第4回 「社会リーダー」の基盤としての学問

2015年03月31日

灘卒業生調査で追加された「社会リーダー」項目

議論がやや前後するが、開成・灘卒業生調査には2つの研究プロジェクトが関わっている(図1)。ひとつは平成25年度の「才能を開花させる」プロジェクト、いまひとつは平成26年度の「『社会リーダー』の創造」プロジェクト。ともに「現在活躍している人の特質を分析する」という関心を共有するプロジェクトではあるものの、後者は対象を「社会リーダー」に焦点化するという点で、より限定されたものになっている。

図1 開成・灘卒業生調査と親プロジェクトの関係

とはいえ、具体的に動く調査それぞれの独自性も重視するのが、リクルートワークス研究所のプロジェクトである。そして開成・灘卒業生調査に関しては、その継続性を重視するといった観点から、それぞれ同じ内容で構成し、両者を合わせて分析するというかたちがとられている。ただ、より正確に説明すれば、灘卒業生調査には、1項目ではあるが、親プロジェクトの切り替えを反映した質問が追加された。「『社会リーダー』の創造」プロジェクトが定義する「社会リーダー」とは、「新たな社会価値を創造し、人びとの未来を豊かにすることを、自らの使命と自覚している人」。この定義を踏まえ、価値創造行動を問う次の質問が加えられた。

今回のコラムでは、この価値創造行動項目への回答を分析に加えることによって、「社会リーダー」として活躍する卒業生がどれぐらいいるのか。「社会リーダー」へと成長することに結びつく要件として挙げられるものは何か。こうした問いの検討を通じて、リーダーの素質について見直すことにしたい。開成卒業生のデータがとられていない、サンプル数が半分になる、質問項目のワーディングに抽象的なところがあるといった限界はあるものの、単純な分析を試みるだけでも新しい発見が得られる。そして結論を少し先取りすれば、分析によってみえてくるキーワードは「学問」である。リーダー論とは距離があるようにも思われる「学問」にどのような意味があるのか。順を追って説明していくことにしよう。

「リーダー≒社会リーダー」という関係

この連載コラムでは、これまで課題関連行動「他人には描けない、大きなビジョンを描いてみたいと思う」と人間関連行動「喜んで自分についてきてくれる人がいる」の2つに「傾向有」と回答した人を「リーダー」と呼んできた。そして超進学校卒業生に占めるリーダーの割合を改めて確認すれば、その値は4割。ここでこのリーダーのうち、さらに価値創造行動「自分(たち)の仕事は、社会に新たな価値を生み出すものである」に「あてはまる」と回答した者を「社会リーダー」だとすれば、その比率はどれほどになるだろうか。

図2は、課題関連行動と人間関連行動を掛け合わせた4つの類型ごとに、価値創造行動の回答分布をみたものである。リーダーにあたるHigh-High型に際立った傾向があることがうかがえよう。「非常にあてはまる」の比率だけで5割弱。「ややあてはまる」の比率を足し合わせれば9割強。これまで「リーダー」と呼んできた者のほとんどが、「社会リーダー」でもあった、ということになる。

図2 リーダー指標4類型別にみた価値創造行動分布

超進学校出身のリーダーは、大きなビジョンを描きたいと思っているだけでも、喜んでついてきてくれる人たちがいるだけでもない。仕事で新しい価値を生み出すという「成果」も残している。そして、「社会リーダー」に該当する人の比率を出せば、リーダー比率から若干落ちるも、「3割強」という値が算出される。「社会リーダー」として活躍しているのは、3人に1人。これが、データからうかがえる超進学校卒業生の実像である。

そして、灘卒業生の「社会リーダー」がどこに集中してみられるのかを探れば、とりわけ、そのほとんどが官僚を意味していると推測される「公務員」に多くいるということが明らかになる。公務員の社会リーダー比率は45.9%であり、全体平均より1割以上高い。考えてみれば、人びとの生活を支え、必要な政策を打ち出していく官僚の仕事は、社会リーダーの定義と重なるところが多い。したがって必然的な結果のようにもみえるが、いまの時代であっても公務員が筆頭だという事実、そして起業家の社会リーダー比率35.7%のほうが低いということに意外性を感じることもできよう。公務員になった卒業生たちは、新しい価値を生み出すことに成功できており、起業家はできていない。起業家たちを取り巻く環境には、いまだに厳しいところがあるということなのかもしれない。

なお、価値創造行動の回答分布だけをみれば、もっとも肯定的な回答を寄せたのは、研究者(文理)たちだった。「あてはまる」と答えた者の比率は94.4%。しかしながら研究者の場合、「喜んで自分についてきてくれる人がいる」で「傾向無」とする者も多く、それゆえ「社会リーダー」に相当する者の比率は3割にまで下がる。新しい知識の生産に自力で立ち向かっている研究者たちの姿が浮かび上がる分布になっている。

新しい価値の創造につながる経験は何か

では、どのような経験をすれば、社会に新たな価値を生み出すという仕事に近づくことができるのか。前回と同じく、在学時代の経験に注目しながら検討を加えることにしよう。

図3は、課題関連行動と人間関連行動の成長要因分析で投入した在学時代の経験と価値創造行動の回答(まったくあてはまらない=1...非常にあてはまる=4と得点化)とのあいだの相関係数を示したものである。アスタリスク(*)がついているものが価値創造行動と統計的に有意な関係があった経験だということであり、相関係数が大きいほど関係が強いと解釈される。一瞥して明らかなように、かなり多くの経験に有意な関係を見出すことができるが、ポイントとして次の3点を挙げておきたい。

図3 在学時代の経験と価値創造指標との相関係数

第一に、「友人との交流への意欲」の影響が目立つなか、「学校行事・課外活動積極性」にはプラスの関係が認められ、「部活動」には認められないという、前回の人間関連行動の分析と同様の結果をみることができる。中高時代、時間的制約があるなかで多様な集団を調整しながら1つのものを作り上げる活動に関わることは、社会に新しい価値を生み出す力の形成にもつながっている。ここに改めて学校行事・課外活動とリーダー素質の親和性をみることができるように思う。

第二に、リーダー論が語られるとき、しばしばその重要性が説かれる「教養」にもプラスの関係が確認される。教養獲得に意欲的だった者ほど、新しい価値を創造する仕事に携わっている。幅広い視野が発想を豊かにするという言説の妥当性が、データによって裏づけられたかたちだ。

他方で第三に、「教科」や「大学で専攻した分野」に関する経験にも有意なプラスの影響をみることができる。勉強に意欲的だった人、そしてその内容に面白味を感じた人ほど仕事で新しい価値を生み出すことができている。知識偏重という側面や現場との乖離、あるいはタコツボ化といった理由で批判されることが少なくない教科と学問だが、少なくとも超進学校という層に関していえば、その熱心な取り組みが創造性の高まりをももたらすという結果に結びついているようである。

学問効果の共通性

ただ、ここで思い出しておくべきは、価値創造に関する質問項目にもっとも肯定的な回答をしていたのが研究者(文理)たちだったという先述の事実である。学習関連項目と価値創造行動とのあいだにプラスの関係がみられるといえども、研究者になった卒業生の回答に引きずられてそのような傾向が抽出されただけなのかもしれず、さらにいえば、灘はとくに理系に強い学校として知られている。数学や物理などに熱心だった生徒が、大学で理系領域の学問に真摯に取り組み、就業後は専門を活かした様々なイノベーション事業に携わっているという、いわば「わかりやすい流れ」が結果に強くあらわれただけだという可能性もあろう。そこで、卒業生のなかでも、「企業勤務者として働いている者」のみを抽出して相関係数を計算する。また、領域に関しても、「文系領域に進学した者」と「理工農領域に進学した者」とを取り出して、それぞれの相関係数を出すという作業を試みた。その結果をまとめたものが、図4だ。プラスの相関がみられた部分に「+」、相関がみられなかった部分を空白にしただけの簡単な表ではあるが、興味深い事実もみえてくる。

図4 卒業生のタイプ別に分析した相関表
※図をクリックすると拡大します。

すなわち、教科と学問に関する経験こそ、すべてのタイプでプラスの効果がみられるものになっており、なにより内容に面白味を感じたかどうかが、価値創造の重要な鍵になっているのである。企業勤務者であろうと、あるいは文系領域進学者であろうと、理工農領域進学者であろうと、学校や大学で学んだ内容に関心を持った者ほど、社会に新しい価値を提供できている。

ただ、「"教科"に感じた面白味」の効果に関しては、解釈に留意が必要なところもある。というのは、調査では、「中高時代の成績」や「大学時代の成績」についても五択(下のほう...上のほう)で答えてもらったが、これらの回答を含めて多変量分析まで進めれば、理工農領域進学者を中心に「中高時代の勉強については、教科の内容に面白味を感じることより、成績のほうが大事」ということを示唆する結果が得られるからである。なかには、より高い認知能力が新たな価値創出の条件になっている世界があるようだ。

それに対して、「"大学で専攻した分野"に感じた面白味」のほうは、どのような分析を試みても、必ず有意な関係性が残ることになる。「大学時代の成績」に「中高時代の成績」ほどの情報がないだけなのかもしれないが、ここまでの安定性はおおいに注目されよう。面白味を感じながら学問に取り組むことは、新しい価値を生み出す仕事に近づくための大きな後押しになる。

なお、補足として「学校行事・課外活動積極性」と「教養獲得」についても指摘しておけば、前者は文系領域進学者にとって、後者は理工農領域進学者にとって有意義な経験になっている。学校行事に取り組んだ経験は事務や企画といった仕事に就いたときに、教養はむしろ専門性の強い仕事を進めるときに武器になるとみられるが、いずれにしても、これらの効果が「特定のタイプで強くあらわれるもの」だったということはもうひとつの発見だろう。また、理工農領域進学者で、友人関連や集団関連の項目にまったく影響がみられないことにも留意しておきたい。これら領域における価値創造のベースにあるのは、基本的に知識や能力といったものであるようだ。

なぜ、学問が大事なのか

それにしても、なぜ、学問なのか。考えられる理由について2点ほど挙げておこう。

ひとつは、専攻した分野を面白いと思うことが、その後の学びを誘発する。その自主的な学習の先に、価値の創造が生み出されるというものである。

超進学校への入学を遂げるほどの者であれば、中学入学以前から十分な学習習慣がついていると考えられる。学ぶことを得意とする者、効率の良い学び方を知っている者も多いはずだ。ただ、ここでみてもらいたいのが、図5である。いま現在、自分自身の仕事やキャリアのために自主的な学習に取り組んでいる者の比率を、大学時代の専攻分野に感じていた面白味の程度別に示したものだが、面白いと思っていた者ほど、自己学習に取り組んでいる様相がうかがえる。そしてその傾向は、企業で働く者などでも、より顕著なかたちで確認された。学びを強みとする者のさらなる学びを引き起こす。学問の面白さを知ることには、こうした効果があるようだ。

図5 現在、自主的な学習に取り組んでいる者の比率

いまひとつは、学問で扱っている内容が、実はそれほど現実離れしていないのではないかということに関係している。

大学に近い環境で仕事をしていると、大学教育で扱っている知と実践の場で必要とする知が異なっているという指摘をよく耳にする。職業教育に特化した内容を提供するよう、大学は変わるべきだという意見が寄せられることも多い。「学問は役に立たないもの」。多くの人がそのように捉えている。

しかし、本当にそうだろうか。そもそも学問というのは、さまざまな謎や問題を解くために人類が築き上げてきたものである。そしてその謎や問題は、この社会、この世界があるからこそ生まれたものである。言葉や数字の遊びをしているわけでない。学問のために学問があるわけでもない。効率的な配分や貧困の問題などを扱う経済学。法律や制度がどのような影響を与えるのかを考える法学。人びとの心理や文化について多くを教えてくれる文学。常識を覆すようなものの見方を提示する社会学。環境の変化を受けながら、必要な技術を生み出していく工学。自然の姿を解き明かす理学。病の治癒や軽減化を追求する薬学と医学――このような学問に関心を持つことが、社会の理解を深め、そのことが新たな価値を生み出すことにつながっていく。十分にあり得る因果ではなかろうか。

さて、第2~4回は、リーダーの比率や素質を伸ばすための経験について考えてきた。次回は話題を少し変え、リーダーとして働くことの意味について検討を加えることにしたい。ビジョンを描き、フォロワーに恵まれ、新しい価値の創造にも携わっているというリーダー。しかし、「出る杭は打たれる」ということが起きているかもしれない。リーダーとなった卒業生たちは、生き生きと働くことができているのか。詳しくみていくことにしよう。