人事は映画が教えてくれる
『オッペンハイマー』に学ぶ 科学者と権力者との相克
第二次世界大戦下の1942年、アメリカは原子爆弾の開発を目的としたマンハッタン計画をスタートさせた。このプロジェクトの中心人物であり、後に“原爆の父”と称されることになったJ・ロバート・オッペンハイマーの理論物理学者としての成功と苦悩を描いたのが映画『オッペンハイマー』。この作品が現代を生きる私たちに示唆するものとは何なのか。
『 オッペンハイマー』は、アメリカの理論物理学者J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)の若かりし日から、原爆の開発、そして日本への原爆投下後の苦悩までを克明に描いた映画です。1回観ただけでは把握しにくい難解な構造の作品で、その主な理由は、主軸となるストーリーとは時間軸が異なる戦後のシーンが随所に挿入されていることにあります。1つは、原子力委員会委員長を務め、水爆開発に積極的だったルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)視点のストーリー、もう1つは、オッペンハイマーの政治的立場を奪うことを目的にストローズが画策した聴聞会です。
本作を観て浮かび上がってくるキーワードの1つがダークトライアドです。この連載でも何度か触れてきたダークトライアドとは、組織に悪影響を及ぼすパーソナリティ特性、具体的にはナルシシズム(自己愛症。過剰な自尊心や自己への強い関心、自己誇大表現などが特徴)、サイコパシー(精神病質。超利己主義、無反省、衝動主義、反社会的行動、人の痛みに無関心であることなどが特徴)、マキャベリアニズム(権謀術数主義。自己中心的な対人操作主義、対人搾取、道徳に対する冷笑的無視、平気で嘘をつくことなどが特徴)の3つを指します。このような人たちが存在すると、組織は疲弊し、ときに道徳や倫理に反した暴走を始めます。それほど危険な存在です。
この作品で描かれるストローズはこの3つの要素のすべてをもっています。ささいな誤解から始まり、アイソトープ輸出に関する公聴会で恥をかかされた経験や、水爆開発をめぐる対立を通してオッペンハイマーへの憎悪を増大させたストローズは、異常なまでの出世欲を剥き出しにし、自分のキャリアの邪魔になる存在としてオッペンハイマーを執拗に追い込んでいきます。
もう1人、この観点から注目すべき人物がいます。「私の手は血塗られたように感じる」と原爆開発への後悔をにじませるオッペンハイマーに対して、「広島や長崎が恨むのは原爆を落とした者、私だ。君など関係ない」と言って馬鹿にしたような態度を取るトルーマン大統領も典型的なマキャベリアニストといえるでしょう。
一方のオッペンハイマーは、純粋な物理学者としての知的興味に駆られて行動する側面をもちつつも、マンハッタン計画のプロジェクトリーダーに就任したことで軸足がマネジメント側に移ります。それと同時に、彼にもマキャベリアニズム的な側面が表れ始めるのです。軍服を着用し始めるシーンが象徴的です。ただし、科学者仲間のラビ(デビッド・クラムホルツ)に「その馬鹿げた軍服を脱げ」と指摘され、すぐに脱いでしまった。彼はこの物語のなかで常に揺れ動いています。
古今東西、科学者は政治家に利用されてきました。ダークトライアドの傾向がある政治家は科学者を道具としてしか認識せず、彼らの内なる意思を理解しません。他人の痛みを理解せず、目的のために手段を選ばない為政者が最先端の科学を利用して暴走したとき、世界に悲劇が起きます。
マンハッタン計画の最中、オッペンハイマーは、恩師の1人であるボーア(ケネス・ブラナー)にこう言われます。「君が送り出す強大な力はナチスを駆逐する。だが、世界には早い」。当時の人類は核を使いこなせるほど成熟してはいなかった。現在でもそうです。だからこそ、私たちはどのような危険があるかわからない最新の技術を抑制的に扱う必要があるのです。
現在に置き換えれば、生成AIをめぐる議論がこれに相当するでしょう。最新の技術の危険性をいち早く察知できるのは専門家です。具体的なリスクを導き出せる段階になくとも、専門家の直感に耳を傾けることは重要です。そして、ダークトライアドの傾向があるリーダーの暴走を許してはならない。彼らをどう排除するかも、技術との健全な共存のために必須なのです。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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