HRとテクノロジーの未来を語る二大基調講演
2024年10月16日と17日に、フランスのパリでUNLEASH World 2024 が開催された。UNLEASHは欧州を拠点とするHRテクノロジーのコンファレンスで、年2回、欧州と米国で行われている。今年の展示会にはスタートアップから大手まで約200社のHRテクノロジーベンダーが出展し、特に給与計算分野のベンダーが目立った。これは、企業が公正な給与制度の確立を目指していることが背景にあると考えられる。今回で13年目を迎えたUNLEASH World 2024では、15のステージで同時にセッションが行われ、250人の講演者が登壇した。特に注目を集めたのは、未来予測の専門家Amy Webb氏とHR領域のアナリストJosh Bersin氏による基調講演である。彼らは、それぞれの視点からHRテクノロジーの進化がもたらす可能性と課題について語り、組織が未来に向けてどのように備えるべきかを共有した。
Amy Webb氏:AIとバイオテクノロジー、高度センサー技術の融合が描く未来
Future Today InstituteのCEOであるAmy Webb氏は、「未来の光景:2030年以降の仕事の姿」というテーマで講演し、企業が未来のビジョンを持つ重要性を強調した。今後5~10年間で普及すると思われる革新的な技術について解説し、特にAI、バイオテクノロジー、高度センサー技術が次のイノベーションを引き起こすと述べた。
現在のAIは大規模言語モデル(LLM)が主流だが、Webb氏はこれが行動を予測し意思決定を支援する大規模アクションモデル(Large Action Models; LAM)に進化すると予測している。LAMは下記の3種類に分かれる。
- PLAM(個人用LAM)… 個人の行動や感情に基づいて意思決定を支援するデジタルツイン
- CLAM(企業用LAM)… 企業の戦略立案を支援し、複雑な課題を解決する
- GLAM(政府用LAM)… 公共政策の意思決定プロセスを最適化する
Webb氏は、デジタルツインが今後5年以内に広く普及し、個人や組織の業務効率を大幅に向上させると予測した。たとえば、医療分野では、AIが患者の体内データや行動データをリアルタイムで収集し、個別化された診断や治療計画を設計できるようになるという。職場では、AIが会議資料を整理したり、過去のプロジェクトの進行状況を瞬時に検索して提示したりする機能が考えられる。また、従業員の働き方や感情データを分析し、ストレスが蓄積されている場合にはリフレッシュできるタスクを提案することも可能である。
さらに、AIと高度センサー技術、バイオテクノロジーが融合することで、今までにない革新的な応用が実現するとWebb氏は述べた。たとえば「Evo」というAIモデルは、生物学的に新しい材料を生成する技術で、既にガラスのイノベーションに利用されている。オフィス環境では、ノイズキャンセリング機能や自動調光機能を備えたガラスが開発されており、会議室に入ると自動的に暗くなりノイズキャンセリングが働くような仕組みに応用できる。個人の気分に応じて照明を自動調整する機能も開発され、生産性向上に寄与するだろうとWebb氏は期待している。
また、人工的なAIに対して、今後は生物由来の知能「オルガノイド・インテリジェンス(OI)」の時代が来るとWebb氏は予測している。OIは、人間の脳細胞を培養して情報処理を行う技術で、ジョンズ・ホプキンス大学が初期段階の研究を進めている。「2034年には、脳細胞を用いたバイオコンピューターが広く実用化される可能性がある」と述べた。
Webb氏は、現在働いている全世代を「Generation T(トランジショナル世代)」と位置付け、急速な技術進化の過渡期を生き抜く重要性を強調した。「計画しないことは、失敗を計画するようなものだ」と警鐘を鳴らし、不確実性を受け入れながら未来を積極的にデザインする準備が必要だと訴えた。
Josh Bersin氏:HRと組織デザインの再構築
The Josh Bersin CompanyのCEOであるJosh Bersin氏は、「HRの未来を形作るAI革命」というテーマで講演した。Bersin氏は、先進国で労働力人口が横ばい状態にもかかわらず、GDPが成長している現象を取り上げ、これがテクノロジーの進化によるものであると指摘した。かつては、GDPを伸ばすためには従業員数を増やすことが主流だったが、現在はAIやHRテクノロジーの力を借りて、生産性向上、組織設計の最適化、従業員エンゲージメントの強化、フレキシブルワークの実現が可能になっている。そのため、中小企業でもテクノロジーをうまく活用することで、大企業をしのぐ成果を上げられると述べた。企業がAI活用の効果を最大化するためには、従業員が新しいツールを使いこなせるように、環境を整えることが不可欠である。
Bersin氏は、人事領域ごとのHRテクノロジーの進化についても説明した。たとえば「基幹人事システム」では、各部署からのデータを1つのプラットフォームで整理・分析することで、従来は時間がかかっていた情報収集や分析が瞬時に完了する。この領域ではSAPが先行しており、チャットボット「Joule」がSAP内の全てのアプリケーションにアクセスできるため、従業員、HR、マネジャーがJouleに情報を問い合わせたり、トランザクションを実行したりすることで業務の効率化が図られている。
「タレントアクイジション」の分野では、AIを活用したスクリーニングや面接支援、候補者評価の精密化が進んでいる。Paradoxは、高ボリュームの採用プロセスを1日で完了できる効率的なツールを提供しており、採用活動のスピードと質を向上させている。しかし、候補者自身がAIを使って履歴書を求人要件に適合するように最適化する「AI対AI」の競争も発生しており、採用担当者に新たな課題をもたらしている。
「タレントインテリジェンスシステム」の進化については、従業員データを統合的に解析する技術が、昇進や配置、報酬の意思決定をより公平かつ精密なものにしている。eightfold.aiは採用からキャリア開発までを統合的に管理し、戦略的な人材活用を支援することで顧客企業の競争力を高めている。
Bersin氏もWebb氏同様にデジタルツインについて言及し、個人のデジタルツインに関しては、従業員が不在の間にも業務を継続できる実例を紹介した。たとえば、病気や家族の事情で従業員が突然あるいは長期間不在にしても、上長や同僚がその従業員のデジタルツインに質問を投げかけることで、必要な情報が引き出され、業務を停滞させずに進めることができる。企業のデジタルツインは、新規プロジェクトの進行状況やリソースの最適な配分を事前にシミュレーションすることで、リスクを特定し、効率的な計画を立案することが可能となる。また、従業員のスキルや作業習慣を分析し、最適なチーム構成やプロジェクトへのアサインメントを提案することもできる。
まとめ:HRが創る新たな時代
両氏の講演に共通するテーマは、急速に進化するテクノロジーに対する「準備」と「マインドセット」である。Webb氏が描く未来のビジョンと、Bersin氏が提唱する実務的な戦略は、どちらもHRがテクノロジーを活用して経営者の戦略的パートナーとして成長するための道筋を示している。経営者も実務担当者も、「Generation T」として変化を受け入れ、未来をデザインすることで、組織は変化の波を乗り越えることができるだろう。優れたHRテクノロジーは、その助けとなり得る存在と言える。
【参考リンク】
UNLEASH1日目のハイライト What you missed, from Peter Hinssen to Amy Webb
UNLEASH2日目のハイライト Chanel, L’Oreal, Google, and more!
TEXT=石川ルチア