官僚統治からWill統治へ 個人が自らキャリアを管理、組織の「オピニオン」を現場へ伝えるのがマネジメントの役割――ディスコ
精密加工装置、精密加工ツールを製造するディスコは、「Will」という社内通貨を設けて業務を金額換算し、個人が収支を管理する「個人別管理会計(Will会計)」を実施しています。結果的に、今では仕事をWillで管理する「Will統治」を実現しています。メンバーが自らの「Will(意志)」で行動し、キャリア形成を自己管理する組織で求められるマネジメントの在り方とは、どのような姿なのでしょうか。サポート本部人財部長の野上健史氏にお話を伺いました。
官僚統治からの脱却が、メンバーのやる気を高め企業成長を生む
―「Will会計」を始めたのは、どのような考えからだったのでしょうか。
当社は2003年から部門別の管理会計制度を、2011年からはさらに個人ごとに細分化した「個人別管理会計(Will会計)」を開始しました。それ以前は普通の会社のように「~をしなさい」「~してはいけない」というルールや、上司の命令で組織を動かしていました。こうした在り方は、国民の行動を政府がコントロールする社会主義経済のようなものです。各個人が経済合理性を追求するなかで、さまざまな商品や知恵が生まれる自由主義経済と比べて、どちらが社会システムとしてうまく回るかと言えば、大半の人が後者を選ぶでしょう。にもかかわらず大半の企業は、社内統治となると官僚的な手法に陥ってしまう。当社は官僚的な統治から脱却することで、統治のコストも減らせるだけでなく、メンバーもやる気が高まり企業としての成果にもつながると考えたからです。
―Will会計とは、具体的にはどのような仕組みなのでしょうか。
ほぼ全ての業務や会社のリソースに、Willという社内通貨で値段がついており、業務を引き受けると報酬としてWillが支払われます。一方で、例えば会議室を使うなどすると、Willが掛かります。メンバー個人や事業部門ごとに、得た額から使った額を差し引いた月ごとの利益が示され、その額が賞与の一部や経費の決裁権などに反映されます。より多くのWillを稼げば、賞与も裁量で使える経費も増えるわけです。
部署が特定の仕事を「出品」し、メンバーが「落札」するオークション制度もあります。例えば人財部が「1年間の給与計算業務」を出品すると、それに対して希望者が30万will、50万willといった報酬額を提示します。出品者は報酬額と希望者のスキルなどを総合的に判断して、誰に任せるかを決めるのです。希望者の多い人気の仕事は報酬額が下がり、人気のない仕事は上がります。また優先度の低い仕事は、発注者も高い報酬を支払いたくないし、その結果落札する人もいなくなるので、無駄な仕事の淘汰にもつながります。
―Will会計の狙いは何でしょうか。
個人の意志を尊重することです。当社には自らの意志で動くとき人は最大の力を発揮するという理念があります。この理念を様々な企業活動に反映させる仕組みがWill会計です。
Willで値付けされた業務に加え、配属先も各自の意志で選択できます。ただし、業務を発注する側や異動を受け入れる側の意志も尊重し、断る自由もあります。つまり双方の合意が必要ということです。この前提が、単なるワガママを言い合う関係ではなく、信頼関係を築き合う関係性を構築します。
働き方も、会社が「ノー残業デー」のように働いてはいけない日を決めるのではなく、遅くまで働きたい人は働き、早く帰りたい人は帰ります。当社はコロナ禍でも、現場重視の姿勢から原則出社の方針を取りました。そのときは出社した人に報奨を払い、その原資をリモートワーク者への課金で賄いました。逆に言えばWillを支払うことで、リモートを選択する道も作ったのです。
自分で仕事や働き方を決められることが能力や働きがいを高め、最終的に組織にも成果を生み出すと考えています。
自己責任でキャリアを作る 企業理念が「正しい運用」のカギ
―Willは賞与にも反映されるのですか。
賞与の一部がWillに連動しており、メンバーの賞与が部長のそれを上回ることすらあります。賞与との連動は、メンバーのWill獲得のモチベーションを高める役割を果たす一方で、部署の側から見れば組織の人数を増やすほど人件費がかさんで損益分岐点が上がり、一人ひとりへの賞与配分が減るという側面もあります。そのため部署の採算を考えながら人材を配置するというバランス感覚が働き、部が適正規模に保たれる効用もあります。
―「自分にはまだ無理」などと考えて手挙げをためらう人や、何度手挙げしても希望の仕事を得られない人は、スキルを蓄積できないのではないでしょうか。
確かに積極的に仕事を取りにいった人は、経験値が上がって次の仕事で高いWillを示せるようになるかもしれませんし、手挙げをためらった人は経験値がたまらないかもしれません。基本的にはそれも含めて、自己責任でキャリアを作ってもらいます。ただ上司が面談などで「こういう仕事にチャレンジしてみては?」といったアドバイスをすることはもちろんあります。
手挙げした人のスキルが発注者の要求水準に届かず、仕事を落札できないケースも確かにあります。まずは簡単な仕事を安い金額で引き受けてスキルと信頼を獲得し、徐々に難度を上げるといった自助努力も必要です。
―Will会計は運用を誤ると、Willを稼ぐことが目的化するなどモラルハザードを引き起こしかねないようにも思えます。会社の目指す方向性に沿って正しく機能させるためには、どんな注意が必要でしょうか。
「正直であれ」「信頼関係を大切にする」など200超の項目を明文化した企業理念「DISCO VALUES(以下、VALUES)」を設けています。当社は社内研修においても意志を尊重して原則強制することはありませんが、VALUESに関する研修だけは唯一、全メンバーの義務と位置づけ、組織に浸透させています。Will統治にあたっても、仕事を提示する側、引き受ける側のどちらかがVALUESに反した場合、取引はなかったものとする仕組みがあります。またWill収支とは別に、賞与や昇格に影響する人事考課がありますので、VALUESに反するような形でWillを稼げば、この考課においてマイナスの査定がつくこともあり得ます。場合によっては、会社を去ってもらうこともやむを得ないという姿勢で臨んでいます。
「狭義のマネジメント」の負荷は軽減 求められるリーダーシップ
―Will会計によって、マネジメントの負荷は軽減されるのでしょうか。
Will会計は社内に市場原理を働かせ、組織を自ずとあるべき姿に落ち着かせることができる仕組みです。マネジャーは仕事をアサインするとき、金額を決めたりオークションへ「出品」したりといった、普通の会社のマネジメントにはない仕事がありますが、基本的には業務と金額を提示すれば引き受け手は決まります。引き受ける方も自分の意志でやりたい仕事を選択するので、不満や「やらされ感」も発生しません。これはメンバーが仕事を出品する際においても同様です。
また当社は、自分のキャリアは自分で作るという考えがあります。業務の自由や異動の自由、勤務事業所の自由といった方針のもと、メンバーがどのような職務を経験し、キャリアを形成していくかは、マネジメントの責任というよりも自己の責任です。メンバーの配置計画といった狭義のマネジメントの負荷は、かなり軽減されていると言えるでしょう。
―そうなったとき、期待されるマネジメントの役割とは何でしょうか。
Will統治のなかで、リーダーシップを発揮してもらうことです。各部門トップである部長や、課長級であるグループリーダーは、VALUESの重要性や経営のオピニオンを自分の職場に落とし込み、Will会計を正しく機能させていかなければなりません。
それができているかどうかを明らかにするのが、年4回のエンゲージメント調査です。調査では上司のリーダーシップに満足しているか、意志も聞かずに仕事を命じる状況が生まれていないかなどを明らかにします。それによって各レイヤーのリーダーが、広い意味でのマネジメントを実践できているかをチェックするわけです。
―Will会計は、他社にはなかなかまねのできない仕組みだと思います。ディスコだけが、長年にわたってこの方法を機能させてこられたのは、なぜだと思いますか。
経営トップが、VALUESを重視しWill会計を実践するというぶれない軸を持ち、月1回のタウンミーティングなどでそれを伝え続けてきたことが理由の一つです。
また、Will会計の要が従業員の信頼関係の「質」を高めることであり、人間関係を大事にすることが組織の結果につながるという考えを大事にしてきたこともその理由に挙げられます。2023年には「職場で価値を生み出すために全力を尽くす」「メンバーと信頼関係を継続的に築く」というコミットメントを出すことを条件に、従業員の基本給に10万円を加算する「コミット手当」も設けました。こうした施策を通じて、信頼関係を築くことの重要性を発信していることも大きいと思います。
ただ従業員数がグループで7,000人にも拡大するなかで、個人Willの制度を表面的に捉える人がいるのも事実です。全メンバーがその本質を理解し実践されるようにすることが今後の課題です。
お話をお聞きした人
野上健史氏
サポート本部人財部長
Will会計は他の企業にはなかなか横展開できない当社独特の運営方法であり、マネジメントの在り方です。だからこそ、当社に入る人にはWillに心から共感してもらい、会社全体を一つのチームにしたいのです。そのために人財部として取り組めることは、まだたくさんあると思っています。