導入から25年「週35時間労働制」は正しい選択だったのか?

2024年07月03日

四半世紀にわたる議論と変遷

1998年にフランスで週39時間労働が廃止され、週35時間労働制(以下、35時間制)が導入された。それから25年が経とうとする今日でも、35時間制の是非に関する議論は続いており、35時間制はフランスの企業活動と社会に大きな影響を与えている。

ジョスパン左派政権は、「労働時間を減らして均すことで雇用が創出され、失業率が下がる」と主張した。また、労働時間が減ることで「人々の生活の質は向上し、労働生産性が改善される」とも考えた。一方、雇用主側は「制度があまりにも複雑で定着には相当な時間が必要」であり、「国際的競争力が失われることで結果、雇用喪失という逆の効果を生む」ことを恐れた。当時、政治家、経済学者の間でも、議論は左派・右派に関係なく意見が分かれた。ジョスパン政権の経済相であったストロス=カーン(のちにIMF専務理事となる)は、制度の成果を真っ向から疑問視し、党内から大きな批判を受けた。

2002年の大統領選挙では右派のジャック・シラクが勝利し、以降、4回の大統領選挙のたびに法改正が行われ、35時間制は実質的に形骸化された。現在、「35時間」という表現は残っているものの、実際に週35時間で働く従業員はほとんどいない。35時間制の20年の動きをまとめたル・フィガロ紙による2020年のレポート記事では(※1)、「従業員の平均労働時間は37時間で、管理職は週39.3時間であるが、実際には週45時間から50時間働いている人も少なくない」と報告している(※2)。

「週35時間労働制」で何が変わったか

時計のイメージ写真

35時間制導入後、従業員レベルでは残業文化がなくなった。以前のように残業が忠誠心の表れとされることはなくなり、むしろ、時間内に成果を出せる人が評価され、残業をする人は「能力がない人」と見られるようになった。ジョブ型雇用が増加し、定時に帰宅できる従業員はプライベートの時間を増やし、家族との時間を大切にできるようになった。この制度は、フランスの出生率が2006年に2.0まで回復した大きな要因として注目されている。

35時間制への移行を肯定的に評価するもう一つの理由は、フレックスタイム制度やシフト制を採用する企業が増え、柔軟な労働モデルが普及したことである。従業員は柔軟に勤務時間を設定できるようになり、パートタイム、RTT(※3)などの雇用形態も浸透した。さらに、生産性を維持するために、リモートワークを推進する企業も増えた。労使関係においても、交渉と協議が定着し、信頼関係が築かれた。多数派の労働組合が署名した労使協定のみが有効となり、労使関係が安定した。

このように、法定労働時間の短縮を通じて、労働時間管理に大きな柔軟性がもたらされた。

雇用創出数の解釈に大きな違い

しかし、雇用創出数の解釈については、35時間制の賛成派と反対派で意見が真っ向から対立しており、激しいイデオロギー論争の争点になっている。

35時間制の提唱者であるオブリー元雇用相は、「我々は間接的に200万人の雇用を創出した」と主張しているが、賛成派の大半はINSEE(フランス国立統計経済研究所)のデータをもとに「35万人の雇用を創出し、労働者のワークライフバランスを大幅に改善した」と評価している。一方、反対派は「10万人の雇用が失われ、フランスの国際的競争力が低下し、財政赤字が増加した」と厳しく批判しており、「雇用創出は社会保障費の削減によるものであり、35時間制の効果ではない」と主張している。

実際、貿易収支は2002年以降、特にドイツとの関係で競争力を失い急落している。また、公共サービスの提供時間が減少し、医療、警察、教育などの分野でサービスの質が低下していることが指摘されている。特に病院では、労働時間の削減により慢性的な人手不足に陥り、業務の効率が著しく低下している。労働時間が短縮されたにもかかわらず、業務量は変わらないため、職員のストレスが増加して病欠や離職率が上昇し、社会問題となっている。

歴代政府は週35時間法を何度も改正してきたが、以前課題は多い。それでもなお、なぜ35時間制の完全撤廃とはならないのだろうか。

労働者階級におけるシンボル

フランスの地下鉄ホームのイメージ画像

長年の労働運動により労働者の権利が拡大され、労働組合は35時間制を強く支持した。多くの労働者にとって35時間制は、労働者の権利の象徴となったのである。もし、政府が正式な「廃止」を決定したならば大規模なストライキがおきかねず、調整は難航する可能性が高い。こうした理由から、歴代政府は法改正を行いながらも、完全撤廃に踏み切る勇気がなく、現在も雇用主と労働者の間でシーソーゲームが続いている。

35時間制の効果が限定的であることは周知の事実であるが、最近では、35時間よりも労働時間がさらに短い「週休3日制」の導入が注目されている。さまざまな企業や機関でトライアル導入が進行中である。制度を導入する企業の多くは週の労働時間を32時間に減らしているが、週休3日制は35時間制とは異なる性質を持つとされている。2021年に週休3日制を導入し、制度のオピニオンリーダーとして啓蒙活動に励むLDLCグループ(IT機器販売)のローラン・ド・ラ・クレジュリー会長は、この2つの制度を明確に区別している。その違いは、3日間連続して休むことで十分にリフレッシュできた従業員の集中力と生産性の高さである。

技術の進歩とリモートワークの普及により、生産性が確実に向上している。また、パンデミックを経て、労働者は柔軟性やワーク・ライフ・バランスに関心を持つようになり、成果主義やアウトプット重視の評価基準が普及した。終身雇用の考え方は変わり、ジョブ型雇用やフリーランス、パラレルワークなどが主流となっている。こうした背景が、週休3日制を成功に導くと考えられている。

個人的な意見ではあるが、35時間制が大きな成功を収めなかった理由は、「労働市場における雇用の総量は限定的であるため、それをみんなで分かち合う必要がある」という観点から議論が始まったからではないかと考えている。企業への負担を減らし、企業がより良い投資環境を得られれば、雇用の総量を増やす見込みは十分にあると考えている。

(※1)ル・フィガロ紙記事:https://www.lefigaro.fr/conjoncture/vingt-ans-apres-leur-mise-en-oeuvre-les-35-heures-continuent-de-peser-sur-la-france-20200130
(※2)2002年に導入されたフランスの35時間制は、年平均で常勤の労働時間を週35時間に制限している。35時間を超える超過勤務も認められてはいるが、管理職や弁護士、医師、自由業者は法的規定の対象外である
(※3)RTT(労働時間短縮制度)。繁忙期には長時間働き、閑散期には短時間勤務にしたり休暇を取ったりするという、労働時間を累積して管理する制度

TEXT=田中美紀(客員研究員)

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