ローカルから始まる。

雨風太陽 高橋博之

2024年08月23日

雨風太陽は、「都市と地方をかきまぜる」をミッションに、全国の農家や漁師から新鮮な食材を直接購入できるアプリ「ポケットマルシェ」や、つくり手を特集した情報誌と彼らが収穫した地域の食べものがセットで定期的に届く「食べる通信」などを展開する上場企業だ。
上場企業でありながら、代表の高橋氏は今、被災地支援に力を注ぐ。その真意を聞く。
(聞き手=浜田敬子/本誌編集長)


――― 2024年1月1日に起きた能登半島地震の被災地支援に力を入れていらっしゃいます。

高橋博之氏(以下、高橋):1月5日に現地入りして以降、仕事のベースは能登です。最初は金沢に拠点を置いていましたが、今では輪島や珠洲(すず)にも泊めてくださる人たちが出てきました。

―― 高橋さんは2006年に岩手県議会議員になり、東日本大震災後には被災地の支援から始まる第1次産業支援に取り組んでいます。東北の教訓を能登に生かせそうですか。

高橋:東北は10年という月日と数十兆円の国費を投じて復興してきましたが、後悔や反省点がたくさんあります。教訓を共有すれば、同じことを繰り返さず、もっとうまく復興できるはずだと思うんです。
たとえば巨大防潮堤建設。異を唱えて岩手県知事選に立候補したものの、落選しました。巨大防潮堤の建設は、100年に1日あるかないかの非日常と、残り99年の日常のせめぎ合い。地域や人によって事情は異なり、いろいろな意見があっていい。折り合いの付け方もそれぞれの地域の文化なのに、一律、建設が決まってしまった。非日常を前提に復興が始まったためにとても時間がかかり、人が住んでいいという時期には、被災者はもう別の地域で新しい生活を始めていて戻ってこなかった。当時、それを見越して「新築の過疎地域になる」と知事選で訴えました。残念なことにそれが現実になってしまった。

―― 巨大防潮堤横の道路を並走すると、隙間からすごく美しい海が見えます。

高橋:そこに住んでいたのは、海と生きてきた人たちです。防潮堤でそのメンタリティが切れてしまった。今、日本でいちばん若い人が流出しているのが東北です。復興によって目指した、便利で安全で快適な街は日本中どこにでもあって、結局はそこに勝てず皆、外に出ていきます。能登では同じことを繰り返してはなりません。
一方、東北と違うこともあります。能登半島地震の直後から政治家や経済人から、限界集落に税金を投入してインフラを再構築するより都市に移住してもらったほうが効率的だという意見が出て、同調する人も多かった。13年前の東北では露骨にそんなことを言う人はいなかった。この国は13年間明確な打ち手を持たないままに過疎や高齢化が進み、結果、地方の集落のありようを社会全体で答えを出さずにはいられなくなったということでしょう。
能登の何を残すのかは、日本の未来に何を残すのかに直結する分水嶺です。経済合理性だけを優先し、GDPに貢献しない伝統的な暮らしや文化を切り捨てれば、今後も必ず起きる災害後の復興との向き合い方もそうなる。その積み重ねが、日本という国の未来の姿になっていきます。

能登の何を残すかは日本の未来に何を残すかに直結する分水嶺に

都市居住者が関係人口として地方の課題を解決する

―― 能登の最も大きな課題はなんですか。ボランティアが少ないという話は聞きます。

高橋:被災地は数カ月も経つと良くも悪くも人も重機も溢れ、活気づきます。ところが能登は発生直後の渋滞がすごくて、「来ないでください」というメッセージを出さざるを得なかった。その印象が強くいまだにゴーストタウンのように人がいません。それだけではなく、最も大きな課題は石川県で最も高齢化が進んだ地域が一部被災した、くらいの認識が多くの人にあったことです。49%の高齢化率で、人が流出していく能登だけで復興するのは難しい。多くの人が絡まなければなりません。

―― 高橋さんは、移住者でも旅行者でもない、地域と多様に関わる人を示す「関係人口」という概念を提唱しています。能登の復興のためにも関係人口を増やすことが重要ですか。

高橋:その通り。能登で生まれ育ち、今は金沢、東京、大阪など都市部で働く若い世代が、復旧復興を手伝うために高い頻度で帰省しています。震災前は年2回程度しか帰ってこなかった人たちです。今、そうした関係人口がものすごく大きなリソースとなっています。彼らの力をより活用しやすくするために、石川県に復興プランの柱にしてもらったのが二重の住民登録、つまり二地域居住です。
都市居住者の働き方やライフスタイルの多様化と、地方の過疎化と人手不足が同時に起こっています。移住は難しくても彼らが二拠点を往来することで、地方の課題を解決できるかもしれません。5月には二拠点居住を促進させる法改正もされました。復興の文脈と人手不足の解消に二拠点居住という潮流が重なれば、能登の復興を契機に社会を大きく変えるチャンスになる、と思っています。

―― コロナを境に、働く場と暮らす場が離れていてもなんとかなるという実感を持てるようになりました。

高橋:地方でユニークなチャレンジが始まっている一方、東京には活力がない。都会の活力は異質な人がぶつかり合って生じます。従来は地方から大量の若者が東京を目指し、既成概念と混ざり合って、新しい視界が開けて新しいことが始まっていた。ところが今、都市も地方も引きこもり状態になってしまった。これからは都会の人が地方という異質な世界に行って、視野を広げて地方にも都会にも影響を与えることが重要です。

―― それがまさに、「都市と地方をかきまぜる」ですね。

高橋:僕は1974年に岩手で生まれました。高度成長の価値観の波しぶきを受けて、高校卒業後、東京の大学で学び、スーツにネクタイで働くことに違和感はなかった。でも、28歳で岩手に逃げ帰ります。東京は人の住むところではない、豊かなのは岩手だと言って。でもよくよく考えたら、都会も田舎も両方いいところがある。震災の復興支援のボランティアに来た人たちが元気になって帰っていくのを見て、1つの物差しでどっちが上ではなく、どちらもよさがあることにあらためて気づきました。

「観客」から生きるためのインフラを提供する「自治」へ

―― 先ほど地域のインフラのコストを考えて集約化の議論が出ているという話が出ましたが、人口が減り続けるなかで、このインフラのコストの問題、高橋さんのなかで未来は見えていますか。

高橋:集約化すべきという理屈に唯一対抗できるのは「自治」です。その土地の自然の力を暮らしに変える、あるいは生業にする「一流の田舎」として、自分たちでやっていく。東京を手本にしても、東京のコピーである三流の都会にしかなれません。自治とは、一流の田舎をもう一度目指してインフラに過剰な投資をせず、自然と共生する暮らしを自分たちに取り戻すことです。ただ、過疎化が進んでいるため、その地域にない知恵を持っている人を巻き込み、テクノロジーを使う必要があります。
僕は現代を、インフラなど自らの生存や生活に必要なことを国家に委ねた「一億総観客社会」だと見ています。いきなりグラウンドに降りて自治をしろと言われてもどうしたらいいかわからない。それがようやく、阪神・淡路大震災のあとグラウンドに降りる人が出てきました。そこからこんな学校あってもいいよね、こんな福祉がほしいよねと、生きるためのインフラを提供する側に回ろうとしている、つまり自分の人生の主役の座にもう一度座り直そうとしています。

―― 東日本大震災後にもNPOやNGOがたくさん生まれました。高橋さんも、「食べる通信」をつくり、地域の生産者を支えました。観客だったなかからも単に買うだけではなく、関わりたい、支えたい人たちも多く出てきていますよね。

高橋:これだけモノが溢れると、最後は生活の質を高めることに向かう。生活の質を高めるためには、自分たちが消費していた先の生産に関わることです。

―― コロナでそれがより拡大した感じがします。

高橋:コロナで人々が得たのは時間でした。通勤通学の時間がなくなって生まれた余暇で、多くの人が料理をするようになりました。食材も生産者から直接買うと、美味しくて新鮮な食材が買えるだけでなく、コロナで苦しんでいる生産者を支えることもできると気づいたんです。

―― 時間は1つのキーワードですね。関係人口になるにしても自治にしても、会社に吸い取られていた時間を自分の手に取り戻して何に使うか。

高橋:企業の働き方改革はもっと進むべき。都会の大企業が変わらないと時間は増えないし、柔軟に生活できない。それが結果として自社のためになるということに経営者は気づいていない。社員が豊かに生きるために会社を開放するくらいの気持ちになれば、多様な人がかきまぜられてイノベーションが起きやすくなるはずです。同じ人と毎日顔を合わせていて新しいアイデアが生まれるはずないじゃないですか。

社会性と経済性を両立しインパクトを最大化

―― 雨風太陽はなぜ法人化して上場までしたんですか。短期利益の追求も株主に求められると思うのですが。

高橋:被災者に心配されていますよ。上場したばかりでこんなことやっていて大丈夫なのかと(笑)。
「食べる通信」がすごくいい事業だとしても、紹介できるのは月に1人の生産者で、月に1日しか都会の食卓を変えられない。もっと日常的に多くの生産者が消費者とつながるために「ポケットマルシェ」というアプリをつくりました。結果的に登録生産者は8000人を超え、ユーザーも伸びたけれど、地方の衰退のスピードには追いつかない。都市と地方をかきまぜるインパクトを最大化・最速化するには上場しかないと思いました。
「やっていることは素晴らしいけど、儲からないからやっぱりボランティアかNPOだよね」と言われるのも嫌でした。社会に必要とされることをやっていたら、経済性も成り立たないとおかしいと思うんですよ。

能登の被災地「ポケマル炊き出し支援プロジェクト」の一コマ能登の被災地「ポケマル炊き出し支援プロジェクト」の一コマ。多くのポケットマルシェ登録生産者から食材を無償提供してもらい、炊き出しを実施した。
Photo=雨風太陽提供

ポケットマルシェ(ポケマル)のアプリイメージポケットマルシェ(ポケマル)は、全国の農家・漁師から直接食材を買えるだけでなく、気軽に買いたい商品について質問できるのが最大の特徴だ。
Photo=雨風太陽提供

―― 官僚など錚々たるキャリアの人が転職してくると聞きました。

高橋:若い人は志を持って社会に出るけれど、入社してすぐ上司に言われるのは「きれいごとでは飯は食えない」。でも、きれいごとが大手を振ってまかり通るようにならないと社会は変わらない。「いいことはNPOやボランティアだけ」の時代は終わりにしたい。その先駆けになるぞ、と、社員に話しています。

きれいごとが大手を振ってまかり通るようにならないと社会は変わらない

Text=入倉由理子 Photo=伊藤圭

高橋博之氏

Profile
2006年 岩手県議会議員
2011年 岩手県知事選挙落選
2013年 NPO法人東北開墾を立ち上げ、「東北食べる通信」創刊
2015年 株式会社化
2016年 スマホアプリサービス「ポケットマルシェ」開始
2023年 東証グロース市場上場