スウェーデンに学び、企業横断的なキャリアと生活を支え合う仕組みをつくれ 山田 久 氏
山田 久氏
株式会社日本総合研究所 副理事長/主席研究員
87年京都大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)入行。93年4月より株式会社日本総合研究所に出向。調査部長/チーフエコノミストなどを経て2019年より現職。15年京都大学博士(経済学)。法政大学大学院イノベーションマネジメント研究科兼任講師。主な著書に『賃上げ立国論』(日本経済新聞出版社)、『失業なき雇用流動化』(慶應義塾大学出版会)。
普通の人の暮らしと仕事を支えるためには、キャリアの共助が必要だ
日本のキャリア自立は自己責任論になっている
日本ではよく「キャリア自立」が必要だといわれますが、その自立には「ひとりでやらないと駄目だ」というニュアンスがあります。いわゆる自己責任論なんですね。一方、それを批判する側には、「企業が雇用を維持するべき」「国がもっと国民を守るべき」という立場が多いように思います。
でも実は、より大切なことは、働く人が互いに支え合う「共助」が機能することなのだと思います。欧米の社会をよく見ると、この共助がしっかりしており、普通の人の仕事と生活を支えています。今の日本にはそれが弱く、本当に強い人しか生き残れない。だから、現状にしがみつかざるをえないのです。
職業別コミュニティの形成が日本の課題
よく日本の雇用は「メンバーシップ型」といわれますが、正確には「企業に対するメンバーシップ型」です。これに対して欧米の人たちは「職業に対するメンバーシップ」を持っている。一部の強い人をのぞくと、多くの人はどこかにメンバーシップを得て、帰属意識やアイデンティティを持てないとやっていけません。しかし今の日本では、多くの人にとって、その帰属意識やアイデンティティをもたらすものが会社ぐらいしかないのです。そこから見直す必要があるのですが、見直すだけでは不安定になるので、企業を超えたコミュニティをいかにつくるかが日本の課題だと考えています。
中でも大切なのは、職業へのメンバーシップを持てるコミュニティの形成です。趣味の集まりも悪くありませんが、職業は自分が価値を置くものであり、自尊心の根拠になるものです。ですから、職業コミュニティをどうつくっていくかは、個人のキャリア自立のためにも重要なのです。
職業コミュニティは、これからの人材育成においても重要です。よく人材育成が大切だといわれますが、突き詰めればこれほど難しいものはありません。本質的に人に何かを教えることは困難であり、教師は本人が学んでいくことを支援することしかできないと思います。そのときに、本人が学ぼうとするモチベーションは、他者への競争心や憧れ、ちょっとした助け合いなどコミュニティ内の関係性によって生み出される部分が大きいのです。これについてわかりやすい例は、研究者のコミュニティである学会です。そこで切磋琢磨ができるから、研究者が参加するのです。このようなコミュニティを、できるだけ多くの職業でつくることが必要です。
実際に、欧米では職業別のコミュニティが個人のキャリアに重要な役割を果たしています。米国の場合は、職種別のアソシエーションがそれにあたります。たとえば、人事担当者のアソシエーションでは、例年大規模な大会を開催して情報交換や切磋琢磨を行い、職業や仕事へのアイデンティティ形成を担っています。
欧州はやはり組合です。私が研究で何度か訪れたことのあるスウェーデンでは、職業別、産業別の組合が社会で大きな役割を果たしているんですね。たとえば、ホワイトカラーの専門職の労働組合としてSACOという組織があるのですが、そこが仲立ちになり、職種を軸にしたコミュニティが存在しています。
大学や労働組合によるキャリア支援の可能性
共助を生み出す場としての大学の可能性
キャリアの共助を生み出す可能性がある場として、たとえば大学が挙げられます。私は社会人大学で教鞭を取る機会を得ているのですが、そこでは社会人のキャリアチェンジを支援するプログラムが組まれています。大学は社会的な価値を認められている場であり、そこでコミュニティやネットワークをつくることには可能性があります。これからは少子化によって大学に入学する若者が減っていきますので、大学も企業と連携してプログラムを改善するなど、社会人のキャリアに対する支援をより積極的に行う余地があるはずです。
日本の労働組合が職業コミュニティを主導しにくい理由
組合にももう少し頑張ってほしいと思います。ただし日本では、組合が企業横断的な職業コミュニティを主導しづらい事情があります。企業内組合が基本ですので、そこで徴収した組合費が産業別組合やナショナルセンターに流れる仕組みになっています。そうなるとどうしても、企業別組合の考えを尊重せざるをえず、企業横断的な取り組みには限界があるのです。これに対し欧米では、職業別組合に対して組合費が支払われますので、まず企業横断的な立場から発想することになります。
もう少しいうと、労働者の側にも、企業人事の側にも問題があります。法律は、労働組合に強力な権利を与えていますので、労働者が労働組合をよりよく使えば、もっと働きやすさ、生きやすさを実現できるはずなのですが、なかなかそのような発想にはなっていません。経営や人事もまた、組合と緊張関係を持つことをよしとせず、むしろ一体化したり、コントロールしようとしてしまっている。それでは緊張関係から生まれる発展は期待できません。
もちろん、労働組合が何もできないと言いたいわけではありません。居場所作りやキャリア支援のようななところから、働く人に直接サービスを提供するような形はあると思います。日本の労働組合には様々な経験をしている立派な人が多いですし、徐々にそうした取り組みを広げていく可能性はあると思います。
スウェーデンを参考に、企業横断でキャリアを支える新たな仕組みをつくれ
労使がキャリアを支える組織の設立に合意
キャリアに関わる共助をいかにつくるかを考えるときに、日本が参考にしたいものとして、スウェーデンのTRRという組織があります。ホワイトカラー労働者を対象に、労使双方が関わって再就職支援を行う非営利財団です。なお同様の組織として、ブルーカラー向けや公務員向けの再就職支援を行う財団もあります。
もともとスウェーデンでは、労働組合が従業員の解雇を受け入れてきた歴史があります。不採算事業を維持して雇用を守ったとしても、経済全体が上手くいかなくなれば元も子もないためです。オイルショック後にはスウェーデンも雇用情勢が大幅に悪化し、それまで比較的安定していたホワイトカラーの雇用も不安定になりました。スウェーデンでは職種や産業別に労働組合が立ち上げられていますが、ホワイトカラーの労働組合と使用者団体が協約を結んで設立したのがTRRです。TRRには政府の資金は投入されておらず、企業が人件費の一定割合を拠出することで運営費が賄われています。
求職活動を安心して行うための2つの支援
TRRのサービスには、大きく2つの柱があります。1つ目は金銭面でのサポートです。失業保険からの手当は支給額に上限があり、それだけでは生活が難しい場合があります。そこで掛け金に基づいて2年間の上乗せ給付を行い、その間は求職者が安心して仕事を探せるようにしています。
もう1つは再就職支援です。たとえばある会社が整理解雇の計画を立てると、最初にTRRに連絡がいきます。その後、解雇計画の対象者1人ずつにパーソナルアドバイザーと呼ばれる担当がついて、再就職まで伴走します。TRRの運営ボードには労働組合が加わっており、労働者のための支援が行われているかをチェックしています。
TRRの支援があるから、求職者の自助努力が上手くいく
現地で話を聞きますと、再就職先は本人が探しだすケースが多いのだそうです。スウェーデンは流動的な社会で転職しやすく、日本と違って個人が会社以外の様々なネットワークを持っていることが多いのですが、それでもひとりで求職活動をするとどうすべきかわからなくなります。そのためにパーソナルアドバイザーが、求職者の希望やスキルや経験、コンタクト先を確認しながらアドバイスし、最終的には自分で仕事を探します。だからこそ本人が納得できるし、上手くいくとのことでした。
もちろん、そうした支援があっても再就職が上手くいかない人や、新しい職業に移りたいと考える人もいます。そのような場合には、公的な職業訓練や、民間のアウトプレースメント会社や人材サービスにつなぐなど様々なルートが駆使され、2年以内に95%が再就職しているとのことでした。こうした組織があることは、企業がダウンサイジングせざるをえなくなったときに、労使で前向きに対話する基盤にもなっているのです。
TRRの広報の方のお話では、これからの役割として、働く人が日常的にキャリアを相談できるサービスも視野に入れているそうです。これからの時代、ダウンサイジングや事業構造の転換は日常的になり、個人のキャリアチェンジもより頻繁になっていきます。だからこそ、継続的な伴走が必要だというわけです。ただそこはまだ未来の話で、彼らも今考えている段階とのことでした。
雇用保険の財源活用し、日本版TRRの設立を
日本でも、TRRのような組織を立ち上げるべきだと考えています。政府は今、コロナ禍への対応のために雇用調整助成金を拡充し、雇用安定化を図っています。しかし雇用保険の財源は雇用調整助成金だけではなく、再就職までを支える日本版TRR設立のためにも使えるのではないでしょうか。もちろん、日本版TRRにおいても運営ボードに組合の代表が入り、働く人の目線からのチェック機能を働かせることが大切です。
要するに、本当に労働者の立場に立って伴走してくれるところや人を、どうつくるかということが大切なのだと思います。
(執筆 大嶋寧子)