人事が次に身につけるべきスキルは、データ分析のリテラシー ──石川ルチア
人事が次に身につけるべきスキルは、データ分析のリテラシー
人事はしばしば、経験、勘と度胸、いわゆるKKDで動くと言われる。採用や異動、昇格を決めるにあたり、勤続年数が長く社内の人間をよく知る人の判断に従うというものである。企業は近年、意思決定の根拠を示せるよう、データによる裏付けを重視するようになってきた。中でも、人事データにとどまらず顧客満足度や財務データ、企業の評判に関するデータなどと組み合わせて分析する「ピープルアナリティクス」が広まってきている。
筆者が日本と米国・カナダのピープルアナリティクス従事者25名に取材したところ、欧米の先進企業では約20年前から人事におけるデータアナリティクスが始まり、現在では従業員規模が500人以上の企業には必ずピープルアナリティクスの担当者がいるほど一般的である。日本でも数年前から導入が始まっている。新型コロナウィルスのパンデミックによりテレワークが劇的に拡大した今年は、テレワークやそのために導入した製品の効果を測りたい、とピープルアナリティクスのニーズが増す。今後は人事の意思決定に欠かせない手法になるだろう。人事職全般に、データ分析の基礎知識が求められ始めている。
人事に付加価値を生み出すピープルアナリティクス
人事では従来、各データベースに保管されているデータを個別に分析していた。人事管理システムで業務委託の人を多く活用している部門を確認する、スプレッドシートで管理しているエンゲージメント調査結果から、スコアの高いチームの回答傾向を分析する、という風に、現状を可視化するものである。ピープルアナリティクスでは、そういったデータを他のデータとつないで、より深い示唆を得られる。
例えば導入16年になる米国のShellでは、エンゲージメント調査の結果と勤怠、人事考課、顧客満足度、労働災害件数の関係性を分析し、エンゲージメントの高い従業員は欠勤が少なく、成績が良く、顧客満足度が高く、化学薬品事故が少ないことを明らかにした(図表1)。エンゲージメントが様々な効果を出すことが分かれば、そのエンゲージメントを高める仕組みをさらなる分析によって特定し、全社で展開できる。
ピープルアナリティクスは「人」に関するデータを活用した分析全般を指し、人事のためのアナリティクスという意味ではない。しかし、機密性の高い人事データを活用し、他部署が気づかないインサイトを出せると人事の付加価値が出る。人事こそピープルアナリティクスの主導権を握るべきなのである。
ピープルアナリティクスの指揮を執る「人事アナリスト」という職種が出現
人事部署には従業員に関するデータが日々蓄積されているが、分析を念頭に置いて収集してきたものではなく、部内にデータ整備やデータ活用について見識のある人がいる企業は少ない。そこで、人事部でピープルアナリティクスの指揮を執る「人事アナリスト」という職種が出現した。北米では、主に経営や人事コンサルティング、産業組織心理学などのバックグラウンドを持つ人たちが人事アナリストとして活躍している。いずれも、「人」の行動に関する専門知識を持ちつつ、データ分析に向けた調査設計ができ、分析結果から意味を読み取るスキルを持つ人たちである。彼らは、データサイエンティストやデータエンジニアなどの専門家チームを統率して、人事・経営に課題解決の施策を提案する架け橋になっている。
日本でもコンサルタントからの転身が多いが、人事部内で数字に抵抗のない従業員が担っているケースも少なくない。彼らはKKDで動く人事に危機感を感じ、データ分析の知見がある人の協力を得ながら分析を進めている。
人事に求められる役割
社内でピープルアナリティクスが導入され、人事アナリストのポジションが設置されると、人事の仕事はどう変わるのか。人事には、人事アナリストのパートナーとして、従業員の声を「数字」ではなく「人」として代弁する役割が求められるだろう。従業員は様々な部署や事業領域で働いている。人事アナリストだけでは、営業、法務、広報など、すべての領域の仕事内容や事情を把握できない。例えば、昨年度は経理部で入社5~10年目の従業員の離職率が高かったというデータを見たときに、「なぜなのか」を考えられるのは現場と接点のある人事従事者である。
人事の根本的な仕事は変わらないが、データアナリティクスの基礎知識があると、施策を検討する際にデータの裏付けをもとに確信を持った決定を下せる。人事に必要とされるデータリテラシーは高度な統計学ではなく、分析に適した仮説を立てられることと、データを読み取れること。ピープルアナリティクスが進んでいる企業では、人事従事者全般が統計解析向けプログラミング言語のRやPythonを学び、分析結果を視覚的にわかりやすく伝えるTableauのようなツールを活用している。
人事従事者がデータアナリティクスを学ぶ方法
では、人事従事者はどこでデータ分析の基礎を学べるのか。社内で研修を企画する、社外の講習会に参加する、オンラインコンテンツで学ぶ、といった方法がある。ここにいくつかの具体例を紹介する。
<社内で研修を企画する>
他部署のアナリストにデータ分析の基礎研修を依頼する。例えば、携帯電話会社のようなサービス事業者であれば、マーケティング部で他社へ乗り換える利用者の予測をしているだろう。そのモデルを従業員の退職予測に応用できる可能性がある。自社の事業や内情を把握している他部署の知見を借りることが、最も有益だと考えられる。
<社外の講習会に参加する>
・一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会は、人事部署のデータ分析初心者向けに「人事データ分析実践勉強会」を開催している
・早稲田大学政治経済学術院では、産学官連携で講義と実践を用いた「人事情報活用研究会」を2014年から開催している。プログラミング言語Rの使い方もカリキュラムに組み込まれている
・ピープルアナリティクスにより積極的に関わりたい人事従事者は、資格を取得することも一案だろう。HRテクノロジーコンソーシアムは、「ピープルデータアナリスト養成講座」を開講している
<オンラインコンテンツで学ぶ>
オンラインには、無料の動画コンテンツが豊富にある。総務省統計局は「社会人のためのデータサイエンス入門」講座を提供している。その他、PwCによるピープルアナリティクスの紹介や実務者によるプログラミング言語Python入門講座など、独学でも十分にデータ分析のリテラシーを身につけられる環境がある。
データアナリティクスは人事よりも先に他領域で浸透している。人事従事者もある程度のリテラシーを身につけることで、他部署との協働がしやすくなるとも考えられる。基礎スキルの一つとして、人事にデータ分析のリテラシーが必要になる日は遠くないだろう。