
アジアにおけるキャリア教育の変遷と課題
日本のキャリア教育の何が問題なのか
日本のキャリア教育は社会変化の波に乗り切れていないように思う。
キャリア教育の概念や定義は国・地域によって異なるが、一般的には、個人が職業に関する意思決定を行い、学校から仕事への移行をスムーズにさせるための教育とされる(Watts & Sultana, 2004)。日本では、当時のフリーターの増加を背景に「初等中等教育と高等教育との接続の改善について『答申』(1999)の中で初めて「キャリア教育」が紹介され、その後、2011年には「一人ひとりの社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」と定義された。そしてこれまでに小学校から大学に至るまで子どもたちの成長に合わせた「キャリア教育」が実践されてきた。
学校で実践されているキャリア教育の内容は地域や学校段階に応じて様々で、小学校では「街探検」として地域の大人たちの働く様子を学んだり、中学校では職場体験を核としたプログラムが行われたりしている。探究に主眼を置いて研究テーマを設定しポスター発表を実践している高校もある。キャリア教育が開始された当初は、学校段階ごとの目標を立て、それに沿った活動目標が設定されていたが、近年では、前年度から引き継がれた一連の活動をそのまま実施している学校も多く、学校での研修会などで、「なぜキャリア教育が必要なのか」を尋ねても回答に詰まる教員も多い。
働く時間や働き方、そして働く意味そのものが多様化する中、個人のキャリアプランニングはこれまで以上に必要であると考えられるが、現在の日本のキャリア教育には、実施の体制や方法、理論的な視座や実証の不足など、いくつもの問題が生じている。
中でも大きな問題のひとつは、社会環境の変化をどのように学校段階のキャリア教育に取り入れるのか、議論が進んでいないことだと考える。
キャリア教育導入の背景と変化
日本のキャリア教育の参考とされた米国では、1994年以降、全50州に「School-to-Work(STW)」の資金が配分され、学校と仕事のつながりを構築する制度が整備された。これは、米国において、学校教育と職業世界の接続が不十分であるという研究結果(Bailey & Kienzl, 1999; Hughes et al., 2001)を背景に、州や地方レベルでの教育改革を促進する目的で導入されたものである。Bailey & Kienzl (1999) は、従来の米国の教育システムでは職業準備が十分に行われておらず、高校卒業後の進路として就職する生徒にとって選択肢が限られていることを指摘した。また、Hughes et al. (2001) は、学校と職場の連携が弱いことが、若年層の労働市場適応の困難さを生んでいると述べている。こうした問題意識の下、STWプログラムは学校教育と労働市場の間の橋渡しを強化するために導入された。
ところが近年、こうした米国のキャリア教育の内容に変化が見られている。早期からキャリア教育に注力していたミズーリ州では、現在、キャリア教育と社会的・情動的学習(SEL: Social and Emotional Learning)の統合を加速させている。キャリア教育は単に職業スキルの習得ではなく、「自己認識」「自己管理」「社会的認識」「対人スキル」「責任ある意思決定」を支援することが重要だとして、生徒らが変化する労働市場に対応できる柔軟性を醸成する動きが見られている。
カリフォルニア州やテキサス州などでは、デジタルスキルとSTEM教育 の強化も見られている。特に、AIやビッグデータの発展により、STEMスキルが今後のキャリア形成において不可欠とされている。カリフォルニア州では、「K-12 STEM Education Initiative」を推進し、高校生向けにAI、ロボティクス、データサイエンスのカリキュラムを強化。GoogleやAppleといった地元IT企業とのパートナーシップにより、STEM関連の職業訓練を実施している。テキサス州では、「Texas STEM Education Framework」の導入で、K-12レベルでのSTEMカリキュラムを強化し、高校卒業後のSTEMキャリアパスを明確化することで、従来のキャリア教育との融合をはかろうとしている。
なぜアジアのキャリア教育に着目するのか
このように、職場で必要とされるスキルもキャリアプランニングの在り方も時代によって変化するが、日本のキャリア教育に社会の変化が反映されているとは言い難い。DXの進展に適応し、変化する職業環境に柔軟に対応できる人材を育成するためには、キャリア教育の方向性を見直す必要がある。従来のように1つの企業で長期間働くことが前提のキャリア設計はもはや現実的ではなくなり、外部環境の変化に適応しながら複数回のキャリア転換を経験することが一般的になりつつある。そのため、単なるスキルの習得ではなく、変化に対応できる柔軟な思考力や適応力を養うことが不可欠である。
アジア各国・地域では経済成長とともに急激なスピードで産業構造が変化しており、新たな労働市場のニーズに適応するキャリア教育が求められている。個人のキャリアプランニングの方法も変化しており、詳細は各コラムに譲るが、キャリア教育に関する法律がある国・地域もあり、各国・地域の課題に応じたキャリア教育施策が行われていることが明らかになっている。そこで本コラムでは、韓国・ベトナム・台湾・シンガポール・香港といった、国や地域のキャリア教育に着目し、どのような背景でキャリア教育が進められ、見直されているのか、概観する。
リサーチのフレーム、担当
以下の内容についてリサーチを進めた。
・キャリア教育の定義
・実践の背景と目的
・キャリア教育法などの法律の存在
・ガイドラインなどの指標の有無
・管轄の省庁
・カリキュラムでの位置づけ
・キャリア教育を学内(小中高)でリードする人材
また、キャリア教育のリサーチに携わった経験のある研究者がそれぞれ担当国・地域を持ち、デスクトップリサーチに加え、一部の国:地域については、現地の研究者や政府関係者とのやりとりを実施した。次回より、各国・地域のキャリア教育について詳細レポートを報告する。
台湾やベトナム、韓国では2020年代にも活動内容の見直しが進められていることがわかる。
今回のリサーチは出発点にすぎない。今後、我が国のキャリア教育では、環境の変化をどのように取り入れ、個人が主体的にキャリアを設計できる仕組みを整えるかが重要となる。キャリア教育の重要性は高まっており、その見直しや今後の方向性について、活発な議論が進むことを期待したい。
参考文献
Bailey, T. & Kienzl, G. (1999) School-to-Work for the College Bound, Teachers College, Columbia University.
California department of education(https://www.cde.ca.gov/)2025年3月11日閲覧
中央教育審議会 (2011)「中央教育審議会答申『キャリア教育・職業教育の一層の充実に向けて』」.
Hughes, K. L., Bailey, T. R. & Mechur Karp, M. (2001) School-to-Work: Making a Difference in Education, Teachers College Press.
Missouri Department of Elementary and Secondary Education (DESE)(2003)Missouri Comprehensive School Counseling Program (CSCP) Manual 2023.
Texas education agency(https://tea.texas.gov/)(2025年3月11日閲覧)
Watts, A. G. & Sultana, R. G. (2004) Career Guidance Policies in 36 Countries: Contrasts and Common Themes. International Journal for Educational and Vocational Guidance.
※なお、本リサーチについての内容や意見は、すべて執筆者の個人的見解であり、所属する組織及びリクルートワークス研究所の見解を示すものではありません。

辰巳 哲子
研究領域は、キャリア形成、大人の学び、対話、学校の機能。『分断されたキャリア教育をつなぐ。』『社会リーダーの創造』『社会人の学習意欲を高める』『「創造する」大人の学びモデル』『生き生き働くを科学する』『人が集まる意味を問いなおす』『学びに向かわせない組織の考察』『対話型の学びが生まれる場づくり』を発行(いずれもリクルートワークス研究所HPよりダウンロード可能)