人事のアカデミア

ジェンダー秩序

再生産されるメカニズムを知り、ジェンダーの呪縛を乗り越えていく

2022年04月08日

「ジェンダー」という概念は、一般にかなり浸透してきた。SDGsの目標にも「ジェンダー平等を実現しよう」が掲げられるほど社会的関心は高く、企業においてもさまざまな施策が打ち出されている。一方、「らしさ」の呪縛から自由になろうと考える人は多くいるにもかかわらず、人間の意識や行動はなかなか変わらないのも現実だ。これほどまでに根強いジェンダー意識は、どこから生まれてくるのか。ジェンダー研究・フェミニズム理論の第一人者である江原由美子氏に聞く。

ジェンダーという言葉が問題を見えにくくする

梅崎:ジェンダー平等やダイバーシティの実現は、企業にとって重要な経営課題の1つです。人事担当者は仕事として取り組んでおり、実務的な知識や情報は豊富に持っています。ただ、その背景まで深く理解しているかというと、心もとないところがあります。江原先生の『ジェンダー秩序』は、理論社会学者としてジェンダーの精緻な仕掛けを解き明かした研究書で、理解を深める参考になると思います。

江原:ジェンダーの理論モデルを構築するにあたって、いくつかのアイデアがありました。社会学では分析の単位を個人に求める「方法論的個人主義」か、社会に求める「方法論的集合主義」かの議論が長らく続いていましたが、1980年代に入って、そのどちらでもない考え方が確立されてきました。代表的な存在が、フランスの社会学者ピエール・ブルデューです。また、人間関係が現実を作るという「社会構築主義」の考え方、社会学でいうエスノメソドロジーという流れがあり、もう1つ参考にしたのが、権力が持つ生産性に着目したミシェル・フーコーの権力論です。これらを組み合わせて、ジェンダーを位置付けし直してみようとしたのが本書です。

梅崎:本のタイトルでもある「ジェンダー秩序」は、「『男らしさ』『女らしさ』という意味でのジェンダーと、男女間の権力関係である『性支配』を、同時に産出していく社会的実践のパターン」と定義されています。

江原:私はずっと「性差は存在しない」とするジェンダー論はおかしいと思っていました。少なくとも普段の生活で、多くの人が「男と女は違う」という認識を持っていて、社会構造もその行動様式に合った形になっている。「ジェンダー」という言葉によって、性差がないことを前提に行動しなければいけないような雰囲気になるのであれば、むしろ問題が見えにくくなってしまいます。

梅崎:現実の社会は、そんなに単純ではありませんね。

江原:たとえば制度を作っても女性管理職が増えないのは、女性の意識が低いからだという人がいます。でもその背景には、家庭のことは女性任せ、就職も昇進も男性が有利という社会構造がある。原因はさまざまあるのに、個人の生き方の問題にしてしまうのはあまりに乱暴です。もっと丁寧に見ていくべきでしょう。

梅崎:実務の現場でも、ジェンダーは語りにくい話題だと思います。先ほどの方法論の議論と対応するのですが、個人の意識の問題とするか、すべては社会構造のせいだとするか、どちらかの極端な言い方に偏りがちです。あるいは、何を言えばよいかわからないから口をつぐんでしまう。やはり個人でも集合でもない語り方が必要になります。

w171_acade_01.jpg出典:『ジェンダー秩序』より抜粋

構造と実践が循環してジェンダーが再生産される

梅崎:『ジェンダー秩序』には、まず「ジェンダーは『心にかかわるふるまい』として分析される」とあります。どういう意味でしょうか。

江原:エスノメソドロジーの観点から心の研究をしたジェフ・クルターの理論を援用しています。心というけれど、脳波を調べても、心のありかはわからない。本人に行為の意図を聞いても、それが本当かどうかは本人でさえわからないでしょう。
しかし私たちは、相手のふるまいを見て意味を読み取っている。クルターは、相手の心がどうかではなく、自分はその人の心をどう読み取ったのかに焦点を合わせようと考えました。深層心理のように目に見えないものは対象にせず、言葉や行為といった目に見えるものだけを分析の対象にするのです。
これはジェンダーにもあてはまると思いました。「男らしさ」「女らしさ」も、個人の心のなかではなく、人々のふるまいのなかにあるのではないかと考えたのです。

梅崎:確かに、人は常に明確な意図を持って行為しているとは限りません。一方で、ある種の規則性に従っている部分も少なからずあります。学校でも先生は同じように接しているつもりが、客観的にその様子を見てみると、男の子と女の子に対するふるまいは違っていたりします。

江原:レストランでアルバイトしている女子学生に聞いた話です。なぜか女性のアルバイトには、お客さんがよく話しかけてくるのだとか。店長からは「あまり無下にしないでほしい」と言われており、とても面倒だと嘆いていました。お客さんに何か意図があるわけではなくても、「女性は優しく受け止めてくれるもの」と無意識に期待してしまうのです。もちろんそれは思い込みにすぎませんが、女性が期待通りにふるまってくれないと、一方的に恨みを募らせることもあります。最近よくいわれる「ミソジニー(女性嫌悪)」は、女性が嫌いだという単純な話ではなく、根底にはジェンダー意識があるのです。

梅崎:このようなふるまいを方向付けるのが「ハビトゥス」というものですね。ある種の傾向のようなものでしょうか。

江原:ハビトゥスは、ブルデューの階級論のなかで提起された概念です。彼は趣味と社会階級の関係を明らかにしましたが、現代のさまざまな社会問題にもあてはまります。
たとえば外国から日本にやって来た親の下で生まれ育った子どもたちは、日本の子どもたちと同じように日本語を話し、日本の学校に通っていても、高等教育機関への進学率が低い。それも、自ら主体的に進学しないという選択をしています。というのも、彼らの周囲には、親も含めて日本の大学を出ている人が少ない。だから、日本で暮らしていくうえで大学に行く意味がわからないのです。女性管理職登用も、同じ構図ではないでしょうか。

梅崎:明確に強制されたわけではなく、本人は自由に判断したと感じても、ハビトゥスによって選択は規定される。だから「男は活動の主体、女は他者の活動を手助けする存在」のようなジェンダー・ハビトゥスを身につけると、無意識にそうふるまってしまい、男女間の権力関係である「性支配」が続いてしまう。
ブルデューは「構造と実践」について述べていますが、このように個人が行為した結果として、社会構造が産出されていくということですね。

江原:法学者に聞くと、実際に裁判などで使われたことのない条文は山ほどあるそうです。ルールを作っても、誰も従わなければ有効性はなくなります。つまり抽象的な法や規則が存在しているわけではなくて、多くの人がそれに従っていることが構造を作っている。その構造が人々の実践に影響を与えている。構造と実践は、入れ子のように相互に条件を与え合っているのです。

梅崎:ニワトリが先か卵が先かの循環論法みたいな話ですね。

江原:まさしく循環しながらジェンダーは再生産されています。だから変えていくには時間がかかる。腰を据えて取り組むべき問題なのです。

梅崎:どちらか一方ではなくて、制度とハビトゥスの両方を変えていく必要がありますね。この循環を無にはできないので、別の循環に書き換えなければなりません。

江原:これまでは構造が個人の自由な行為を抑圧していると考えられてきましたが、実は構造が行為条件にもなる。結婚制度があって初めて結婚できるわけで、「〜できる」という選択肢は構造によって作られるのです。そう考えると、制度を作ることの意味もわかりやすいですよね。

呻吟する人々のかすかな声を聞き取る

梅崎:では、私たちに何ができるでしょうか。企業もロールモデルとなる女性を増やすなど取り組みを進めていますが、“成功者” ばかりがクローズアップされると、「私とは違う」と思う人が出てきます。

江原:“成功者”になれないのは、個人の意識や努力の問題だといっているようなもの。それでは意味がありません。何よりも大切なのは、声を出せなくて苦しんでいる人のかすかな声を聞いていくことだと思います。事実、社会のなかで埋もれている声は確実にあります。以前、非正規のシングル女性の調査をしたのですが、厳しい状況に置かれているにもかかわらず、それまで注目されたことも、支援の対象になったこともまったくなかった。私自身、なぜ気づかなかったのかと心が痛みました。まずはそういう小さな声を、一生懸命探していくことです。
そのうえで、ポジティブなメッセージ発信と情報提供をしていくこと。先ほどの外国から来た子どもの例では、彼らに勉強を教えているNPOと一緒に、日本で大学に進学する意味を説明する取り組みを行いました。女性に対しても、管理職になったら何を得られるのか、どういう毎日になるのか、そのときどんな喜びや楽しさを味わえるのか、自分ごととしてイメージできるよう、丁寧に伝えていくことが必要です。本人がワクワクしなければ、その道を選ぼうとは思いませんから。

梅崎:ジェンダーにとらわれて苦しんでいるのは、女性だけとは思えません。「結婚すべきなのに、自分はできていない」と自己否定している男性がいたとして、苦しみの根っこは同じでしょう。今ある構造と実践の循環に個人として苦しんでいる人たちが理解し合い、連帯できるとよいのですが。

江原:同感です。本当にそうなってほしいと思います。

梅崎:ジェンダーが再生産されるなかで、なかなか社会は変わらない。それでも希望はあるでしょうか。

江原:強く訴えたいのは、一人ひとりの小さな声は決して小さくないということです。すぐに変わらなくても、それは誰かの胸に届き、疑問の種として残り、次の世代で花開くかもしれない。実際、同じことが繰り返されているわけではありません。私の子どものころは女性の大学進学率は1割程度でしたが、今は5割に伸びている。それは皆が作ってきたのです。一人ひとりのやっていることがよりよい未来につながる。そう信じて声を上げていきたいし、行動を起こした人をもっと讃え、結果的にうまくいかなかったとしても、もっとねぎらってあげたいですね。

w171_acade_02.jpg出典:取材をもとに編集部作成

Text=瀬戸友子 Photo=刑部友康

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江原由美子氏
Ehara Yumiko

東京都立大学名誉教授。1979年東京大学大学院社会学研究科博士課程中退、博士(社会学)。東京都立大学人文学部教授、首都大学東京都市教養学部教授、横浜国立大学大学院イノベーション研究院教授を経て現職。
◆人事にすすめたい本
『ジェンダー秩序 新装版』(江原由美子/勁草書房) ジェンダーと性支配を同時に生み出すメカニズムを解明する。

梅崎 修氏

法政大学 キャリアデザイン学部 教授

Umezaki Osamu 大阪大学大学院博士後期課程修了(経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。