第6回 「開成卒リーダー」vs.「灘卒リーダー」~共通点と相違点は何か~
尊重される「生徒の自主性」
これまでのコラムでも幾度か引用してきた『「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』(柳沢幸雄+和田孫博著,中公新書ラクレ,2014年)は、最後に開成と灘の両校長による対談を載せている。その対談の冒頭、相手の原稿への感想を求められた柳沢幸雄氏(開成中学校・高等学校の現校長)は、次のように答えていた。
和田先生の回答を読んでいて、「あっこれ私が書いていることなのかな、いや、和田先生の原稿だ」とそんな錯覚が何度かしたのです。
おそらく開成と灘だけでなく、同じ中高一貫校男子の麻布や武蔵にも、やはり共通するトーンが流れているのではないかと思います。
立地条件であるとか歴史とかによって校風に違いは出てくるだろうけれど、根底に流れる共通するものがある。それをひとことで言えば「生徒の自主性」です。
『「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』204頁
生徒の自主性――この言葉は、たしかに開成や灘の教育を語るときの重要なキーワードになっているようだ。というのは、私たちが実施した開成・灘卒業生調査でも、「自主性」や「自由な校風」という言葉を使いながら、与えられた教育環境を評価する卒業生の声が数多く寄せられたからである。「後輩へのアドバイスやメッセージ」もしくは「中学校・高等学校の教育についての意見や提案」として記された意見のことだが、その一部を紹介すれば、以下のようなものがある。
勉強ばかりをやらせるイメージが入学前はあったが、あくまで生徒の自主性を重んじる校風だった。社会に出たら自分で何とかする、自分で行動をすることが大事なので、いいことだと思う。
(開成卒業生,30代,製造業・建設業勤務)
自由な校風が好きでした。先生方も一味違った素晴らしい方が多かったですし、友人も多才で尊敬できる優秀な皆さんでした。
(開成卒業生,50代,官公庁勤務)
東大合格者数などの結果を出そうと必死になっている進学校とは一線を画する灘の教育姿勢は素晴らしかったと思う。生徒の自主性を重んじた教育というものを本当に実践している数少ない学校だと思う。
(灘卒業生,40代,官公庁勤務)
自由な校風がとても気に入っていました。今も灘高の卒業生であることを誇りに思っています。
(灘卒業生,50代,サービス業勤務)
開成の特徴、灘の特徴
とはいえ、柳沢氏も「校風に違い」と表現しているように、当然ながら、開成と灘にはそれぞれの特徴というものがある。そして様々な資料を参照する限り、両校それぞれの独自性については、次のように理解することができるように思われる。
まず、開成の場合、その最大の特徴は、ボートレースや運動会といった学校行事にある。新しい制服の袖に腕を通して間もない中学1年生の教室に、突然、強面の高校3年生たちが大きな声を出しながら入ってくる。わけもわからないうちに、ボートレースの応援歌や運動会競技の厳しい指導に突入。インパクトも絶大な行事当日を経験し、「開成の一部」になった新入生たちは、行事終了後、親しくなった先輩たちに憧れながら、今度は全力で翌年の運動会を作り上げていく――実際、卒業生調査の自由記述でも、ボートレースや運動会の意義について言及する開成卒業生はかなり多い。「勉強よりも運動会やボートレースの応援で得るものがたくさんありました。このような風土を是非残して、発展させてください」(開成卒業生,50代,サービス業勤務)。「開成生活の意味は運動会等の課外活動にあると思います」(開成卒業生,40代,官公庁勤務)。開成の教育の大きな柱を学校行事が担っているという側面は、多分にあるようだ。
灘の場合は、いま少し違う様相をみせる。毎年2万人の来客がある文化祭なども盛り上がるようだが、灘関連の記述でむしろ目立つのは、その個性的な教育や生徒個人の秀でた能力に関するものである。「灘には6つの学校がある」(同じ教員メンバーが中高6年間の教育を担当するため、学年によってカラーや指導方針がまったく異なっていること)、「机椅子」(旧制中学時代から使われている机と椅子がセットになったもの)、「銀の匙」(橋本武元教諭による超スローリーディング授業)、「幾何の徹底指導」、「国際科学オリンピック各賞受賞」といったところが主要なフレーズになろうか。
また、灘に関しては、創設者である酒屋の嘉納家、つまり商人の目的合理的な考え方が根強く影響しているという声も聞く。商人は利益を得ることが本分。生徒は学業に取り組み、結果を出すことが本分。卒業生のなかには、「(生徒に与えられる自由も)勉強がある程度できることが必要条件」だと自由記述で指摘する者もいた(灘校卒業生,50代,サービス業)。
柳沢氏は、開成を「個人としてだけでなく、集団の中でたくましさを発揮できる大人に育つ学校」だという(『名門校とは何か?』おおたとしまさ著,朝日新書,2015年,70‐71頁)。それに対して和田氏は、「ひとりひとりが持つ個性を大事に」するのが灘の特徴だという(『「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』206頁)。認知能力の高い生徒たちが集まり、その自主性が尊重されるという共通点はありながらも、集団や個性に対する意識の強さ、あるいは学校行事と勉強への向き合い方に、それぞれの「独自性」がある。このように両校の距離を捉えることができるように思われる。
今回のコラムでは、こうした両校の距離を前提としたうえで、リーダーとして働く卒業生たちの比較分析を行うことにしたい。同じリーダーとしての素質を有する者であっても、開成卒リーダーと灘卒リーダーとのあいだには、育った環境が違うがゆえの相違点のようなものがあるのではないか。そして、学校の特徴と相違点との関係はどのように解釈されるのか。その答えを調査データから探っていくことにしよう。
学校の特徴は人材タイプの違いを生み出しているか
「学校行事や集団を強く意識する環境で育ったリーダー」と「個性や学業、本分に重きを置く環境で育ったリーダー」とでは何が違ってくるか。こうした問いについて考えたとき、素朴な仮説として、まず次のようなものが導かれるように思う。すなわち、人材のタイプをいわゆる「体育会系(=指示・規範を重視するタイプ、チームプレーを好むタイプ)」と「文化系(=理屈を重視するタイプ、個人プレーを好むタイプ)」の2つに大きく分けた場合、前者は体育会系人材として、後者は文化系人材として成長しているのではないか、というものだ。そして日本社会のこれまでの経験も重ね合わせれば、体育会系人材として成長した者の方が、キャリアの順調な滑り出しを果たしているのではないかという予想をたてることもできよう。「上下関係を理解し、チームで動くことに長けている」ことは、就職において、いまなお高く評価されているからだ。
ところが、データを分析すると、現実はそれほど単純ではないことがみえてくる。卒業生調査では、自らのタイプを「体育会系」だと認識しているか、「文化系」だと認識しているか、上記括弧内と同じ註を添えつつ選んでもらった。その回答分布を示したものが、図1になる。開成卒と灘卒とのあいだに認識の差がないことが一目瞭然だろう。確認される差はわずか数%。統計的有意差も認められず、開成卒リーダーであろうと、灘卒リーダーであろうと、5割弱が体育会系であり、逆に5割強が文化系だという分布になっている。
図1 人材タイプの自己評価
そして、就職活動に関する状況を示したものが、図2になる。そもそも人材タイプに差がないということが判明した時点で、就職時における評価をめぐる仮説も崩れるわけだが、そのうえで一応の確認を試みれば、実態として両校のあいだに注目されるような差をみることはできなかった。リーダー全体の分布から読み取れる5%ほどの差も有意なものではなく、しかも企業勤務者に限定すれば、その差もほとんど解消されてしまう。開成卒リーダーであろうと、灘卒リーダーであろうと、企業勤務者の7割弱が苦労せずに第一志望に就職、1割強が苦労して第一志望に就職、2割が第一志望に就職できず、別の道を選んだという分布になっている。
図2 就職活動の状況
差が出るのは「大学時代の勉強」と「キャリア中期の評価」
超進学校出身のリーダーともなると、校風からそれほど影響を受けないのか。そのように判断することもできる結果だが、「学校行事=体育会系、個性=文化系」といった発想が短絡にすぎただけなのかもしれない。そこで調査データを丁寧に読み直すと、開成卒と灘卒の相違点は、別の部分で確認されることが明らかになる。
そのひとつが、大学時代の勉強における差異だ(図3)。(1)専攻した分野の勉強に「意欲的だった」と回答した者の比率、(2)大学時代に専門書を「よく読んだ」と回答した者の比率、(3)学習の成果ともいえる大学時代の知識量に「自信があった」と回答した者の比率、という3つの観点から確認したものだが、結果からは、概して開成卒リーダーの方が真面目に専攻の学習に取り組んでいたことがわかるだろう。なお、この傾向は専攻分野別にみても変わらない。
図3 大学時代の学習状況
なぜ、開成卒リーダーの方が学習に熱心なのか。改めてこの問いを取り上げれば、なるほど、学校の特徴との関連で解釈することも決して難しくないように思われる。すなわち、行事という学校関連の取り組みが大きな位置を占める生活を送っていた開成卒リーダーは、大学で提供される学習にもそのまま素直に入り込む。他方で目的合理的な行動をとる文化に浸かっていた灘卒リーダーは、専攻を学ぶ直接的な意義がみえないうちは、勉強に打ち込まない。開成卒リーダーは自宅から大学に通った者が多く、灘卒リーダーは下宿生が多いといった違いの影響もあるかもしれないが、考えてみれば、高校を卒業し、大学という新しい環境に身を置くことで行動パターンが急激に変わるというのも想像しにくい話だ。大学では、出身校の特徴を背負った学習行動がとられる。ここに、中高時代に端を発する第一の相違点があると指摘することができるように思う。
そしてさらに、開成卒と灘卒の違いは、キャリア中期における周りからの評価にも見出せる。図4は、30~44歳のリーダーについて、(1)年収、(2)役職、(3)顧客や社会のあなたへの評価(「駆け出しの新米=1~その道の第一人者=10」とした場合の得点)、の3つの側面から、どのように評価されているのかを確認したものである。(1)と(2)は企業勤務者に限定した結果であり、(3)については、医師や研究職なども含むリーダー全体の結果も同時に示した。世代や現職を限定したこともあり、少ないサンプル数による分析ではあるものの、3つのグラフからは、開成卒リーダーの方が年収や役職が高く、より第一人者に近づきつつあると判断されていることがうかがえよう。キャリア中期という段階において、他者からより高く評価されているのは、開成卒のリーダーだということである。
図4 30~44歳(キャリア中期)の年収・役職・周りからの評価
中高時代に集団で動くことに慣れたことが高評価につながっているのか、大学時代に意欲的に学習に取り組んだことが高評価につながっているのか。あるいはその両方が功を奏しているということもあろうが、いずれにしても、開成の特徴は、周囲が信頼を寄せ、早くから活躍の場を与えたくなるような人材を育て上げることに寄与している。「いい意味での優等生」――開成卒リーダーの特性は、このように表現できるかもしれない。
灘卒リーダーの挽回力
ただ、ここで断っておくべきは、開成卒リーダーの優等生ぶりが目立つのも、キャリア中期までだということである。キャリア中期を経て、45歳以上というキャリア後期に入ると、灘卒リーダーへの評価が急速に高まることになる。
図5は、図4と同じ方法で、キャリア後期における評価の実態を確認した結果である。ここからは、キャリア中期と異なり、灘卒リーダーの方が年収や役職が高く、顧客や社会からの評価については、ほとんど差がみられなくなっている様相が読み取れよう。開成卒のリーダーが「早咲き」だとすれば、灘卒リーダーは「遅咲き」として成功している。灘卒リーダーには、著しい挽回力があるようだ。
図5 45~60歳(キャリア後期)の年収・役職・周りからの評価
では、何がこの挽回力を支えているのか。考えられる要因を2点ほど挙げておきたい。
第一に、灘卒リーダーには、キャリア後期という段階に入っても、仕事やキャリアのための自己学習に取り組んでいる者が比較的多くみられる(図6)。中高時代と引きつけて考えれば、関心を持っていることや利益を出すという本分(目的)には手を抜かない性分だからというところか。徐々に学習から遠のく開成卒リーダーとは対照的に、過半数のリーダーがキャリア後期にも学習に精を出し、人材としての価値を高めている。
図6 自己学習に取り組んでいる者の比率
第二は、転職の効果である。たとえば、企業勤務者として働くキャリア後期のリーダーについて、平均年収を転職経験別に計算すれば、開成卒「経験無1660万→経験有1680万」であるのに対し、灘卒は「経験無1830万→経験有2400万」と大幅な上昇をみることができる。しかも、開成卒リーダーに比べて、灘卒リーダーの方が転職には積極的。総じて灘卒リーダーは転職をうまく利用しながらキャリアアップしており、だからこそキャリア後期までに状況を挽回することが可能になっているといえそうだ。
ひとつ付記しておけば、灘卒リーダーがキャリア後期で高評価を得ているのは、世代効果にすぎず、挽回といった現象が起きたわけではないという可能性もある。つまり、「それほど有能ではないキャリア中期の灘卒リーダー」と「有能なキャリア後期の灘卒リーダー」という違いが図4~5の結果に結びついただけであり、現在、キャリア中期の灘卒リーダーが後期段階に入っても、開成卒リーダー優位という状況はあまり変わらないということはあり得る。加えて、開成卒リーダーに質的変化があったという可能性もあろう。奇しくも開成のキャリア中期リーダーは、東大進学者全国1位になってからの開成生にほぼ該当する。生徒の能力や教育のあり方になんらかの変化があったとも考えられる。元来、挽回が起きているかどうかといったことは、パネル(追跡)調査によって検証すべき問題であり、今回の分析の大きな限界はそこにある。
しかしながら逆に、世代による差だけで以上のような結果が出ると考えるのも不自然ではなかろうか。灘卒リーダーが遅咲きであるという可能性、そして早咲きか遅咲きかという分かれ目に学校の特徴が関係しているというストーリーには、腑に落ちるというところも多いように思われる。自由記述に寄せられた次の意見も参考になろう。卒業生自身の言葉で、学校の特徴とその意味について述べられた記述を一部取り出したものである。
社会に出ていろいろな人材をみていると、学校それぞれに「どういう人材を輩出するか」という社会的な役割があると感じられてなりません。灘校に求められている社会的な意義は、「最高の学業すらこなせる人材の輩出」と感じます。...私自身が直面したように、社会に出ると壁にぶつかることもあるでしょう。壁はいろいろなものがあるでしょうから、社会で実際に直面してみるまではどうしようもありません。しかし、頭で理解して、乗り越え方を模索する地力は、灘校時代に培われました。
(灘校卒業生,30代,製造業・建設業勤務)
最終的には周りから高く評価されるような働き方ができるという点で、開成卒リーダーと灘卒リーダーは一致している。ただ、そこに辿り着くまでのプロセスには、出身校の特徴を反映したかのような違いがあり、開成卒リーダーは比較的スムーズな、灘卒リーダーはマイペースに浮上してくるような活躍をみせる。両者の共通点と相違点は、差し詰めこのようにまとめることができるのではないだろうか。
さて、いよいよ次回が本連載の最終回になる。開成・灘卒業生調査という貴重なデータを分析したからこそ紡ぎ出せるリーダー論とはどのようなものか。学校や企業、あるいは社会全体に対して、どのような示唆を提供することができるのか。これまでの分析結果を振り返りつつ、いま少し踏み込んだ議論を展開することにしたい。