人事は映画が教えてくれる
『新聞記者』に学ぶマキャベリアニストを生み出す組織コンテクスト
同僚やチームに害を及ぼす組織行動は個人の知的能力や性格では説明できない
【あらすじ】東京新聞の記者、望月衣塑子氏の『新聞記者』(角川新書)を原案としたフィクション。ある日、東都新聞に、両目を黒く塗りつぶされた羊が表書きに描かれたFAXが届く。その内容は官邸の肝いりで進められている医療系の大学新設計画に関する極秘文書だった。記者、吉岡エリカ(シム・ウンギョン)は取材に動き始める。一方、政府の内閣情報調査室ではエリート官僚、杉原拓海(松坂桃李)は日々、大新聞などを利用した情報操作に従事していたが……。
『新聞記者』は、政府の大学新設計画にまつわる疑惑を追求する新聞記者とそれに協力するエリート官僚の葛藤を描いた映画です。
東都新聞に匿名で送られた大学新設計画に関する内部資料をきっかけに、同社の記者である吉岡(シム・ウンギョン)は取材を始めます。そんななか、新大学に関わっていたと思われる官僚の神崎(高橋和也)が自殺。内閣情報調査室の官僚、杉原(松坂桃李)は外務省時代の上司だった神崎の死に疑念を抱き、吉岡と協力して真相の解明に動き出します。それに対し、内閣情報調査室は、室長の多田(田中哲司)を中心に政府を守るために圧力工作や情報操作を次々に仕掛けます。私がこの映画で注目したのは、実は主人公2人ではなく、この多田のほうです。
多田は作中では冷徹で憎々しい典型的な悪役として描かれます。しかし、彼は決してフィクショナルな存在ではありません。多田のような役割・機能を果たしている大企業の管理職はいくらでもいます。多田的上司は私たちにとって非常に身近でやっかいな存在なのです。
まず、多田を理解するうえで復習しておきたいのが、本連載の『わたしは、ダニエル・ブレイク』の回(158号)でも言及した官僚制の逆機能です。多田にもまさに官僚制組織特有の「訓練された無能」「目的置換」が起きていたわけですが、ここで特に日本的組織において顕著な問題が加わります。マックス・ウェーバーが定義した本来の官僚制組織においては、指示は文書化されているものですが、対して多田は自分に期待されている役割を忖度し、文書になっていないのに遂行します。このような「役割期待行動」は、ありたい姿を自ら定義し、周囲の思惑に左右されない「自発的役割期待行動」と、与えられた役割を忠実に遂行する「義務的役割期待行動」とに分けることができますが、多田は完全に後者。その判断に個人的な思想や良心は一切関与しません。
与えられた役割に過剰適応した多田にはマキャベリアニズムの傾向も色濃く表れています。マキャベリアニズムとは、目的の遂行のためには手段を選ばないという考え方です。マキャベリアニストたちは、エスカレートすれば倫理や法に反する行動も厭いません。そしてマキャベリアニストの上司は、多田が杉原にそうしたように部下にも自分と同じような判断・行動を求めます。その結果、組織内にマキャベリアニストが拡大再生産される。組織的不正が常態化している大組織には、多くの場合、この問題が起こっています。
さて、ここで重要な指摘をしておきましょう。各種のハラスメントや情報漏洩など同僚やチーム、組織を傷つける組織行動(反生産的業務行動:CWB〈Counterproductive WorkBehavior〉)と、個人の知的能力および性格特性のビッグファイブ(外向性、情緒安定、開放性、勤勉性、協調性)との関連性を調べたあるメタ分析によると、CWBと知的能力の関連性は1%、ビッグファイブにしても14%しか関係していないことが明らかになっています。個人の知的能力が低いから、あるいは個人が悪い人間だから悪いことをするというわけではないのです。
では、何が組織内にマキャベリアニストを生み出すのか。最大要因は組織コンテクストです。この映画での政府のように、本来の目的を見失い、本音と建前が乖離した組織では、多田1人を排除したところで問題は解決されません。組織コンテクストに過剰適応した第2、第3の多田が生まれるだけです。つまり、組織コンテクストにメスを入れ、適切にマネージするしか解決策はないのです。
私は、現実の日本の大組織にもこのような組織コンテクストははびこっていると考えますし、それは旧日本軍から連綿と続くものだととらえています。私たちが問題解決しようとするならば、再度、歴史から学ぶことが求められるでしょう。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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