これからの「自助・共助・公助」議論でもっとも大切なこと──大嶋寧子

2020年10月27日

自助・共助・公助の定義は人によって違う

自助・共助・公助という言葉が、メディアで取り上げられるようになった。背景にあるのは、菅総理が政策理念としてこの言葉を取り上げたことだ。9月の総裁選を前に出された政策集では、自助・共助・公助は国の基本として位置付けられており、その意図や目指すところについて、解説する記事も数多い。

ただこの言葉には注意すべき点がある。人によって意味がまったく異なるのだ(図表1)。たとえば、厚生労働省『平成12年版 厚生白書』では、「自助、共助、公助」はそれぞれ「個人、家庭・地域社会、公的部門」と位置付けられている。また、内閣府『令和2年版 防災白書』では、自助は(自分自身と)家族、共助は地域の助け合い、公助は救助隊とされている。この2つの例では、家族が「自助」と「共助」の間を行ったり来たりしているが、公的な支援はともに「公助」と位置付けられている。

しかし、厚生労働省『平成20年版 厚生労働白書』では、「自助」は国民一人ひとりの自己責任と努力、「共助」は年金や医療保険などの社会保険制度、「公助」は困窮状態に対して支給される生活保護などを指すとされている。また、「公助」は「自助」「共助」でどうしても対応できない場合の限定的な手段とされている。ここでの「共助」は、『平成12年版 厚生白書』では「公助」にあたる社会保障を指している。

図表1 白書における「自助」「共助」「公助」の表記
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どのような定義が適切かは論者によって異なるが、「自助・共助・公助」について語る時は、その定義をお互いに明らかにして議論を進めることが必要だ。そこで以下では、自助・共助・公助について以下のような定義として、話をすすめたい。

●自助:自分自身の責任と努力
●共助:企業、組合、地域、家族などの私的領域で行われる支援や育成
●公助:公的な政策・施策として行われる支援や育成

批判される自助・共助・公助の議論

自助・共助・公助の議論、とりわけ「自助」や「共助」の役割に着目する議論には、これが公助の縮小を正当化するロジックとして批判されることがある 。

しかし本来、自助・共助・公助は国民の生活や仕事の安全・安心を社会のどこで支えていくかに関わる言葉で、それ自体に方向性はない。しかもこの先の社会を展望すれば、急激な高齢化、大規模災害や新たな感染症の可能性、テクノロジーの進化による仕事の変化など、国民の生活の安定に関わる変化やリスクが立ち並んでる。今、日本の自助・共助・公助のあり方を改めて議論することは大切なことであるはずだ。

崩れる自助・共助・公助のバランス

ふりかえれば過去には、自助や共助の強靭さを根拠に、公助の削減が進んだことがあった。たとえば1980年代の行財政改革では、個人の自立・自助の精神と家族や地域、職場での支え合いの存在が社会保障や福祉を見直す根拠とされ、実際に年金保険料の引き上げや児童手当の実質的な削減などが行われた(※1)。しかし、世帯主男性の多くが安定した雇用や賃金を手にし、男女ともに社会の大多数の人が結婚したように、当時は家族や企業による支えが機能していたため、国民の大きな反発はなかったという(※2) 。

しかし今日の日本は、1980年代と大きく状況が異なる。未婚化の進行や高齢化により単身世帯が増えており、家族内の支え合いは当たり前ではなくなった。不本意に正社員以外の雇用形態で働く人が200万人以上いることに加え、経団連が終身雇用の見直しを打ち出しているように、企業は働く人の生活と生涯のキャリアを支える役割を手放し始めている。しかしながら家族や企業があまりにしっかりと生活や仕事を支えてきたために、それらに代わる共助はあまり育っていない。つまり今の日本では、支え合いである共助の部分が大きく縮小し、自助か公助かの二者択一を迫られやすい状況になっていると言える。

自己責任か公助かの二者択一は当たり前ではない

日本の外を見渡せば、自己責任か公助かの二者択一は当たり前の姿ではない。

例えば、スウェーデンは手厚い公的な就労支援によって働く人が支えられているとみられがちであるが、それだけでなく働くことに対する支え合いが人々の生活安定や失業時の再起を支えている。雇用保険は労働組合が運営する方式であることだけでなく、労使の合意で設立された再就職支援組織が解雇された個人に所得補てんや伴走型の支援を行い、キャリアチェンジを支えている。

また米国は、先進国の中でも公的な就労支援の規模が小さいものの、働くことへの支え合いが発達している。例えば、労働市場の不安定化に対抗するために、労働組合が地域の労働組織と連携したり、非組合員を巻き込んだ活動を展開している。また、非営利組織の規模や就業者が日本と比べて極めて多く(※3) 、就業者支援の領域では、政府の若者雇用支援においてNPOが重要な役割を果たしている(※4) 。

日本は希望よりもたすけあいが少なく、自己責任を求められやすい

日本で共助、すなわち、たすけあいを重視しながらも、それが不足する状況はデータでも確認することができる。リクルートワークス研究所では2020年の春より、働く人の多様なキャリア選択を支える社会を共助や公助の観点から紐解くプロジェクト(「十人十色のキャリア選択を支える社会研究プロジェクト」)に取り組んでいる。本プロジェクトで2020年9月に行った調査によれば、「たすけあいにあふれる社会に共感する」人は33%であったのに対し、「この社会はたすけあいにあふれている」と考える人は15%にとどまった。一方、「自己責任が原則の社会に共感する」人は18%であったが、「この社会は自己責任が原則である」と考える人は39%に上った。

図表 社会についての考え方
ooshima_02.jpg出所)リクルートワークス研究所「働く人の共助・公助に関する意識調査」

これから必要なのは、不足する共助の作り直しだ

これからの不透明な時代に必要なのは、自助・共助・公助のバランスを取り戻すこと、とりわけ今日の日本に不足している「共助」を新しく作り直すことではないだろうか。そのためには「公助」も、「自助」や「共助」ではどうしても対応できない時の限定的な支援ではなく、「共助」とパートナーシップを組んだり、共助が育つように支える役割を担っていくものへと役割を広げていく必要がある。

日本でも企業横断的なコミュニティ、就業形態や職業別に学びや支え合いを行うコミュニティなど、萌芽的な事例が増え始めている。「あたらしい共助を日本に育てていくために何が必要なのか」そのような視点を多くの人が持ち、自助・共助・公助の議論がより建設的な形で行われることを期待したい。

 

(※1) 1980年代の行財政改革では、個人の自立・自助の精神と家族や地域、職場での連帯があることを前提に、社会保障や福祉関連経費を絞り込むべきとする政府調査会(第二次臨時行政調査会)答申が取り入れられたとされる。佐藤満(2010)「介護保険の成立過程」『立命館法学』第333・第334号、福田(1999)「『財政構造改革』と国民生活」『一橋大学研究年報 経済学研究』第41号参照
(※2)宮本太郎(2008)『福士政治 日本の社会とデモクラシー』有斐閣
(※3) 米国では民間部門雇用者のうち非営利部門の雇用者が約1400万人(2017)に上り、小売り、宿泊・飲食に続いて、三番目に雇用創出力のある部門となっている(Johns Hopkins Center for Civil Society Studies 2020 NONPROFIT EMPLOYMENT REPORT)
(※4)米国の非営利組織は日本と比べて数が多いだけでなく、中には大企業に並ぶ財力や運営ノウハウを持ち、支援を展開するところもあるという。労働の領域では若者就労支援における政府とNPOの連携が有名である。米国のNPOに関する本稿の記述は、労働政策研究・研修機構「アメリカのNPOと雇用」を参照した。