人生100年時代、人生の時間配分を変え、価値観を進歩させよ 駒村 康平 氏

2020年11月16日

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駒村 康平 氏

慶應義塾大学経済学部教授
ファイナンシャル・ジェロントロジー研究センター長
専門は社会政策論。長寿・加齢によって発生する経済課題を解決する学際的研究を推進。社会保障審議会委員、金融庁金融審議会市場ワーキング・グループ委員等を歴任。著書に『福祉の総合政策』『年金はどうなる ―家族と雇用が変わる時代―』、編著に『アジアの社会保障』などがある。日本経済政策学会優秀論文賞、生活経済学会賞、吉村賞などを受賞。博士(経済学)。


「人生の春夏秋冬が20年ずつ」は古すぎる

今は、60歳過ぎたら長い冬

人生100年時代になり、人生の時間配分を考え直す必要が生まれています。これまで人生は春夏秋冬が20年ずつで、大学を卒業する22歳までが春、40歳くらいまでが夏、60歳くらいまでが秋、その後はずっと冬でした。これでは80歳でゴールにたどり着き、人生の後半戦は枯れていくだけです。100歳まで生きる社会では、古すぎる考え方です。
キャリア形成の問題は、21世紀生まれの若者、20世紀生まれの現役世代、リタイアする高齢者でかなり違います。ただ、少子高齢化により、15歳から39歳の労働者は33%で、あとの67%の大半は40歳以上なので、対策は長寿化をみすえて行うべきです。

加齢により能力は低下しない

今の日本は、加齢により能力は低下するという前提で社会がつくられています。たしかに加齢により低下する能力もありますが、年を取っても維持、向上する能力もあります。
図は、加齢による能力の変化をまとめたものです。情報処理のスピードや直観力、瞬発力などの「流動性知能」は加齢により低下しますが、洞察力、対人折衝や理解力、言語能力などの「結晶性知能」は高齢期になっても改善して高止まりします。

たとえば、タイピストのタイピングの入力速度は、加齢により変わらないことがわかっています。加齢によって反射能力が衰えても、経験値によって次に出てくる言葉を予測する能力は維持されるため、実際の入力速度、生産性が落ちないのです。

図 加齢による能力の変化
(縦軸は精神年齢。グラフは上から結晶性知能、伝統的知能、流動性知能)

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出所:Cattell, R. B. (1987). Intelligence: Its Structure, Growth and Action. New York: North-Holland.

徳川家康が石田三成に勝った理由

若いほど能力が全面的に優れているわけではないのは、関ヶ原の戦いでも明らかです。関ヶ原の戦いのとき、石田三成は40歳で、流動性知能が冴えわたっていました。三成は、北条討伐や太閤検地、朝鮮出兵と、当時の国家的プロジェクトを率いた極めて優秀な人物です。

一方、徳川家康は59歳。三方原の戦いで敗れ、本能寺の変では逃亡するなど厳しい経験をしていましたが、おそらく流動性知能は三成に及ばなかったでしょう。しかし、天下取りの戦いでは家康が勝った。家康は、人は何を望んでいるのか推測して巧みに味方を増やし、そして自分の不足を補えるチームをつくっていく能力、対人折衝能力、つまり結晶性知能は三成よりはるかにたけていたのです。
つまり結晶性知能が優れていれば、流動性知能が優れている若者に総合力で勝つことができるのです。

キャリア選択、引くときは自分、前に進むときは他人に押してもらう

「キャリアを自分で形成する」は傲慢

就職活動中の学生からよく、「適職がわかりません。内定を複数もらったがどこに行けばいいか悩んでいます」と相談されます。そのときは「適職など誰もわからない」と答えています。なぜなら、望む企業に就職したとしても、最適な仕事に就いたとしても、長い人生それが続くとは限らないからです。

100年の人生で大事なのは、生涯にわたって自分の可能性を高めていくという姿勢です。キャリア選択では、前に進むとき、たとえば、あるポストや仕事を引き受けるときは、他人の評価も大切です。自分のことを客観的に理解している他人が背中を押してくれることがあるのです。他方で、ポストから引くときは、自分で判断しないといけないでしょう。
様々な出会いが自分のキャリアの形成のきっかけになるので、自分ひとりでキャリアを形成していくという考えは、傲慢ではないでしょうか。

生活保護のスティグマを払拭する

キャリア形成では、それを支える共助や公助が重要な役割を果たします。リクルートワークス研究所の「十人十色のキャリア選択を支える社会プロジェクト」では、自助や共助、公助という言葉をかなり広い意味で使っていますが、福祉の専門家は狭義の意味でとらえるので、論者によって言葉の定義が異なることには注意が必要です。

社会保障・社会福祉では公助の代表は生活保護です。しかし、日本では、最後のセーフティネットである生活保護がきちんと機能していません。新型コロナウイルスにより仕事をなくし生活に困る人に、政府は堂々と「生活保護はいざというときの仕組みです。今こそ生活保護を使ってください」というべきですし、実際ドイツ政府はそのように国民に伝えていますが、日本政府は全国民一律に10万円を給付することにしました。
生活保護に対しては、個人のほうも、原則、扶養照会や乗用車などの財産を放棄せねばならず、自営業の方などもう二度とチャンスが得られないのではと危惧して、生活保護だけは勘弁してほしいと考えがちです。日本ではさらに周囲が、「あの人は生活保護をもらっている。ああはなりたくない」とスティグマ(烙印)を押します。
しかし、生活保護は、路上暮らしや自殺に追い込まれる前に使うべき当然の権利です。現在の感染防止か経済活動かという二択の問題を緩和するためにも、社会保障制度は重要です。

ベーシックインカムには反対

近年、AIによる失職リスクの高まりを背景に、生活保護に代わるものとしてベーシックインカムを導入すべきという意見が増えていますが、わたしは反対です。
ベーシックインカム推進派は、ベーシックインカムにより自由な時間が増え、自由意思でお金が使えるようになるといいます。これは、「労働は少なければ少ないほどよい」というキリスト教的な労働観に基づいています。お金さえあれば困窮の問題が克服できるという考えも市場主義的な発想です。

ベーシックインカムを出せば、生産性の低い人を労働市場から追い出すことができる、労働法規や社会保障もいらないと考えている人もいます。しかし、労働は人生の一部で、自分の可能性を拡大し、自己実現につながるものです。ベーシックインカムを導入すれば、仕事をしたいのにできなくなり、自己実現の場が奪われることが忘れ去られています。

もちろん労働にふさわしい条件を保障するということは前提ですが、仏教的な労働観とは、仏教経済学を最初に唱えたシューマッハーによると「人間にその能力を発揮・向上させること、一つの仕事をほかの人とともにすることを通じて自己中心的な態度を棄てさせること、最後にまっとうな生活に必要な財とサービスを造りだすことである」となります。わたしはこの考えに立ちます。労働の意義とは、自己の陶冶(とうや)、他人との連携・協働、そして生計費の確保です。
ベーシックインカムは、個人の自尊心を傷つけ、社会的孤立を生むと考えています。

中高年の価値観の進歩によって、社会が進歩する

キャリア観が同質的な中高年男性

大企業の中高年男性は、望ましいキャリアに対する価値観が画一的です。同質的な集団にコミュニティが閉じていて、外の世界を知らないからこうなるのです。高校・大学・就職の選抜で人間の同質性が高まり、会社の人とだけつきあっていると、新しいことに気づくチャンスがなく、小さな差異ばかりを気にするようになってしまいます。

キャリア観を広げるには、コミュニティを増やすことが有効です。たとえば、サバティカル休暇で一時的に仕事を離れ、視野を広げる。あるいは、正業と副業で同時に職業を2つ持つ。2つの仕事の比重は、若い頃は90:10ですが、どこかで50:50になり、その後、正副が入れ替わることもあるでしょう。副業では、2つの仕事から収入を得る以上の価値を得ることが大切です。生涯を通じて自己陶冶と他者との連携、協働を学び続けるべきです。

企業を超えた職能団体も考えられます。近年、志を持った専門家同士がSNSで緩やかなネットワークを組む動きが出てきています。ただ一般のビジネスパーソンにとって、職能団体や産業別労働組合の活動に参加するのは容易ではないため、発展途上といえるでしょう。

企業は、社会的活動に参加できる機会を

学生やリタイアした高齢者のなかには、共助の一種であるNPOに積極的に参加している人がかなりいます。学生には時間があり、高齢者には現役時代に実現できなかった志と時間がある。しかし、現役世代は忙しすぎて参加できません。年代によって時間的な余裕に極端な差があり、共助への参加が妨げられているのですが、人生100年時代には、このような状況は望ましくありません。
現在、たとえば地域で民生委員や児童委員をするのは、70歳以上の高齢者ばかりです。しかし、このような行政や地域の仕事は、社会課題に気づき、価値観を広げられる役目でもあります。もっと地域の支え手である現役世代が担えるようにするべきです。

そのための方法は、企業が、従業員がボランティア活動する時間を保障し、さらには社会貢献を非財務指標として評価する市場インセンティブの設置などが考えられます。
他人との連携、協働の機会を増やす仕組みが求められています。

価値観を進歩するための学び

中高年のキャリア形成に対する価値観は、子ども世代にも影響します。たとえば、親が団塊世代の成功体験をもとに、「有名な大企業に行け」「A社のほうがB社よりランクが上」と子どもにいいます。子供のほうはベンチャー企業や外資系企業に未来を感じているにもかかわらず、親の意見によって就職先を変えてしまう。こういうことは珍しくありません。

過去の成功体験に凝り固まった価値観のまま、社会の変化に関心を持たない中高年は、子どものキャリア選択の幅を狭めてしまうのです。加えて、社会の進歩の障害にもなります。
それを防ぐには、中高年に学ぶ機会を提供することです。自己陶冶の機会の確保です。たとえば、高齢者向けのリカレント教育のデジタル番組をつくり地域で紹介することや、年金を支給する際にクーポンを配ってお誘いする方法が考えられます。

アメリカには、リタイアした人しか入れない大学院があり、様々な経験をし、リタイアした後で、しかるべきレベルの人同士が教え、学び合う場があります。
日本社会は、大学も含め、100年のキャリアを歩んでいくための教育に責任を持って取り組んでいくべきです。

(執筆)中村天江