ローカルから始まる。
日本ウェルビーイング推進協議会 代表理事 YeeY 共同創業者/代表取締役 アステリア CWO 島田由香
ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス(以下、ユニリーバ)の取締役人事総務本部長として働き方改革をはじめとする数々の人事変革を牽引した島田由香氏。2022年6月に同社を退職後、独立して現在は主に人の側面から地域の第一次産業を支える活動に夢中だ。なぜ地域なのか。なぜ第一次産業なのか。
(聞き手=浜田敬子/本誌編集長)
―――ユニリーバを退職以降の島田さんのさまざまな活動のなかで、代表ともいえるのが「梅収穫ワーケーション(以下、梅ワー)」です。
島田由香氏(以下、島田):梅ワーは、私が代表理事を務める日本ウェルビーイング推進協議会主催の「世界農業遺産活性化プロジェクト」の1つで、ワーケーションしながら、梅の産地として名高い和歌山県みなべ町で収穫期に農家さんのお手伝いをする活動です。2022年にスタートし、1年目は6月の1カ月間で123人が、2023年の2年目は5月から2カ月半ほど実施し238人が参加してくれました。受け入れの農家さんも11軒から19軒に、運営側も15人から19人に増員しました。
―― なぜ梅ワーだったのですか。
島田:私が「みなべ仲間」と呼んでいるみなべ町のメンバーに懇親会で出会い、この地域が梅の産地で、世界農業遺産であること、収穫期に人が足りなくて困っていること、高齢化が進んで事業継承に不安を持っていることを聞いたんです。みなべ仲間が未来を案じ、何とかしなければならないと感じていることが強く伝わってきました。シンプルに人が足りないのならば、人が溢れている東京から連れてくればいいじゃん、と思ったのがアイデアの発端でした。
――ワーケーションとの組み合わせはすぐに浮かんだのですか。
島田:はい。ユニリーバ時代からワーケーションを提唱していましたから。2016年から社員が働く場所・時間を自由に選べる人事制度「WAA」(Work from Anywhere and Anytime)を導入し、2019年には社員がワーケーションしながら行った先の地域で何かしらの貢献をしてくる仕組み「地域de WAA」へとつながっていきました。実体験として、場を変えて働くと効率が上がることを知っていました。地域に食事や買い物でお金を落とすだけでなく、自分が持っている知恵や知識、経験や労働力で貢献できれば、社員の学びにもなります。
私が目指すのは「真のワーケーション」。ワーケーションはWorkとVacationの造語。Vacationの動詞形Vacateには「空(から)になる・空にする」という意味があり、自分が空になる・自分を空にする体験にこそ本当の価値があります。
――どんな効果がありましたか。
島田:個人が得られたものは、リフレッシュしたとか、集中力が増したとか。体験した人のポジティブ感情が高まるのは確かです。印象的だったのは、新入社員が薪割り体験をしたときのこと。プロのアドバイスを受けても腰が引けてぜんぜん斧が薪に当たらなかった社員が、試行錯誤の末に割り切って委ねて思いっきり斧を振り下ろし、薪がスパンと割れたとき、「恐れていてはダメですね。仕事も同じかもしれません」と言ったんです。人材育成でこれ以上の教えはないと思いました。
―― 梅ワーにも同じ効果を期待したんですね。
島田:単純な農作業の繰り返しは脳をリラックスさせます。まさに空になる・空にする経験です。夕日が沈んでいく瞬間や雑草のたくましさに感動したりしながら、生きることや自分の価値の再発見にもつながります。一次産業とワーケーションは、働く人のウェルビーイングを高めるとてもいい掛け合わせだと思えたんです。
―― 農業を中心とした一次産業は、人手不足が深刻です。働く人のウェルビーイングの支援と地域活性を両立する島田さんの活動を、私は「一次産業の人事部」だと考えています。
島田:2023年は参加者238人と言いましたが、延べでは382人。それでも農家さんのニーズを全部満たそうとすれば、その4倍は必要でした。1年目のアンケートでは100%の参加者が満足し、また来たいと8割の人が答えているのに、リピート率は20%程度。予約を簡便にしたり、グランピングや熊野古道散策などのイベントを開催したりとさまざまな工夫をしてみたのですが、まだまだやれることがありそうです。
―― そもそも、島田さんの関心はなぜ地域に向かったのですか。
島田:私は東京生まれ東京育ちで、“田舎”がない。たまたま知人に誘われて山口県に行ったとき、そこで出会った地元の農家さんや漁師さんたちの姿に衝撃を受けました。その人がそこにいるだけで場が変わり、その人が「やる」と言ったらみんなが動く。私が学び実践してきた組織論やリーダーシップ開発は組織を対象にする理論ですが、地域には組織が先にあるのではなく、ただそこに人がいる。その人の持つ魅力や、何かに夢中になっている姿に人が集まる。リーダーシップの本質は地域にある。ならば、もっと地域に関わりたいと思ったのです。
農家さんの声や変化が自治体を動かす
――とはいえ、自治体や農家さんの協力を得るのは大変だったのでは。
島田:みなべ町役場には日本で唯一「うめ課」があるんです。最初にご挨拶に行ったとき、職員の方々は「ぽかーん」とするばかり(笑)。ところが、6月に梅ワーが始まって以降は本当に熱心に協力してくださり、手弁当で運営をやっていた私たちのために、2年目には協力金という形で町として予算を計上してくれました。本当に感激しています。
―― なぜ、変わったんでしょうか。
島田: 受け入れ農家さん以外の農家さんから「隣の畑から笑い声が聞こえるし楽しそう」といった声が町役場に多く入り、活動の価値に気づいてくれたのだと思います。ほかにもお隣の田辺市の事業者さんが破格の金額でレンタカーを貸してくれるなど、運営メンバーは全員手弁当なので、協力に感謝は尽きません。
―― 農家さんはどうでしたか。
島田:どうやら当初は警戒する気持ちもあったようです。なぜ無償で大変な作業をしてくれるのか、この人たちの目的は何なのかと。それを、みなべ仲間が一軒一軒、説明に回ってくれ、2022年は11軒が引き受けてくださった。結果として農家さんたちは無償で労働力が得られたこと以上に、いろいろな人とつながりができて毎日が本当に楽しかったと言ってくれました。毎日収穫に必死で、無言で作業して家族と話すこともない。それが、一連の活動のなかで農家さん同士につながりが生まれたり、家族の会話が生まれたり。性格が変わったと周囲に言われるくらい、明るくなった農家さんもいるんですよ。
農家さんが得たものは無償の労働力より「人のつながり」
本気の“地元”と本気の“よそ者”の融合
――みなべで梅ワーが一定の成果を上げている理由をどう考えていますか。
島田:1つは、明確な地域課題があったこと。人手不足も後継者不足も高齢化も、どの地域にも共通した課題ですが、「この時期にこれをする人が足りない」ということが明らかで、ソリューションが想定しやすく、具体的に動けました。もう1つは、本気の“地元”と本気の“よそ者”がいるから。外から来た人と、地元に「ここをよくしたい」と本気で思う人が融合してはじめて、地域活性の種が育つのだと思います。
――やはり、若手が中心でしたか。
島田:若手でなくてもいいんです。みなべの場合は、30代から40代の、組織でいえば中間管理職的な人々が本気だったこともよかった。上の世代とも下の世代ともつながることができますから、波及効果も大きい。
――「一次産業の人事部」としての活動は、さまざまなところで展開できそうです。
島田:「一次産業ワーケーション」*という言葉を作り、この秋冬は三重県御浜町で「みかん収穫ワーケーション(みかワー)」をやります。石川県能登町では木こりのプロデュース会社を作り、森や山への意識を高める活動も始めたり、福井県高浜町では原発のある街の将来のライフスタイルデザインの支援をしたりしています。ほかにも、熊本県、富山県などでさまざまなプロジェクトが進行中です。
―― ユニリーバの時代から副業でさまざまな活動をしていました。退職せずとも活動を続けられたのでは。
島田:自由にやらせてもらえたのは本当にありがたかったのですが、それでも辞める決断をしたのは、自分が本当にやりたいことだけに時間とエネルギーを使おうと決めたから。組織にとっては大切な仕事でも正直あまりやりたくないことに忙殺されたくなかった。本当にやりたいことは4つあって、1つは働き方改革。9時から5時という人から自律性を奪う働き方を変えること。2つ目は体験して、気づきを内省して言語化するという“真の”人材育成。残りの2つが地域活性とウェルビーイングです。とはいえ、1人では限界があるから、今後はキーパーソンを増やしていきたい。
―― キーパーソンに求めることは何ですか。
島田:やり方はそれぞれですが、人が好き・人への関心は絶対条件。そして、地域で起こることに好奇心を持ち、深めてみようと思えること。最後は全力を尽くせること。夢中になっている姿が、他者の心に火をつけるのだと思います。
辞めた理由は、本当にやりたいことに時間とエネルギーを使おうと決めたから
*「一次産業ワーケーション」は、日本ウェルビーイング推進協議会の登録商標です。
Text =入倉由理子 Photo=MIKIKO
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