キャリア選択の翼を授けるには、「自助を共助・公助する」発想に転換を 宮本太郎 氏
宮本太郎氏
中央大学法学部教授、北海道大学名誉教授
専門は政治学および福祉政策論。安心社会実現会議委員、内閣府参与、男女共同参画会議議員などを歴任し、雇用と社会保障をつなぐ政策ビジョンや社会のありようを提示してきた。北欧の社会制度や欧州のソーシャル・インクルージョン政策に詳しい。著書に「共生保障 ―〈支え合い〉の戦略―」「福祉政治 ―日本の生活保障とデモクラシー―」、編著に「転げ落ちない社会 ―困窮と孤立をふせぐ制度戦略―」などがある。博士(政治学)。
人生の5ステージを自由に行き来できる社会
一方通行の人生ではつながりが失われる
少子高齢化や非正規化、グローバル化が進む日本では、人々の社会参加のありようを変えていかなければなりません。
これまで日本の社会制度が前提としてきたのは、教育から労働市場へ、労働市場から退職へという一方通行の人生でした。しかも、この一方通行の道筋は男性と女性で異なり、男性は稼ぎ主として労働市場を直進し続けるのに対し、多くの女性は家庭に入るために、途中で進行方向を変えざるをえませんでした。
社会保障も、こうした一方通行型社会の典型的なライフスタイルのリスクを対象に設計されてきました。男性稼ぎ主の病気、失業、定年退職などのリスクに備える医療保険、雇用保険、年金保険など、あるいは専業主婦が男性稼ぎ主と死別するリスクに備える寡婦年金などです。これらのリスクが現実になったときに、社会保障給付は、身を潜めて生活を維持できる「殻」を提供してきました。
しかしこれだけでは、女性や高齢者といった役割を押しつけられることにもなり、多様な個人が張り合いのある人生を送ることができません。望めば誰もが働くことができ、社会とつながりを持てる「排除しない社会」への転換が必要です。
誰もが参加できる「翼」を授ける
現在、人々の就労への参加を妨げている要因は4つあります。第1に、希望の仕事に就く知識や技能を身につける機会が少ない。第2は、家族のケアのために働く時間が取れない。第3は、転職はよほどうまくやらないとキャリアにダメージを与え、離職している期間を活かすことも難しい。第4は、加齢やストレスによって体やこころが弱まり、就労が困難になる、という点です。
今求められているのは、このような困難やリスクに直面したときに、隠遁の場が与えられることはなく、道が開けること、つまりその困難を乗り越えて社会とつながり続けられる仕組みです。そのためには、「新しい仕事に就きたいが知識が不足している」「子供が生まれて働き続けるのが難しい」といったときに、社会とつながり続けるための「翼」を提供する必要があります。
このような社会保障のありようの変化を、スウェーデンの経済学者レーンは、「殻の保障」から「翼の保障」への転換と表現します。
双方向の「交差点型社会」の構築を
わたしは、そのような社会を実現するものとして、教育・家族・労働市場・失業・退職という5つのステージを行き来できる「交差点型社会」を提唱しています(図表)。ドイツの労働経済学者シュミットの議論をヒントにしています。
交差点型社会には橋が4つあります。第1の橋は、教育と労働市場を結ぶもので、たとえば働き始めても学び直せる環境づくりやリカレント教育(生涯教育)です。第2の橋は、家族と労働市場を結ぶもので、保育や介護のサービスの充実です。第3の橋は、離職したり解雇されたりしても労働市場に戻っていくための橋であり、職業訓練や職業教育の拡充がカギです。第4の橋は、体とこころの弱まりに対処しつつ働き続けるための橋であり、高齢者の就労支援や人々の生きづらさを解消するサポートを指しています。
交差点型社会では、教育から労働市場へ、労働市場から退職へという一方通行ではなく、4つの橋を双方向に移動できるため、個人は多様なキャリア選択が可能になります。
図 交差点型社会
(出所)宮本太郎『生活保障 ―排除しない社会へ―』 (岩波書店 2009)より作成
ワーク・ワークとライフのバランスを
人々が求めているのは「承認の場」
人々が求めているのは、単に所得が保障されるだけではなく、職場や地域のコミュニティで、生活の張り合いを得る場を見つけることです。誰かに存在を認められていて、だからこそ自己肯定感も持てるという、「承認の場」が不可欠なのです。
交差点型社会が大事になる理由でもありますが、「承認の場」を多元的につくれるかどうかが問われます。誰もがポジティブな強みを持っているということは、誰もがネガティブなツボを持っているということでもあるからです。
ひきこもりの就労支援の現場では、対人関係など本人のストレス要因を取り除いて仕事とマッチングできると、彼らの繊細さがたちまち武器となって、大きな戦力になるとも聞きます。いわゆるメンバーシップ型雇用とジョブ型雇用に加えて、個人の特性に合わせたオーダーメード型の雇用をつくり出していくことも必要でしょう。
先ほどの交差点型社会のモデルでも、真ん中の労働市場にはオーダーメード型の雇用を含めた多様な働き方が準備されるべきです。
ワーク・ライフではなくワーク・ワーク・ライフ
近年、ワーク・ライフ・バランスが重視されています。「子育てや家事などのライフを大事にすべき」ということですが、子育てや介護はケアワーク、家事は家事ワークです。いずれのワークも価値あるものですが、その負担から休息や睡眠の時間が確保できないようではライフは成り立ちません。つまり、重要なのは所得を得るペイドワーク、ケアや家事のワーク、そしてライフのバランスなのです。
わたしは、家事や子育て、介護は「ワーク」と見なし、今のようにワークとワークがライフを脅かすのではなく、ワーク・ワークとライフのバランスを追求すべきだと考えています。そのようなバランスを実現できれば、個人は仕事による承認と家庭における承認という「承認の場」のポートフォリオを持つことができます。
個人のキャリア選択を支える北欧の仕組み
北欧諸国の労働市場政策は、一般に、柔軟な、つまり“flexible”な労働市場と生活の保障“security”を両立させているという意味で、「フレキシキュリティ」と呼ばれます。自発的な転職だけではなく、企業の解雇権も認める一方で、失業給付が高水準で教育訓練が充実しており、さらに教育費や住居費の負担も少ないのです。その結果、個人は自由にキャリアを変えられます。
デンマークでは、1年間に3人のうち1人が仕事を変えます。失業給付が、かつては7年も出ていて、2年になった今も、仕事を辞めても生活のレベルダウンを一定範囲に抑えられるのです。
スウェーデンでは、1970年代以降、企業に従業員の教育休暇の取得を認めさせる教育休暇制度、職業訓練や自治体の成人教育を受けている期間の所得保障、25歳以上で4年以上の勤労経験がある成人は大学入学で優先枠を設ける「25:4ルール」などが次々に導入されました。スウェーデンでは大学に入る場合も高校から直接進学する人は4割もいません。このような制度が下支えになり、一度働いてから学び直したり、誰もが自分の向き不向きを探ったりできることは、個人の幸福という点からも、知識社会における競争力という点からも重要です。
北欧のかたちをそのまま日本に導入できるとは思いませんが、日本で交差点型社会をつくるには、教育や生活保障のあり方から変えていく必要があります。
十人十色のキャリアは「自助・共助・公助の連携」から
縦割りの自助・共助・公助では不十分
自助・共助・公助ということが言われますが、この3つを切り離して理解するか、連携させて制度をデザインしていくかで、社会のかたちは大きく異なってきます。日本は、行政窓口で典型的に見られるように、様々な社会機能が縦割りになりがちですが、社会の自助・共助・公助もすみ分けになっています。
社会の支援を必要とせず自力でやっていける人が自助で頑張る、それだけだと厳しそうな人には、助け合いの論理による共助が支援。それでもどうにもならなければ、生活保護などの公助に頼るというすみ分け論です。
かつての企業戦士としての男性稼ぎ主は自助の象徴だったかもしれません。でも実は彼らの自助も、企業の雇用保証や福利厚生、専業主婦の家事ワーク・ケアワークに支えられていたのです。
こうした仕組みは揺らいできています。その中で十人十色の働き方を実現するためには、ただ「自助で頑張れ」というのではなく、「自助を共助で支える」といった発想転換が必要です。
公助がNPOなどの共助を支える
共助という言葉は社会保険などの制度を意味する場合もありますが、最近はNPOやソーシャルファーム、協同組合などを指して使われます。ひきこもりや障がい者の就労支援で力を発揮しているのはNPOや協同組合です。行政の画一的なやり方では、そういう人たちが自分探しもしながら働く場を見つけるのは困難ですが、相手や状況に応じた柔軟な支援を行い、同時にオーダーメード型の就労を提供できるのもNPOや協同組合の強みです。
ただし、こうした共助を担う事業体は、一般に財政基盤が弱く、今、コロナ禍の中でも事業継続が難しいNPOが出てきています。公的な資金援助で共助を支えることも求められています。つまり、公助に支えられて共助が活性化し、共助が個人の自助を可能にする。自助・共助・公助のすみ分けではなく、連携によって、様々な事情を抱えた人たちが多様なかたちで就労することが可能になります。
高福祉国家の北欧は、戦後、生活支援の中心は行政が担ってきました。しかし、画一的行政の限界が明らかになるにつれ、公的な財源で民間事業者がサービスを提供するかたちも増えてきました。イタリアの社会的協同組合は労働市場から排除されがちな人たちの包摂を進めており、日本でも早くから注目されてきました。
先に交差点型社会を目指すべきとお話をしましたが、交差点型社会の4つの橋も、行政だけではなく、公的な財源でNPOやソーシャルファームが担っていくというかたちが増えていくのではないでしょうか。
(執筆)中村天江