人事は映画が教えてくれる
『SHE SAID/その名を暴け』に学ぶ不正を生み出す構造との戦い方
2017年、ハリウッドの映画プロデューサーハーヴェイ・ワインスタインが長年にわたって女優や自社の女性社員にセクハラ、性的暴行を繰り返してきた事実が報道された。#MeToo運動のきっかけとなったこのスクープを取材したのはニューヨーク・タイムズの2人の女性記者。その取材過程をリアルに描いた『SHE SAID/ その名を暴け』が私たちに訴えかけることとは何なのか。
『SHE SAID/その名を暴け』は、実際にワインスタイン事件の取材を担当した女性記者2人の手記を原作とした、実話に基づく作品です。
ニューヨーク・タイムズの調査報道記者、ミーガン・トゥーイー(キャリー・マリガン)とジョディ・カンター(ゾーイ・カザン)は、被害者、関係者への取材を丹念に重ね、ハーヴェイ・ワインスタイン事件の取材を進めますが、告発に十分な証拠を集めるのは容易ではありません。
被害の内容を生々しく語ってくれる女性もいるものの、ことごとく自分の名前は出さないでくれと言われてしまう。示談の際に性被害について口外しないよう契約を結ばされているからです。隠蔽に加担してきたミラマックス社(ワインスタインがトップを務める映画会社)の関係者も、当然のことながら一様に口は重い。
この取材過程を通して、私たちはこれほどの悪行が野放しにされてきたことへの疑問と憤りを感じることになります。それと同時に、このような不正の横行と隠蔽に関して、「映画業界ではいかにもありそうなことだ」とどこかで受け入れてしまっていた自分がいることにも気づくのです。
なぜ、受け入れてしまっていたのか。その理由は、思想家の内田樹氏が、「構造主義」の理論に基づいて語る次の言葉で説明できます。
「私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け入れたものだけを選択的に『見せられ』『感じさせられ』『考えさせられている』」( 内田樹(2002)『寝ながら学べる構造主義』文藝春秋)
ミラマックス社やアメリカの映画業界を支配していた「構造」は、当事者だけでなく、部外者である私たちの思考も支配していたのです。ミーガンとジョディはそれをも白日の下にさらしました。
事件の隠蔽に加担したミラマックス社の関係者は、最初は違和感を覚えていたのかもしれません。しかし、いつの間にか、組織の常識に侵されていき、罪の意識もなくなっていったのでしょう。企業における長期にわたる組織的不正の多くは、このような構造を作り出すことによって成立します。
この構造と戦うためには、まず構造について知ることが重要です。そのうえで、自分が「信じさせられている」常識に健全なる懐疑心を抱き、自分の正義を貫く勇気を持てるかが問われます。
映画の終盤、当初は実名を出すことにためらいがあったアシュレイ・ジャッド(本人役で出演)は、ジョディにこう告げます。「あなたの記事に名前を出して。私の義務よ。女として、キリスト教徒として」。複数人の被害者がこのように勇気ある決断をしたことによって、記事は大きなインパクトを得ることになりました。
構造を変えることは容易ではありませんが、少しずつであれば動かすことは可能です。ただし、1人の声では難しい。孤独な戦いでは、たとえ自分に正義があろうと構造につぶされてしまうからです。社会に根付いてしまっている常識を変えるという困難な課題に取り組むなら、チームの力が問われることになります。そこを起点に社会を巻き込んでいくことが重要になるのです。
その点もこの映画の見所です。ともにワーキングマザーであるミーガンとジョディは困難な取材過程を通して終始お互いを励まし合い、支え合っていました。彼女たちの上司もワインスタインと戦う姿勢を明確に示し、2人を全力でバックアップしました。チームとして目的と戦略、それぞれのプロフェッショナルとしての役割がしっかりと理解、共有されていたのです。だからこそ、ラストの告発記事をアップする瞬間の一体感は見る者の胸を熱くさせます。被害者の女性にインタビューするジョディ。「目の前に巨大なレンガの壁がある」と苦悩しながらも、記者としてのプロフェッショナリズムを貫き、「書類と検証」を集めるために粘り強く取材する。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
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野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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