プロテニス選手から一転、営業職へ。「自主研修会」でキャリアを拓く
藤代春香氏
株式会社荏原製作所
風水力機械カンパニー カスタムポンプ事業部
サービス&サポート営業部 グローバルサービス営業室
「世界のトップトーナメントで活躍するプロテニス選手になる」。藤代春香氏が、小学生の頃から抱いてきた夢を叶えたのは19歳のときだ。グランドスラムへの出場も果たし、プロ選手時代は世界各国を転戦しながら、生活のすべてをテニスに捧げてきた。
しかし、23歳のときに肩甲骨肉離れという大怪我を負い、それが元で、藤代氏は引退を余儀なくされる。「頭を切り替えられないまま」最大の転機に立ち、考えた末に出した結論は、ずっと身を置いてきたテニス界とは"まったく別の世界"に出ること。
2008年、プロ選手時代をスポンサードしてくれた荏原製作所に入社。それまでパソコンに触れる機会すらなかったが、このときに定めた明確な目標がある。元スポーツ選手でも、女性としても、現場でバリバリ活躍できることを証明したい――。藤代氏は、そのゴールに向けて「何をするべきか」を割り出し、自ら学習機会をつくり続けている。
自分を客観視し「足りていないもの」「達成したいこと」をリストアップする
――プロテニス選手を引退せざるを得ないとなったとき、将来をどう考えたのでしょう。
「今日できることを全力で」と一点集中型で生きてきたので、引退後何をすればいいのかわからず、一時は呆然としていました。多くの選手のように、引退後はコーチになるとか、スポーツ用品メーカーに就職するとか、テニス界に残ることも考えましたが......どうにも魅力的に映らなくて。選手として以外にテニスにかかわることが想像できなかったんです。まだ24歳だったし、それならいっそ、まったく別の新しい世界を見てみようと。
――その新しい世界、荏原製作所に入社されるにあたっては、どのような準備を?
会社勤めの経験がなかったので、まずはパソコン教室に通うところからです。それから、いずれ世界で仕事をするには英語力アップが必須だと考え、TOEICで800 点以上取るという具体的な目標を設定しました。ちなみにこれは、荏原製作所で働き始めてから達成しています。
私は、ずっとテニス一色のストイックな生活をしてきたので、会社勤めだけでなく、同世代が"普通に"やっていることも知らないわけです。たとえば、ポテトチップスを食べるとか、夜コンビニに行って本を立ち読みするとか(笑)。そんなレベルも含めて、やりたいこと、達成したいことを全てリストアップし、それらを「一つずつ実現するぞ」と決めたのです。大小問わず、目標を明らかにすると自分のモチベーションが上がりますから。
――そういう感覚は、やはりプロテニス選手時代に培われたものですか?
選手時代でいえば、「次の試合に勝つ」ことが目標になるわけですが、その実現のために、今の自分に「何が足りていないのか」をはっきりさせる、つまり自分を客観視する訓練はしてきました。というのも、プロ選手ともなれば技術的な差ってそんなにないので、勝敗は戦術やメンタルの強さにかかってくるんですね。重要なのは自分の強み、弱みを知り、冷静に受け止めること。選手時代は何度も『メンタル・タフネス』を読みましたし、負けた試合からは「なぜ負けたのか」を明確にしてきました。私はけっこう攻めるタイプだったんですけど、外国人選手のように筋肉隆々ではないから、攻撃型スタイルを貫くのは難しい。そのぶん足の速さを生かすとか、たとえばそういうことです。自分を冷静に捉えられるようになれば、戦い方も磨きどころもわかってくるんですよ。
「何をしたいか」を声に出し、周囲を巻き込む
――荏原製作所に入社された当初は、さまざまな戸惑いもあったかと思います。
戸惑いだらけですよ(笑)。最初は一般職入社だったので、何より終日デスクに張りついているのが苦痛でしたし、何もわからないまま、上司の指示に従って作業するというのも慣れませんでした。生産管理の部署にいたのですが、ポンプの専門用語など、周りに飛び交う言葉も全然わからなくて、まるで異国の地に来たみたいだと思ったくらいです。
――ギャップはどう埋めていったのですか?
まずは、用語や自社製品の製造工程を理解するために、工場を"自主見学"することから始めました。自分のルーチンにして。ヘルメットを被って毎日歩き回っていたから、「あの子誰?」みたいな話になっていたと思うんですけど、次第に、現場の人たちがていねいに教えてくれるようになって、ありがたかったです。
それから、生産管理にはいろんな部署が絡んでくるので、社内におけるネットワークづくりに努め、調達や品質保証、設計などの他部門にお願いして2週間ずつ研修させてもらいました。私一人用の研修でしたけど、受け入れ先の部署が講習会や現場見学などのメニューを組んでくださって、これがずいぶん勉強になりましたね。
――そういう学習方法はご自分で?
もともと、わからないことをそのままにしておくのがイヤな性分なんですよ。学生の頃から、勉強で理解できないことがあると先生に聞きまくっていましたから。一人でできること、学べることって限られているでしょう。「何をしたいか」「どうありたいか」をちゃんと声に出して、いろんな人に協力してもらうようには意識してきました。
あと、私が大切にしているのは、先の工場見学のように学習をルーチン化すること。いわば"リズム"を決めるわけです。テニスの練習に明け暮れていた頃は時間がなかったから、たとえば朝60分、夜30分という具合にリズムを決めて勉強していたんですけど、短い時間でも集中すれば成果は出せます。
意識的にロールモデルを選び、自分が目指すべき方向性を明らかにする
――現在はグローバルサービス営業室で業務に就き、入社当初からの希望が叶いましたね。
実は入社動機として大きかったのは、荏原製作所の実業団テニス部にいらした女性部長の存在なんです。出会ったのは私が選手として世界各地を転戦していた頃ですが、その部長も同様に、海外を飛び回りながらバリバリ営業をしているという話を聞いて、カッコいいなぁと。「彼女みたいになりたい」というのが目標ですから、同じような仕事環境に立てたことは、少し近づけたようでうれしいです。
――今後に向けての「学び」は?
営業としてはまだまだ新人なので、もちろん勉強は続けていきます。今、身につけたいのは論理的思考なんですよ。こと海外との折衝においては、正確な伝達と的確な判断がとても重要になることがわかってきたので、望ましい結果は何か、そのためにどういう行動を取るべきか、論理的な思考で仕事に臨めるよう訓練していきたいと思っています。
そして、経営に必要な知識の習得。独学にはなりますが、家にあるビジネス書やグロービスのMBA シリーズを読んで、出張報告などをつくるときに活用しているところです。
――尽きないですね。本当に"自分拡大"を続けていらっしゃいます。
18年間テニスに打ち込んできたのだから、同様に18年間は、会社員としてできることをやり抜く。そして今度は、私がロールモデルとして見てもらえるようになれればと。当初に掲げた大きな目標どおり、一点集中でやってきた元スポーツ選手でも、女性としても、仕事の現場で存分に活躍できるということを証明したいのです。
ずっと戦ってきた経験からか、「そこに留まっている」状態が怖いという感覚があるのかもしれません。その都度目標を設定して、達成に向けて切磋琢磨し、クリアしたらまた次に進む。そうでなければ自分自身が成長しませんし、新しいことも見えてこないから。何より、「あっ、こういうこともできるかも」みたいな広がり、自分の可能性探しって楽しいじゃないですか。その楽しさを、ずっと追い求めていきたいですね。
執筆/内田丘子(TANK) 撮影/刑部 友康
※所属・肩書は取材当時のものです。
藤代春香(ふじしろ・はるか)
株式会社荏原製作所 風水力機械カンパニー カスタムポンプ事業部 サービス&サポート営業部 グローバルサービス営業室
1984年、静岡県生まれ。6歳からテニスを始め、小学校高学年で全国大会に出場。高校時代にU-18日本ランキング総合1位となり、19歳から24歳までプロ選手として活躍する。引退した2008年、株式会社荏原製作所に入社。生産管理やエンジニアリング室を経て、2016年より総合職に転じて現部署に。