想起のマネジメント術―潜在意識を耕せ

2024年11月12日

食と記憶

食や飲み関係のYouTubeをダラダラと見ながら、自分も自宅で飲み食いする時間は至福である。こういう番組は何も考えずにただ楽しめればよいのだが、ふと考えてしまうことがある。

「寺門ジモンのウザちゃんねる」という番組がある。芸能界一、いや日本一の食へのこだわり男(特に肉)である寺門ジモンさんの番組だ。産地、調理法、食べ方までこだわる過剰な説明が、「癖になるウザさ」なのだが、ジモンさんが味覚だけにこだわる男ではないことはYouTubeを見続けるとわかってくる。

例えば、ダチョウ倶楽部が若手時代に通っていたお店、太田プロダクション近くの焼肉店「羅生門」は、もちろん肉(特にカルビ)自体も美味しいのだろうが、彼の「想起」が生まれる瞬間を、われわれファンは見ているのだ。ジモンさんは、思い出そのものが味わえることを知っている男である。

このまま様々な飲食YouTubeをお薦めしていってもスペースが足りない。それでは、この連載がウザくなるので、ひとまず、ここで要約しよう。漫画、エッセイなども含めて飲食についての娯楽は、「味覚そのもの系」と「食の記憶系」が存在する。「いい店」という定義も、味そのものなのか、お店の雰囲気を含めた味(記憶の中の味)なのかによって大きく変わってくる。

さて、ここで私が注目したいのは、後者における記憶はいかに生まれるのかという問いである。めしの話を考えはじめたら、どんどん考えることが止まらなくなってきた。

想起とは感情を再現させること

『紳竜の研究』(よしもとミュージックエンタテインメント)というDVDがある。伝説の漫才コンビである紳助・竜介の漫才が収められたDVDであるが、これには、島田紳助氏が2007年にNSC(吉本総合芸能学院)でただ一度だけ開催した特別限定授業の動画が収められている。この講義では、人間の認知能力に対する様々な洞察が話される。それら素晴らしい洞察が学問知識をベースにしないで、独自に考えられたことに驚くしかない。

この授業で紳助氏は、頭で記憶することと心で記憶することを分ける。数学の公式や英単語の丸暗記のように頭で記憶したことは忘れるが、心で記憶したことは忘れないと言う。正確にいえば、紳助氏にとっての記憶は、知識の在庫として抱えているというイメージではなく、今、思い出されるものとしてイメージされている。さらに紳助氏が心と言っているのは、その思い出すものが感情であるからだ。過去の感情を思い出すから、その人は活き活きと話せるのだ。

優れた話者(売れている芸能人)は、感情の起伏が激しく、その感情の想起がうまい。芸人の話術は、正確さや聞きやすさだけを重視したアナウンサーの話術とは異なる。まるで今起こったかのように話せるのは、そのときの感情を想起して、そのときの感情になっているからである。つまり、その感情に臨在感が宿っているのである。

芸のプロが、なんど同じ話をしても新鮮なのは、なんども同じ感情を想起しているからである。話すという行為自体や場の雰囲気を想起のトリガーにしているのだ(実際、紳助氏も話す前にまったく準備しないと断言している)。もちろん、これは危険な性質でもあり、なんども同じネガティブな感情を繰り返すこともあり得るのだが……おそらく笑いが、屈託からの解放を生み出すのだろう。

まず、世界や社会に対する多感情があり、その想起がうまい人は、他者に対して表現者になる。これは芸能以外にも当てはめることは可能だ。例えば、読書法である。

体験としての読書

本を読むとき、われわれは、本を情報の集積されたものであり、そこから情報を収集すると考えてしまう。わかりやすくいえば、本を知識のデータベースとして捉えてしまう。

しかし、読書は体験なのである。何を読んだか(知ったのか)というよりも、いつ、どこで、どのような場で、何を感じて読んだのかという方が重要なのだ。小説やエッセイはもとより、哲学・思想書も、ちゃんと体験として読めているかが重要である。

私は、読書を体験化するために、旅行先には、その土地と関係する本をカバンに入れておく。京都滞在中は、姜尚美『京都の中華』 (幻冬舎文庫)  を必ずカバンに入れておくし、河原町近辺を夜散歩するときには、九鬼周造の『「いき」の構造』を眺めつつ(いつか完読したい)、飲み屋さんで櫻井正一郎『京都学派 酔故伝』(京都大学学術出版会)を拾い読みしている。

読書会仲間と秩父旅行をしたときには、猟友会の皆さんとの飲み会の予定を入れて、千松信也『ぼくは猟師になった』 (新潮文庫)を読んでおいた。浅羽通明『星新一の思想―予見・冷笑・賢慮のひと 』(筑摩選書)の読書会は、著者を招いて日本SF作家クラブが結成された新宿の台湾中華の山珍居で行った。世界は、すべて聖地巡礼の場なのである。

この「知的Random Walkers」のセッションでも、先日、茶道体験と共に小堀宗実『日本の五感 小堀遠州の美意識に学ぶ』 (KADOKAWA)を読んで参加者と議論した。さらに私は、この体験への飢えが止まらず、戦国茶人の古田織部を主人公とした歴史漫画である、山田芳裕 『へうげもの』(講談社)を読み返した(図1)。

これらはすべて、体験によって潜在意識を耕し、将来に想起するための準備でもある。われわれは、この読書術を複数の体験を組み合わせる「3D読書」と呼んでいる。

図1 茶道と歴史を学ぶ、3D読書の図

茶道と歴史を学ぶ、3D読書の図

忘却は消去ではない

心に起こる想起の仕組みを考えれば、知識を忘れることを恐れることはない。本をデータベース、読書を知識伝達と考える人間は、具体的な知識を忘れると損をした気分になるのだろう。

しかし、体験としての読書を考えれば、忘却は消去ではない。われわれが十分に認識できない潜在意識を耕しているといえばよいであろうか、主人公の名前は忘れていたが、あのとき、あの場所、何かを感じたこと自体は、ふとした瞬間に思い出される。図2に描いたように潜在意識を耕し、今の想起を次々生み出せることが、AI時代、検索時代に人間に残された未知の創造性とはいえないだろうか。

ところで、ここまで書いてきて急に思い出したことがある。私は、30年以上前の夏休みに温泉ホテルで長期バイトをしていたことがあるのだが、同時期にジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』(岩波文庫)を書名に惹かれて購入した。このルポルタージュの細部は忘れていたのだが、あのとき、この本を読んでいた喫茶店の名前は何だったか……。

青春時代のしんどい労働の初体験は、この読書との組み合わせによって想起される体験となって私の潜在意識の中に埋まっていた。そして、何かの刺激で潜在意識が「ざわざわ」とするのである。労働の研究者である私が、労働について語るときにこのような想起が無駄になるはずがない。

皆さん、大いに体験し、どんどん忘れ、そしてどんどん思い出しましょう。

図2 潜在意識が大きく、想起が生まれやすい人潜在意識が大きく、想起が生まれやすい人の図解(出典:梅崎氏作成)

梅崎 修氏

法政大学 キャリアデザイン学部 教授

Umezaki Osamu 1970 年生まれ。大阪大学大学院博士後期課程修了( 経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。
◆人事にすすめたい1 冊 『労働・職場調査ガイドブック』(梅崎修・池田心豪・藤本真編著/中央経済社)。労働・職場調査に用いる質的・量的調査の手法を網羅。各分野の専門家が、経験談を交えてコンパクトにわかりやすく解説している。

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