当時のものです。
Dr.Chris Stephenson(クリス・スティーブンソン博士)
Head,CS Education StrategyengEDU, Research & Machine Intelligence,Google
グーグルでコンピュータサイエンス教育戦略の責任者を務め(2014年~)、グーグルだけでなく、世界中のさまざまな組織と協力し、コンピュータサイエンスに関する指導と学習の向上に取り組んでいる。2004年にコンピュータサイエンス教育者協会(CSTA)の設立に携わり、2010年~2014年まで同協会のエグゼクティブディレクターを務めた。コンピュータサイエンス教育に関する多くの研究論文を発表しており、高校の教科書も複数執筆している。国際コンピュータ学会(ACM)のメンバーも務める。