人事は映画が教えてくれる
『遠すぎた橋』に学ぶ 現場に悲劇をもたらす官僚制組織の無謬性信仰
都合のよい情報を取り入れ都合の悪い情報を拒む楽観性バイアスの怖さ
【あらすじ】第二次世界大戦中の1944年9月、3カ月前にノルマンディー上陸作戦を成功させた連合軍は、一気にベルリンを陥落させるべく、オランダ・ドイツ間の5つの橋の制圧を目指したマーケット・ガーデン作戦を決行する。英国陸軍のモントゴメリー元帥の指揮の下、約12万人の兵士が動員され、作戦は始まった。当初4つの橋の制圧には成功したが、誤算が相次ぎ戦況は次第に不利に。5つめの橋を巡る最前線のアーネムでは熾烈な戦いが展開される。
『遠すぎた橋』は、第二次世界大戦において連合軍がヨーロッパで展開したマーケット・ガーデン作戦の失敗を描いた作品です。戦争の愚かさを、リアリティをもって表現した名作だと私は評価しています。
この作品の要諦を語る前に、まずこの作戦がどのようなものだったのかを説明する必要があります。
連合軍は快進撃でパリを解放した後、一気に敵国ドイツの首都ベルリンを陥落させようと企てます。このとき、連合軍側では米国陸軍のパットンと英国陸軍のモントゴメリーが武勲を競っている状況でした。モントゴメリーはオランダからドイツにつながる一本道を制圧し、戦車を連ねてパットンより先にドイツ領に侵攻しようと考えました。そのためには要所となる5つの橋を確保する必要がある。そこでドイツ軍が撤退を始めていた橋付近の3つの地点に、空挺師団をパラシュートで降下させることにしたのです。クリスマスまでに作戦を終わらせることを目指したモントゴメリーは、性急に計画をスタートさせました。しかし、この作戦は失敗に終わります。ドイツ軍の死者8000人に対して連合軍側の死者は1万7000人。最重要地点のアーネムの橋も制圧できませんでした。
失敗の理由はいくつも挙げられますが、なかでも最大の理由は、連合軍の上層部が「官僚制における無謬性信仰」にとらわれていたことです。つまり、官僚制組織において正当な手続きを経て決定されたものは無謬である、正当な手続きをもって正当な地位に就いた人間が指示したものを正当な組織が執行するうえにおいて、そこに何ら矛盾や間違いは生じないはずだという思い込みです。
この映画では、その愚かさが克明に描かれます。象徴的なのはモントゴメリーの命を受けて本部で作戦の指揮をしたブラウニング中将(ダーク・ボガード)の言動です。
「ドイツの精鋭部隊は既に撤退している。作戦の対象地域には老人と子どもの部隊がいるだけだ」という情報を信じているブラウニングに対し、部下のフラー少佐(フランク・グライムス)はドイツ装甲師団がアーネム付近に潜伏している証拠写真を見せて作戦の中止を進言します。しかし、ブラウニングは「どうせこの戦車は動かない」と根拠もなく言い放ち、「たった3枚の写真でこれだけの大規模な作戦を中止しろと言うのか」と逆に問い詰めるのです。
客観的に見れば呆れるしかない言動ですが、無謬性信仰が働いている組織ではこれが起こり得ます。意思決定者は結論ありきで都合のよい情報だけを取り入れ、都合の悪い情報は排除してしまう。上が決定した以上間違いがあるはずがないのだから、余計なことは言うなというわけです。
一方、この映画では現場のエグゼキューション・エクセレンス(執行力の卓越性)というべきものも描かれています。アーカート少将(ショーン・コネリー)、ソサボフスキー准将(ジーン・ハックマン)ら現場の指揮官は、この作戦を聞いて当初一様に懸念の表情を浮かべました。現場の感覚からすれば無謀な作戦であることが彼らにはわかっていたのです。しかし、作戦が動き出せば彼らは数々の難題に直面しながらも勇敢に部下を指揮し、戦います。戦争において現場の指揮官が躊躇や逡巡を見せれば、敗北と死が待つのみだからです。私は彼らの姿を見て、トップの経営力ではなく課長以下の現場力が高く評価されていたかつての日本企業を思い浮かべました。
無謬性信仰に基づいて根拠なく下される命令の犠牲になるのはいつも現場です。軍隊だけの話ではありません。政府であれ、省庁であれ、民間企業であれ、官僚制の性質が強い組織では、いつでもマーケット・ガーデン作戦の過ちは繰り返されます。
現代的には、コロナ対策やオリンピック開催に関して、同じことが起きていないでしょうか。私たちは、科学的・客観的な視点からの検証を求めていかねばなりません。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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