パリ2024、史上初の取り組みとサステナブルな未来への挑戦

2024年09月09日

2024年パリオリンピック・パラリンピックが幕を閉じた。開幕前には多くの批判があったが、さまざまな困難を乗り越え「フレンチ・レガシー」を中心に成功を収めた。現地の興奮はまだ冷めやらぬ様子である。

エッフェル塔スタジアム
Photo by Getty Images

フランスらしさを貫いた開会式

幻想的な雨の中で行われた芸術的な開会式は、約30万人の観客と世界中の15億人以上の視聴者を驚かせた。これまでの競技場での開会式とは異なり、セーヌ川を舞台にした史上初の試みであった。開会式のアートディレクターであるトマ・ジョリー氏は「フランスらしさを表現するためには、閉鎖的なセレモニーから脱却する必要があった」と述べている。伝統文化を重視しつつも、大胆で独創的、人間性に焦点を当てた唯一無二の開会式であった。


フランス革命で斬首された王妃マリー・アントワネットがメタルバンドの演奏をバックに自分の生首を手にするパフォーマンスや、ドラァグクイーンやトランスジェンダーなどLGBTQカルチャーの強調が物議を醸したが、フランスの「自由」を象徴し、ステレオタイプを打ち破る表現方法は、世界の文化に一石を投じるものであった。

オリンピック実施が危ぶまれる事態

パリオリンピックは、多くの困難を乗り越えて開催された。2022年にウクライナ戦争が勃発し、エネルギー価格の上昇やインフレが進行したため、オリンピックの予算に大きな影響を与えた。物流コストの増加や建設プロジェクトの遅延も発生した。さらに、テロリズムやサイバー攻撃のリスクが高まり、警備体制の強化により予算が膨らんだ。


国内では、年金改革や労働法改正を巡る抗議運動が頻発した。6月の欧州議会選挙で極右政党が圧勝し、マクロン大統領は議会を解散した。7月7日の国民議会総選挙では左派連合が極右を抑えて最大勢力となったが、オリンピックの延期を求める声も上がり、不安定な状況が続いた。


開会式当日には、国鉄サボタージュ事件(※1)が発生し、オリンピックの準備や運営に重大な影響を与えた。この事件はフランスの社会的・政治的な緊張を象徴するものであり、大会運営への信頼が揺らいだ。

批判から一気にオリンピックモードに

マラソン会場

このような背景から、多くのパリジャンはオリンピック開催に批判的であった。同時期にバカンスを計画し、パリを離れる予定を立てていた。しかし、芸術的な開会式がパリジャンの心を掴んだ。さらに、開幕直後のラグビーでフランスが金メダルを獲得したことで状況は一変し、フランス全体が批判モードからオリンピックモードへと切り替わった。それは、多くのパリジャンが「この機会を逃してはならない」とバカンス先から戻ってくるほどであった。

白熱した競技で活躍するフランス選手らとともに街全体が活気に溢れ、パリジャンは大会開催をポジティブに捉えるようになり、オリンピック・フィーバーが一気に広がった。

当初懸念された生活面では、メトロの一時的な路線変更や運行停止などはあったが、慣れてしまえば全く問題はなかった。街の中心では、一般車両の制限区域などの新たな交通ルールが設けられた。また、市内の自転車専用道路が総延長415キロにわたって整備され、各会場まで自転車、スケート、キックボード、ローラーブレードなどで移動できるようになり、市民や観光客は楽しみながら快適に過ごしていた。

政府はオリンピック期間中の通勤に関しては、早朝出勤、通勤時間の変動、テレワークなど柔軟な勤務体制を促していたため、こちらも問題は発生していない。

歴史的モニュメントを舞台に繰り広げられた前例のないオリンピック

パリオリンピックでは、各競技会場の95%がユネスコの世界遺産に登録された歴史的モニュメントを活用するという史上初の試みが行われた。たとえば、ビーチバレーはエッフェル塔前、馬術はベルサイユ宮殿、スケートボードやBMXフリースタイルはコンコルド広場で開催された。1900年の万国博覧会時に建設されたグラン・パレではフェンシングとテコンドーが行われ、自転車ロードレースはサクレ・クール寺院のあるモンマルトルの丘を中心に開催された。アンバリッドではアーチェリーが行われ、マラソンのゴール地点にもなった。

オリンピック後半のマラソンは、パリ市庁舎をスタートし、オペラ座、マドレーヌ広場、ルーブル美術館、エッフェル塔、シャイヨー宮、ベルサイユ宮殿などを通過するコースとした。視聴者はマラソン中継を見るだけで、パリを観光しているような気分を味わうことができた。自転車やマラソンのように街中で行われた競技は、入場チケットが不要だったため、多くの市民や観光客を喜ばせた。

史上最もサステナビリティを追求したオリンピック

オリンピックフレーム

パリは「パリ協定」を締結した都市であり、環境に優しいサステナブルなオリンピックを実現することが重要なテーマの一つである。新しい競技施設を建設するのではなく、既存の歴史的モニュメントを活用した。開会式の開始時間を19時30分に設定し、自然光を活用することで照明の使用を最小限に抑え、電力を節約した。オリンピックフレーム(聖火台)の炎は、水(霧)と光(LEDライト)を組み合わせ、CO2を排出しない工夫がされた。

競技会場や選手村は100%再生可能エネルギーで運営され、エアコンも設置されなかった。ベッドは東京大会に続き、日本製の「ダンボールベッド」が採用された。選手たちの移動は公共交通機関の使用が奨励され、TGV(高速列車)が利用された。

「ゼロウェイストポリシー」は徹底され、競技会場ではペットボトルの持ち込みが禁止され、水筒の持参が求められた。リサイクル可能な素材の使用が奨励され、廃棄物の分別やリサイクルが徹底された。競技場で使用された設備は、大会終了後にスポーツ施設や教育機関に寄付され再利用される予定である。また、選手に提供されたタオルやウエア、スポーツ用品などはフリーマーケットやチャリティーオークションで販売され、その収益は環境保護団体に寄付される予定である。

「オリンピックロス」に陥るパリジャンたち

スケートボード会場

オリンピックは予想以上の成功を収めた。市内の各所で選手を祝福するファンゾーンなど、市民参加型のイベントが連日開催され、何万人もの人々が集まり大盛況であった。フランスはオリンピックで16個の金メダルを獲得し、1996年アトランタ大会以来の記録を更新する快挙を成し遂げた。フランス選手の活躍がオリンピックフィーバーをさらに盛り上げた。


オリンピックが閉幕すると、多くのパリジャンが「オリンピックロス」に陥り、喪失感を感じていると報じられた。興味深いのは、開幕前に批判的だった人々の多くが、実際にはオリンピックの閉幕を寂しがっているという点である。ウォール・ストリート・ジャーナルでは、「パリオリンピック最大のサプライズとは:フランス人でさえ文句が出ないことだ」と題する記事が話題となった。個人主義が強いフランスで、こうした「一体感」と「連帯感」が生まれるのは非常に珍しい。

「フレンチ・レガシー」とは

選手村では毎朝4000個の焼きたてのクロワッサンやパンオショコラが提供され(※4)、選手から絶賛された。約4万人のボランティアは、パリのホスピタリティを世界中の観客に伝える役割を果たし、彼らの明るい笑顔や、親身な対応が多くの選手や海外の観客から高く評価された。フランス全土から集められた警官たちも、業務の合間に観光客と写真を撮るなど楽しんでいた。ボランティアと警官たちのチームワークは、パリが世界に向けて発信した「一体感」と「連帯感」を象徴するものとして評価された。

また、選手や関係者には無料で医療サービスが提供された(※5)。この体制は、オリンピックの成功を支える重要な要素であり、参加者が安心して競技に集中できる環境を整えるための取り組みとなった。

こうした「フレンチ・レガシー」は今回のオリンピックで特に注目すべき点であろう。これは、単なる一時的なスポーツイベントにとどまらず、フランスが社会に残そうとする持続的でポジティブな影響を意味する。選手や観光客をはじめ、オリンピックを体験した人にとって「フレンチ・レガシー」はフランスのイメージ回復に貢献し、忘れられない思い出となっていることだろう。

(※1)厳戒態勢にもかかわらず、開会式の当日7月26日の早朝、高速鉄道(TGV)の複数路線が放火によりケーブルが焼かれ切断されるなどの破壊行為の標的となった。AFP通信によると、これは「組織的な妨害行為」だとし、26日の正午までにおよそ80万人の足に影響が出たと報じている
(※2)7月のパリは日の入りが22時ごろで、19時30分はまだとても明るい
(※3)ウォール・ストリート・ジャーナルの記事:https://www.wsj.com/sports/olympics/paris-olympics-france-marchand-be4b39c4
(※4)クロワッサンとパンオショコラに加えて600本のバゲット、3000個のチョコレートマフィンが毎朝提供された
(※5)無料の医療診療サービスは1日当たり700人の診療が可能で、内科、産婦人科、歯科、眼科、整体など多岐にわたる医療サービスが無料で提供された。特にアメリカのように医療が無料でない国の選手たちにとって、この無料医療は非常に喜ばれた。医療サービスは迅速かつ包括的に提供され、選手たちの健康管理が徹底的にサポートされた

TEXT=田中美紀(客員研究員)

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