多様なキャリア選択を可能にしていくために、教育の抜本的な見直しが必要だ 本田 由紀 氏
本田 由紀 氏
東京大学大学院教育学研究科教授/日本学術会議連携会員
東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。日本労働研究機構研究員、東京大学社会科学研究所助教授等を経て、2008年より現職。専門は教育社会学。教育・仕事・家族という3つの社会領域間の関係に関する実証研究を主として行う。特に、教育から仕事への移行をめぐる変化について指摘と発言を積極的に行っている。著書に、『教育の職業的意義』(ちくま新書)、『若者と仕事』(東京大学出版会)、『社会を結びなおす』(岩波ブックレット)、『教育は何を評価してきたのか』(岩波新書)など多数。
学校教育が多様な選択を阻んでいる
人間の多様なあり方と逆方向の教育の価値観
柔軟なキャリア選択を阻んでいるものとして、日本の教育制度にとても深く埋め込まれている考え方があると思います。具体的には、子どもたちを「全員同じね」という画一性の中に追い込んでいく考え方や、垂直的に序列付けていくような考え方で、私はこの2つをそれぞれ「水平的画一化」「垂直的序列化」とというキーワードで呼んでいます。
この考え方には歴史的な背景がありますが、現在の法的な根拠になっているのが、2006年に改定された教育基本法です。それ以降、学習指導要領をはじめ、この2つの価値観が推し進められてきました。人間とはこうであるべきだ、こうでなくてはいけない、このように感じ、このように振る舞わなければならないという内容が、「特別の教科 道徳」などで定められていて、それに対し「NO」と言えない枠組みがつくられています。
一時期ゆとり教育が推進されましたが、それ以降はまた、学力重視の教育に逆戻りしています。全国学力テストなど、縦の序列の中に子どもたちを全員位置付けていくような仕組みが教育に組み込まれている。このような状況では、「人間は多様なあり方が可能だ」とか「自分の生き方や仕事、キャリアをのびのびと追求していいんだ」という発想になるわけがありません。
必要なのは「個を大切にする」教育
重要なのは、教育でいかに個を大切にしていくかということです。これは放任することではなくて、「ここまでは何とか到達してね」という範囲は目安として示しておいて、そこにどういうスピードや方法で到達していくかについて、個々の子どもたちが選べる範囲が非常に幅広いことを意味しています。
日本の学校は学級や学年を非常に重視しますが、進んでいる科目は上の年齢の子どもたちと、遅れている科目は下の年齢の子どもたちと学ぶような運用や、早めに目標水準に達した子は、発展的な学習やその子がより関心があることを学んでいけるような柔軟な形に変えていくことは、難しいですが可能だと思います。そこでは教員の役割も、進度に応じて、子どもが今日取り組みたいことを支援していく形になります。欧州の一部の国でこのような取り組みが進んでいます。
個を大切にする教育のカギは、少人数学級
日本の教員は集団としての教室をどうまとめ、授業をどううまく進めていくかに力点を置く傾向があります。教員養成課程でも教育実習でも、集団としての教室運営や、子どもたちをどう引っ張っていくかに重点が置かれていて、子どもたちに対する個別の支援が置き去りになっています。このような教員育成の慣行や職務についての考え方を、どう揺り動かしていくのかが大きな問題です。
日本の教員がこれほどまでに集団を取りまとめていくことに熱心にならざるをえなかった背景には、1クラスあたりの人数が多い分、統率が取れなくなると、教育の場としての前提自体が成り立たなくなることがありました。
ここから個々の子どもに目配りしていく方向へ変えていくための重要な手がかりが、少人数学級です。国立教育政策研究所の研究では、クラスが30人以下になると、個々の子どもたちの様子に目が届き、支援してあげやすくなることが指摘されていますし、教員の方々も実感ベースでよくそのようにおっしゃいます。これまで教育に関わる支出をいかに抑制するかが追求されてきましたが、そこからの転換が重要であり、難しくてもやらなければいけないことだと思っています。
子どもたちが多様な選択をするために、
社会の側で整えるべき条件がある
ジョブを追求できる採用を
企業が採用の仕方を変えていくことは、教育を変えていくうえでのインパクトが大きいと考えています。職業の多様性が認められ、働く人が専門性を高めていけるよう、採用においても切り出せるものについてはジョブディスクリプションを明確にして、その仕事をできる人、やりたい人を、新卒・中途の区別なく採用する形にしていくことが、教育と仕事の接続を変えていく上で不可欠です。
労働組合の方などが、このようなジョブに基づく採用に不信感が強いのは、ジョブがなくなったときの雇用保障や仕事を離れたときのセーフティネットのなさへの懸念があるのだと思います。しかし、これは工夫次第で変えていくことが可能です。たとえば、これまで就いていたジョブが企業内になくなった場合に、本人が望めばほかのジョブへの異動やメンバーシップ型への転換の道を企業側が提示するよう定めていくという方法があります。
中間団体としての職種別団体や労働組合の重要性
もう1つ、ジョブに基づく採用を進めるためには、外部労働市場でジョブをこれまでと同様に追求していけるルートをしっかりつくっておくことも大事です。そのためには、職種別の団体や労働組合の役割をもっと強くしていく必要があると思います。
これから先、たとえば企業法務であったり、あるいは経理であったり、営業であったり、様々な職種が切り出されてジョブ型になっていく可能性があります。そのときに企業を超えた横断的な職種別の団体が、新たな仕事の機会を紹介したり、個人のそれまでの経験や専門性を見定めたりすることができればよいのですが、まだこのあたりが非常に遅れています。
既存の労働組合にも期待したいのですが、日本は企業別の労働組合が主流で、企業を超えたマッチングや個人のスキル形成への関心は高くありません。ただし本当に少ないケースではありますが、一部の産業別労働組合や個人加盟の労働組合では、企業横断的なスキル形成を支援することに関心を持つところが現れています。共助にあたる中間団体として労働組合は非常に重要ですので、ここを強くしていくしかないというのが私の考えです。
どんな選択でも「大丈夫」な社会の基盤づくり
高校などで講演すると、親世代が子どもたちに、とにかく正社員や公務員になるよう強く圧力をかけていることを見聞きします。世界が大きく軋んでいく中で、上の世代と若い世代との間で、軋轢(あつれき)が生じているのです。高校の進学校の進路指導でも、多様なキャリア選択を奨励するどころか、国立大学や医学部への進学実績を重視した進路指導が行われたり、専門分野に関する志望が尊重されずに、ねじ曲げられるような形で進路を変えさせられることがあります。
その一方で、大人が無責任にならずに、子どもたちが多様なキャリアを選択できるようにして勧めていくためには、「何を選んでも大丈夫」という環境を先につくることが筋です。たとえば、日本は本当に住居費が高い国で、家賃を払い続けたり、奨学金を払い続けたりするためには、とにかく正社員でないと難しい状況になっています。必要ならばある時期にスムーズに生活保護が受けられるようにしたり、基本的な衣、食、住をできるだけ低廉な費用で確保できるようにしていくことなどにより、一時期休んだり、方向転換のために迷ったりしても安心してその時期を過ごすことができる受け皿を用意する。そのうえで、多様な選択肢をつくっていくことが必要です。
多様な選択を支えるもう1つの教育
ワークルール教育の法定化が急務
これからは、働く人自身がボイスを発して労働条件の交渉をしていかないといけない度合いが、もっと切実になると思います。そのときに大切なワークルールの教育、労働関連法規や労働者の権利についての教育は、学校現場でやれば十分なわけではなく、教育を終えてからも繰り返し行うことが必要です。少なくとも学校現場ではその基盤となるものをやってほしいと思うのですが、現在はやっとワークルール教育推進法案が準備されたところで、法律化もされていない状況です。
広く軽やかなネットワーキングの場づくりを
もう1つ、これから先に必要になってくるのは、薄く広い、軽やかな、必要なときに関われるような、ネットワーキングの手法です。学校でも家族でもない、広い外部の関係性を生み出す余地を、どうつくっていくかが大事です。これは、現状の学校現場から見ると、ものすごくなじみが薄い課題です。放課後も含めて学校にいる時間が長い中で、学校のくるみ込む力がとても強く、子どもたちは自分が制度的に属している集団を超えたつながりを持つことを考える余地がありません。
一方で、自治体の中には児童館だったところをつくり替えて、子どもたちが自由に出入りしたり、過ごせる場をつくる取り組みも始まっています。また、教員の働き方改革や少子化の影響により以前と同じような部活動を維持できなくなっているため、地域でスポーツや文化系の活動など、学校を超えた活動の場を提供していくことも提言されています。これは少子化などの事情で、やむをえず進んでいる面があるのですが、本来は今の学校制度のどこに問題があって、どこに向かうべきかという方向から、この取り組みについて議論できるといいと思っています。
(執筆)大嶋寧子