「ONの休み」で知のテリトリーを拡張する

2024年08月07日

「働き方」より「休み方」が大事

この連載では、実体験の中で獲得してきた、私の個人的な知的生産術を書いている。今回も知的ランダムウォークだからこその変化球を投げてみたい。

ワーク・ライフ・バランスが推奨される世の中では、なんとなく言いにくいのが、知的創造のためには働き方よりも休み方を意識することである。

なぜ、これが言いにくいかというと、私にとって休み方とは、働いて疲れたら休むという消極的な受け身の行動ではなく、もっと積極的に選択するものであり、その目標はバランスではなく融合、つまり働くと休むの境界をなくすことだからである。

働いて、肉体的、心理的に疲れたら休んで回復するというのは当たり前のことである。肉体的疲労に対しては、適切な睡眠、十分な食事などが必要なのは言うまでもない。

しかし、心理的疲労の場合はどうだろう。部屋で一人、動かなければいいというわけではない。もちろん一人静かにゆっくり過ごすこともあるし、気の置けない友人たちと趣味や娯楽でワイワイと楽しむこともある。私は、前者の休暇を<積極的切断>、後者の休暇を<積極的接続>と呼んでいるが、どちらも積極的に選ぶべきものなのだ。

フィラテリストの沼は、知の泉だった

私が休み方に対して認識を改めたのは、杉原四郎先生との出会いがきっかけである。講義を受けたことはなく、大学院時代にお見かけしたという程度の関係なのであるが、著作を通じて尊敬していた(だから私にとって「先生」なのだ)。

杉原先生は、経済思想史の研究者でジョン・スチュアート・ミル、カール・マルクス、河上肇などに関する学説史研究はもちろんのこと、書誌学的研究によって『日本の経済雑誌』(日本経済評論社)のような経済メディア研究を発展させた先駆者である。『読書紀行』『読書燈籠』『読書流紋』(未來社)などのエッセイ集には、杉原先生の読書体験、書誌学的な考察が溢れており、専門知識をはみ出す雑学的知識の圧倒的な量に驚かされる。

このように杉原エッセイ本を買い集める中、図書目録で見つけたのが『切手の思想家』(未來社)であった。著者名は杉原四郎と書かれてあるので、「あの杉原先生でいいんだよな」と思いつつ注文をしてみた。

本が届いて驚いた。たしかに杉原先生の著作であったが、自分の切手コレクションをカラーで紹介した本だったのだ。「単なるコレクション自慢じゃないか!」と最初は思ったのであるが、「あとがき」を読んでうなってしまった。そのとき、私の「休み≒遊び」に対する認識は改められた。

写真① 『切手の思想家』(未來社)
切手の思想家(未來社)の表紙

この本の「あとがき」によれば、杉原先生は、イギリスで切手コレクションを見たときに「切手の蒐集は、決して子供のあそびではなく、ゆとりと教養をもった大人の趣味であること」を知ったそうだ。切手蒐集家は、フィラテリスト(philatelist)と呼ばれる。

杉原先生は、各国郵便局で切手を買い、日本郵趣協会の雑誌を購読し、新しく出る人物切手の蒐集につとめたと記している。この人物切手を集めることは経済思想研究と繋がっている。むろん蒐集家は、集めることが第一の楽しみになるのだが、集めてから、「さて、この人物とは誰だろう」と思うこともある。人物との偶然の出会いが知のテリトリーを拡張させたと言えよう。

心理的疲労から回復するには、仕事とは関係ないことに熱中するのが一番だ。知の巨人たちは、この熱中する遊びを使いこなしてきた。

さらに、知識の獲得だけに限らないのが遊びの効用だ。「遊び」について哲学的考察を行い、『遊びと人間』を執筆したロジェ・カイヨワは、鉱物マニアで石を集めることが趣味であった。不思議な石たちを触り、眺めることが、どれだけカイヨワのイマジネーションを膨らませたか。この石の遊びは『石が書く』(創元社)という仕事に結実しており、彼の想像力の秘密を知ることができる。

写真② 『石が書く』(創元社)
石が書く(創元社)の表紙

古層から執拗低音へ

もう一人、趣味を活かした研究者として政治学者の丸山眞男を紹介しよう。丸山眞男が大のクラッシック音楽好きであったことは有名であるが、どのような趣味生活であったのかは、あまり知られていない。

丸山ゼミ出身で日本開発銀行を経てオーディオメーカー・ケンウッド代表取締役などを歴任した中野雄氏は、クラッシック音楽を紹介する作家でもある。氏が執筆した『丸山眞男 音楽の対話』(文春新書)では、丸山眞男の音楽趣味と研究生活が身近な目線で紹介されている。この本によれば、丸山の音楽趣味は、音楽を聴くだけでなく、スコア(総譜)を集めて読み込むという研究的熱中も含むものであった。実際、丸山は中野氏に「音楽の自分史」を書きたいと語っていた。

丸山政治学のキー概念に「執拗低音(basso ostinato)」がある。この概念は、もともと「古層」と定義されていたものを言い換えたものである。この難解な概念をやや強引に要約しよう。執拗低音とは、日本には様々な外来思想が入り、日本思想も変容してきたが、変容の仕方に「変わらなさ」があるということを説明する概念である。

丸山は、この「変わらなさ」を古層と言っていたが、それでは「基盤」のような意味で受け取られてしまう。丸山が言いたかったのは、基盤のようなどっしりとしたものではなく、「執拗に繰り返される一つのパターン、ものの考え方、感じ方のパターン(※1)」であった。

つまり、丸山の音楽趣味は、彼のキー概念を「静態的な空間概念」から「動態的な音楽概念」に改定させたのだ。

ON ON ONという拡張を目指して

図1に示したのは、二つの往還タイプの比較である。働く⇔遊ぶの往還こそが知の創造のカギなのである。働くはONで、疲労したから休むOFFとなるのではなく、働くはONで、休むを「遊ぶのON」に接続すればよい。ONからONへの往還がうまく回れば、回復しながら拡張できるのだ。

図1 働くと休むの往還

働くと休むの往還

ただし、この方法にはリスクが存在する。それは、すでに述べたようにOFFがなくなることではなく、遊びだったものがいつの間にか仕事になってしまうリスクである。

最後に、私の経験をお話ししよう。かつて私は、本業は人事や雇用の研究者であるが、遊びで仕事マンガ(職場が舞台、職業人などを取り上げたマンガ)を読んでいた。つまり、労働研究(=働く)⇔仕事マンガ(=遊ぶ)という往還を作り上げていた。ところが、仕事マンガについて原稿依頼や出版の話が来るようになり、最初は楽しく書いていたものが、徐々に締め切りに追われる仕事になってしまった。もう仕事マンガは遊びでも気晴らしでもなくなった。

そこで、私は、新たな遊びとして仕事映画をONの遊びに選んだのだ。しかし……しばらくすると仕事映画で本を書く計画が生まれた。またもや仕事になってしまった。そこで私は、仕事小説で遊びはじめたのである。図2の「知の逃走術」の図を参照してほしい。私は、ONの遊びを探して逃走し続けているのだ。

この拡張的逃走には終わりがない。終わらないから知のテリトリーを拡張し続けることができるのだ。

皆さん、ON ON ONで遊び続けませんか。

図2 知の逃走術
知の逃走術

(※1)丸山眞男(1996)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」『丸山眞男集 第十二巻』 岩波書店, p.153.

梅崎 修氏

法政大学 キャリアデザイン学部 教授

Umezaki Osamu 1970 年生まれ。大阪大学大学院博士後期課程修了( 経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。
◆人事にすすめたい1 冊 『労働・職場調査ガイドブック』(梅崎修・池田心豪・藤本真編著/中央経済社)。労働・職場調査に用いる質的・量的調査の手法を網羅。各分野の専門家が、経験談を交えてコンパクトにわかりやすく解説している。

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