「コンピュータサイエンスの視界から」リクルート・インスティテュート・オブ・テクノロジー アロン・ハレヴィ氏
~コンピュータサイエンスの視界から~
リクルート・インスティテュート・オブ・テクノロジー CEO
アロン・ハレヴィ氏
コンピュータ科学者であり、AIの世界的権威としても知られるアロン・ハレヴィ氏は、現在、Recruit Institute of Technology(リクルート人工知能研究所)で人々をハッピーにするためのテクノロジーを追求している。日々、新しいことに挑むなか、「学びは自分を拡張し、ポジティブな感覚をもたらしてくれる」というアロン氏は、「学習は最終的に人々を幸せにする」とも明言。テクノロジーの面からだけでなく、心理学も複合させた視点から「未来の学び」に言及する。
より多くの機会を得るために。よりよい意思決定をするために。
データマネジメントは一層重要になる
――現在、リクルートの人工知能研究所で人々が幸せになるためのテクノロジー研究に取り組んでいらっしゃいます。仕事をする足場を変えたことは、ご自身にとっても転機に?
「Science of happiness」に興味を持ち始めたのは2015年頃で、AIと心理学を融合させて何かできないかと考えていました。意味合いとしては「help people stay happy」。つまり、テクノロジーの面からもっと人々を幸せにする手助けをしたいと。ちょうどGoogleから出ようと考えていた時期でもあったので、リクルートの人工知能研究所の設立に伴って参加することにしたのです。人々のライフステージに応じたサービスを提供するリクルートには、質・量ともに多様性も併せ持つライフログデータがあります。これは研究者にとって非常に魅力的な環境で、転職したことは、次なるチャレンジに向けた1つ大きなトランジションとなりました。
新しい仕事に入れば、そこには必ず学びが発生します。"幸せ"というテーマは私にとってほとんど未知の領域だったから、事前に心理学の先行研究論文をたくさん読みましたし、AIに関しては追いきれていなかった部分、不足していたパーツを学び、埋めていきました。そして何より、研究所という組織はどうあるべきか、自分が何をすべきなのか、それはすごく考えましたね。
――ビッグデータとテクノロジーの掛け合わせを進化させれば、人々をもっと幸せにできると。
顕著な例として、昨今、注目されているボット(bot)があります。たとえば、インターネット通販での買い物履歴や検索履歴などをボットにためておけば、AIがユーザーの生活シーンにおけるさまざまな意思決定の手助けをしてくれるわけです。その人の興味・関心、個性、モチベーションといった行動的属性に関するアセスメントから、「あなたには、これがいいのでは?」と助言してくれる。それは、人々の選択や行動をラクにするだけでなく、「小さな幸せ、喜びのポイント」を可視化させることにもつながります。もちろん、人生を豊かにしてくれる学びに対しても同様で、より多くの機会を得るために、そしてよりよい意思決定をするために、データマネジメントは一層重要になってきます。
"個"に合った学びは、ポジティブな感覚をもたらす
――アロンさんは「学びは自分をとても幸せにしてくれる」とおっしゃっています。
そうです。学ぶことをやめたら、死んでしまうと思うくらいに(笑)。学びは自分を拡張してくれるし、非常にポジティブな感覚をもたらしてくれます。
心理学者であるミハイ・チクセントミハイが提唱するフロー体験には、いくつかの構成要素が存在しますが、その1つに「課題と能力のバランスがちょうどいい」というものがあります。課題や活動が難しすぎない、易しすぎない――つまり、難易度が重要だという話です。タスクがあまりに高度だと達成するのが難しくなり、ポジティブな感覚は得られません。私の話になりますが、つい最近、ある語学学習アプリを使って日本語の勉強をしていたとき、「どう考えても日本語としておかしい」と思うセンテンスがあったので、エラーレポートを送って何度かやり取りをしたんですね。そうしたら最終的に「君のほうが正しい」という話になり、私としては"やり遂げた感じ"があって、とてもうれしかった。まさに、ポジティブな感覚。どんなことからでも学べるという自覚と、何かをやり遂げた、成功させたという手応えはとても大切ではないでしょうか。
――その点において、AIはどういうサポートができると思いますか?
AIは、学習者にとって必ずいい助けになるでしょう。データからパーソナライズが可能になりますから、学ぶことの優先順位をつけることができます。「何から学ぶか」「どのレベルから学ぶか」に始まって、その学習内容や方法、ペースについても助言することができる。先述の「課題と能力のバランスがちょうどいい」機会づくりにも、AIに期待できる役割は大きいと思います。そのうえで、最終的には人間が判断し、実践すればいいのです。
――学びを実践する方法も進化し、多様になってきました。
そうですね。まずは試してみる、ということでいえば、昔より格段にスピーディになっています。さまざまな方法があるなかで、今、私にとっていちばん効果があるのはコーディングです。コードが書けるので、考えていることやアイデアをまずはシステム化して、実際に動かしてみる。そこから修正をしたり、ほかの情報と合わせてみたりといった学習を重ねていくわけです。
私の父は化学者だったんですけど、思い返すと、彼はプロジェクトに対してまずは多額の資金調達をし、それから実験をして......と、結果を得るまでに大変な費用と時間をかけていました。それに比べてコーディングなどは、誰の手も借りずにできますし、費用だってほとんどかからない。その利便性はテクノロジーの進化によるもので、まずは実践してみるという"いい学び方"を十分にサポートしてくれているのです。
常に新しいことを学ぶことで、誰もがアントレプレナーになれる時代
――一方で、学びには「人と直接会う」などといったローテクノロジーも重要だと指摘されています。
加えて、私が大切だと思っているのはロールモデルの存在。特に子どもたちにとっては、モチベーションを持てるような憧れの対象は必要です。スポーツなどはわかりやすくて、たとえば「マイケル・ジョーダンみたいになりたい」というのは、子どもたちにとって大きなモチベーションになりますよね。あるいは親であっても、近所のおじさんであっても、ロールモデルが存在すると、学習の選択や理解は進むものです。進化したテクノロジーを使って、どんなに素晴らしいマテリアルをつくったとしても、学習者に「こうなりたい」「ああなりたい」がなければ活きてこないということです。
――人生100年時代に向けて、これから個人が捉えるべき「学び」とは何でしょう?
まず前提として、学びに対する向き合い方が違ってくると思います。「やっておくといいよね」から「やるべきだよね」への移行でしょうか。近年の労働市場を見ても、もはや1つの仕事にしがみつく時代ではないのですから、誰もが常に新しいことを学んでいなければ、長い人生を豊かなものにはできません。
これは何もネガティブな話ではないんですよ。これまでは、一部の事業家や起業家だけが新しいことを学び、世の中を変えてきたけれど、今は皆がアントレプレナーになれる時代です。自分の選択肢を拡大・進化させ、人生におけるより多くの機会を手に入れることができるもの――それが私の学びの定義で、人々を幸せにする最良のツールだと考えています。
執筆/内田丘子(TANK)
※所属・肩書は取材当時のものです。
Dr.Alon Halevy(アロン・ハレヴィ博士)
Recruit Institute of Technology CEO
1993年、スタンフォード大学コンピュータサイエンス学科博士号取得。その後、ワシントン大学のコンピュータサイエンス学科の教授を務め、同大学にデータベースリサーチグループを創設。エンタープライズの情報統合基盤を提供するNimble Technology Inc.および、ディープウェブを提供するTransformic Inc.を創業。後者をGoogleにバイアウトしたのを機に、Google本社のシニア・スタッフ・リサーチ・サイエンティストとしてデータマネジメント分野の研究責任者となり、Google Fusion Tablesなどの開発に携わる。ACM(米国コンピュータ学会)フェロー、2006年に「VLDB 10-year best paper award」を受賞。2015年より現職。