「地域おこし協力隊」で見つけた"自分の役割"。 過疎の町で唯一の行政書士として立つ

2018年03月29日

西脇優氏
行政書士

人口2000人余りの過疎地域・福島県金山町(かねやままち)で、町唯一の行政書士として活動する西脇優氏。相続手続きや遺言作成を通じて、町の課題で ある空き家解消に貢献する一方、町民のさまざまな困り事を受け止める"万屋"的な存在として重宝されている。

西脇氏の経歴は少々異色だ。かつて東京や新潟の芸能プロダクションに所属していた時期があり、シンガーソングライター「ニシワキング」の顔も持つ。音楽活動を続けてきたなか、転機を迎えたのは37歳のとき。「金山町地域おこし協力隊」に応募し、新天地に移住するという決断をしたのである。過疎に悩む地域を元気づける仕事に力を尽くしたかった。

もとより、興味・関心があることは広く深く、「納得いくまで」学ぶことを実践してきた西脇氏は、3年間の協力隊活動においても、そのスタイルを貫いてきた。地域全体の課題を把握する一方で、町民の困り事を一つひとつ肌で感じ取る――そこから見いだしたのは「新たなる自分の役割」。行政書士としての活動はそのスタートであり、西脇氏は求められる役割に応えようとキャパシティの拡大に努めている。

現場の"実態"を五感で感知し、持てる知識や経験と照らし合わせる

――金山町の地域おこし協力隊として仕事を始められたきっかけは?

当時は、地元である新潟で観光振興のためにキャンペーンソングをつくったり、ラジオのパーソナリティをやったりして、それなりに忙しかったんですけど、ソロデビューしてちょうど10年経った頃で、潜在的に「次に行きたい」という気持ちはあったかもしれません。その時期に、金山町がイベント専門の職員を募集していることを知ったのです。すごく面白そうだったし、もとより僕はエンタテインメントに関することは一通りやってきたので、その経験を新しい地で生かせないだろうかと。金山町っていわゆる"陸の孤島"で、本当に辺鄙なところなのですが、あまり物欲がなく、都会的な喧騒が苦手な僕には合っているようにも思えました。

――実際に地域での協力活動に携わって知り得たことは何でしょう。

端的に言えば、金山町は「何に困っているのか」「何が足りていないのか」です。僕の担当は主にイベント企画でしたが、役場に詰めていると、日々訪ねてくる町民の方々の相談事が自然と耳に入ってくるわけです。そのなかで、特に気になったのは空き家の多さ。調べてみたら300軒以上もある。相続手続きが行われずに所有者名義が故人のままで放置されていることが、空き家解消の足かせになっている現状を知りました。

もっともな話なんですよ。金山町には長らく行政書士が不在で、近隣の町村にもいない。司法書士なんかもそうですが、士業に就いていた人たちは皆、高齢になって辞めちゃったらしくて。なので、相続手続き一つを依頼するにも、60キロ離れた会津若松市まで出向かなければなりません。日本の過疎地域が抱える課題は情報として知ってはいたけれど、そういう"実態"って、やはり自分の目と耳を働かせないとわからないものです。

――そういった求めに応えるために、行政書士事務所を開業されたのですね。

そうです。協力隊としての3年間の任期を終えたあと、看板を掲げました。もともと法学部出身で「いつか法律に関係する仕事を」と考えていたものですから、行政書士の資格は取っていたんですよ。その資格を生かせるチャンスが金山町にあったわけです。協力隊の活動を通じて、自分の新たな役割が見えたという感じですね。

ときには広く。ときには深く。「鳥の目」「虫の目」で本質的に学ぶ

――なぜ「行政書士」だったのでしょうか。

惹かれたのは、取り扱う業務の範囲がとても広いことです。この職業を知ったきっかけは、広島市にある行政書士事務所を舞台にした『カバチタレ!』という漫画。もちろんデフォルメはされていますけど、いろんな仕事ができるんだなぁと。「あなたの町の法律家」みたいな感覚で、もともと社会や人々の役に立ちたいという思いが強い僕には魅力的に映りました。

――資格取得までの道のりは?

比較的取りやすい資格ながら、僕は、もう忘れたいほど長い年数がかかっているんですよ(笑)。20代半ばの頃、所属していた東京の芸能プロダクションが倒産しちゃって、それを機に受験勉強に集中するか......と考えていたところに、今度は新潟の音楽事務所から声がかかったものだから、資格を取るための勉強は細く長くといった感じでした。

加えて、僕の学習スタイルも、受験勉強という点ではある意味、邪道だったかもしれません。繰り返し読んだ本は『図解 行政書士という事務弁護士の時代』で、これは行政書士の多岐にわたる業務を俯瞰的に示したものです。いわゆる受験対策本とは類いの違うもの。資格取得だけに照準を合わせれば、もっと絞り込んだ効率的な勉強方法があるのでしょうが、僕は全部を知らないと納得がいかないというか、体に入ってこないんですよ。

――それも1つの学び方だと思いますが、昔からそういうタイプだったのですか?

そうですね。知識に漏れがあるのがイヤなんです。出されたご飯を残すのがイヤ、みたいな感覚で(笑)。試験勉強にしても、そのテスト範囲だけを覚えておけばいいのに、範囲以外のものにも手をつけるものだから、効率としてはいつも悪かったような......。思い返すと、子どもの頃から図鑑や解説書が好きで、たくさん読んだ記憶があります。なかでも昆虫や宇宙もの、あとは地理とか。世界にはこんな生き物がいるとか、不思議な地形があるとか、知ると一つひとつ感動するわけです。「へえ、すごい。なるほど」と"知る"ことに楽しさを覚えるんでしょうね。

行政書士の勉強にしても、合格した年には司法試験の勉強もしていました。共通する科目がけっこうありますし、より理解を広めたいと思ったからです。もちろん勉強する分野の取捨選択は一定必要でしたが、それでもいいトレーニングにはなりました。そのときではなくても、広く学んだことは必ずどこかで生きてくるのではないでしょうか。

自分の役割を見いだすことで、学習テーマや行動を具体化する

――現在は、司法書士の資格取得も目指していらっしゃると聞きました。

事務所を開業して、あらためてわかったことがあります。超高齢社会で、相続や遺言作成などのニーズは日本中にあるわけですが、金山町のそれは本当に大きいということ。高齢化率(65歳以上の人口比率)は60パーセント手前まできていて、全国でもトップクラスなんですね。そして2100人台の人口に対して、年間約50人が亡くなっているのが現状です。仕事のボリュームに加え、カバーしたいと思う領域がどんどん広がってきたのです。

たとえば、要望の多い登記関係の仕事をしようと思ったら司法書士の資格が必要ですから、やはり取らなきゃいけないと。ほかにも、成年後見人の業務を始めるために研修や試験を受けたり、今の自分に与えられた職務権限を超えるものについては、ほかの専門家につなげられるようネットワークづくりに努めたりと、いろいろと動いています。

――町の人々にとっては心強い存在ですよね。

「とりあえず相談できる窓口」ということで、重宝にはしてもらっています。幅広い業務を扱える行政書士のような仕事は、つくづくこういう田舎でこそ生きるような気がしますね。僕は、これまで勉強してきたことや積んできた経験を金山町で使う、つまりアウトプットすることで、「次に何が必要か」「どう動くべきか」が見えたので、そういう意味では、僕のほうが感謝しなければいけないと思っています。

――見いだしたご自分の役割を果たすために、動き、学び続けていらっしゃいます。

目的が明確になりましたから。思えば、東京で音楽活動をやっていた頃は"二軍暮らし"が長く、「今の自分に納得していない」という飢餓感が常にあったんです。それが漠然としたかたちであっても、学ぶことへのエキルギーになっていたと思いますが、今は「金山町の役に立ちたい」というはっきりとした目標があります。40歳を過ぎた当面の10年間は、30代で勉強してきたことを使いながらフィードバックを得て、より実践的な学びを積んでいきたいと考えているところです。

執筆/内田丘子(TANK) 撮影/刑部 友康
※所属・肩書は取材当時のものです。

西脇 優(にしわき・まさる)

行政書士

1977年、新潟県生まれ。大学在学中から始めた音楽活動を続けながら、2013年に行政書士試験に合格。翌年より3年間務めた福島県の金山町地域おこし協力隊の経験を生かし、2017年に行政書士業務を開始。観光系シンガーソングライター「ニシワキング」としても活動を続けており、イベント出演や企画・運営を通じて地域おこしに尽力している。