未来を見通すピープル・アナリティクスで人事の意思決定は進化するか?長瀬勝彦氏(前編)

2016年10月05日

人事のデータ活用に注目が集まっています。では、人事の業務において、具体的にデータをどんなシーンで活用していくことができるのでしょうか。意思決定論の研究者である長瀬氏に認知神経科学を研究してきた鹿内氏がインタビューを行い、人事の意思決定におけるデータ活用の方法を探りました。前編では、私たちの意思決定のメカニズムから、意思決定におけるデータ活用の注意点に迫ります。

意思決定は直観と分析の折り合い

鹿内:いま私たちは人事データを活用した分析に注目しています。今日は、意思決定の研究者である長瀬先生に、様々なデータを活用することで、これからどのように人事の業務が変わっていくのか、お話を伺いたいと考えています。まず、先生はどのようなアプローチで意思決定をご研究されているのか、教えていただけますでしょうか。

長瀬:私が研究しているのは意思決定論のなかでも行動意思決定論というもので、人間の判断や意思決定がどういうプロセスで行われているのか、何にどういう影響を受けているのかということを、主に心理実験を通じて明らかにしていこうとする学問です。マネジメントにおける意思決定の重要性を反映して,世界の行動意思決定論の研究者の多くはビジネススクールに所属しています。意思決定論の授業も盛んに行われています。

鹿内:意思決定を考える上で、私たちが気をつけなければならない様々な認知のバイアス(偏り)があると思います。人事の業務における意思決定で注意すべきことを教えていただけますでしょうか。

長瀬:意思決定は直観的な意思決定と分析的な意思決定の2つに分かれます。分析に比べて直観はいいかげんで信用できないと見られがちですが、人間の思考のベースは直観であって、直観的な判断や意思決定はしばしば下手な分析よりも優れていることが明らかになっています。たとえば、人事評価において、上司が部下を「企画力」「リーダーシップ」などの項目ごとに点数をつけて評価するというやり方がありますが、このような分析的な評価が上司の直観的な評価とずれてしまうことがしばしばあります。「点数はAさんが上回ったけれども、どうしてもBさんの方が優れていると感じられてならない」という状況です。このようなときに上司の直観が間違っていると決めつけることはできません。上司は一律の評価法では測りきれない要素まで無意識のうちに考慮に入れて直観的に判断している可能性があります。また、人間は点数評価が苦手です。「この部下のコミュニケーション能力は7点満点で6点でも4点でもなく5点である」と言い切れることは少なくて、「だいたいこんなところかな」と大雑把に決めることが多いのではないでしょうか。そのように決められた点数を絶対視することは勧められません。

では、分析よりも直観を優先すべきかというと、そう単純な話でもありません。直観は動物的な脳の働きですから、しばしば短絡的な結論を導きます。たとえば直近効果があります。最近大きな業績を上げた部下を過大に評価する一方で、小さくてもコンスタントに業績を上げている部下の評価は低くなる可能性があります。ハロー効果といって、ひとつの分野に優れた部下は他の分野でも優れていると思い込むこともあります。 人間の思考において直観と分析は車の両輪です。判断や意思決定においては片方に偏るのではなく、それぞれの得意不得意を考慮しておこなうのがいいでしょう。私は、人間の意思決定は意識と無意識の折り合い、直観と分析の折り合いだと考えています。

何が重要なデータかを見極める

鹿内:分析的な意思決定が必ずしも正しい判断ではないということですが、人事部門が多くのデータを取得し、分析的に意思決定しようとする動きが活発になってきています。人事担当者がデータを分析する際の注意点は何でしょうか。

長瀬:人事データは基本的には観察データであって、実験環境でコントロールされた実験データとは異なり、どのような要因がどのように介在しているかが簡単には判別できません。仮に、「成績がトップ10%に入る営業担当は平均して1日に100本のメールを出している」というデータが得られたとして、すべての営業担当に毎日メールを100本書くことを義務づければ成績が上がるでしょうか。むしろ成績が下がるかもしれません。言葉は悪いですが、私たち実験屋から見ると観察データは「汚れた」データなので、取り扱いには注意する必要があります。ただし、観察データは実験では絶対に取れないデータが取れるのも事実であり、扱い方次第で非常に価値のある知見が得られる可能性もあります。

鹿内:取得できるデータ量が増え、データのバリエーションも急速に拡大してきました。たとえば、これまで人事が取得してきた評価履歴や発令履歴といったデータが整備されて収集できるようになり、加えて、メールデータやセンサーを活用した行動データ・コミュニケーションデータなども取得可能になってきました。大量のデータを扱うことでバイアスを回避し、人事は意思決定の精度を高めることが可能なのでしょうか

長瀬:ビッグデータには大きな可能性があることは確かだと思います。しかし、必ずしもデータが増えれば人間の意思決定の精度が上がるわけではありません。人間が情報を分析する上で重要なことは、情報量ではなく、重要な情報は何かを見極めることです。実は、人間は扱うデータが増えると間違いを犯しやすくなることもあります。人間の情報処理能力には限りがあるためです。情報量が少ない人よりも情報量が多い人の方が、余計な情報も多く入ってきてしまうため、正解率が落ちてしまうという実験結果もあります 。(※1)
もちろん、個人の経験は限られているし、印象的な出来事に引きずられて一般化しているかもしれないので、多くのデータを集めた方が有効な場合もあります。たとえば、多くのデータを集め、その結果から導き出された標準的な手続きに従う方がよい結果につながるような仕事の場合です。そういう分野にAIやビッグデータを活用していくことは大いにあり得ることだと思います。

(※1)Goldstein, D. G., & Gigerenzer, G. (2002). Models of ecological rationality: The recognition heuristic. Psychological Review, 109(1), 75-90.
https://doi.org/10.1037//0033-295X.109.1.75

プロフィール

長瀬 勝彦

首都大学東京大学院社会科学研究科経営学専攻教授

東京大学経済学部卒業、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。東京大学博士(経済学)。主な著書に『意思決定のマネジメント』(東洋経済新報社)、『意思決定のストラテジー』(中央経済社)など。

プロフィール

鹿内 学

株式会社リクルートキャリア 奈良先端科学技術大学院大学 博士(理学)。

大学・研究機関で認知神経科学の研究に10年ほど従事したのち、2015年にリクルートキャリアに入社。IoTによるピープル・アナリティクスの事業開発に奮闘中。