和田孫博氏 灘中学校・灘高等学校 校長

2015年02月19日

名門進学校として名高い灘中学・高等学校は、創立以来約90年にわたり、質の高い教育を提供し続けてきた。中1から高3まで、同じ教員団が学年を持って上がる「6年間完全一貫教育」のもと、"人間形成"を第一義とし、伝統的に自主・自律を主眼に置いた教育方針を採っている。ここから多くのユニークな人材が輩出されているのは、周知のとおりだ。今の日本に求められているリーダーシップとは――。また、次世代リーダーを育むために肝要となる教育環境とは――。灘校を率いる和田孫博校長への取材を通じて考察する。

機能しなくなった旧来のリーダー育成システム

- 教育現場に立っていらっしゃる校長から見て、日本の次世代リーダーを輩出する社会システムは、今、どのように映っているのでしょう。

和田 旧来の日本社会では、あらゆる分野においてリーダーを育てていくシステムがうまく機能していました。戦前でいうなら軍隊組織。まず試験を受け、成績によって配属が決まり、各組織で勉強しながら優秀な人たちがリーダーへと育っていく。学校も同じで、平教員から始まり、様々な試験を受けながら教頭、校長となっていく各過程で、組織のリーダーはどうあるべきかを自然に身につけてきたわけです。これは、社会組織全般にあったシステムで、日本で重んじられてきましたが、どの時期からなのか、「それではダメだ」ということになり、結果、従前のリーダー養成システムが大きく崩れてしまった。官僚など最たるものでしょう。

- 確かに。日本の近代官僚制が高度に機能していたのは、70年代くらいまでかもしれません。明確な転換期はわかりませんが、社会とのボタンのかけ違いというか、「回っていたものが回らなくなった」と。

和田 何にでも功罪はありますが、今の社会に官僚システムが合っていないことは確かでしょう。こういった混沌とした時代が続くなか、どういうリーダーシップが必要なのかはっきり見えないのは、一番気がかりなところではあります。

不変の精神「精力善用・自他共栄」

- そういった社会変化を背景に、中・高生に対する教育方針や内容も変わってきているのでしょうか。

和田 カリキュラム自体は文科省の指導要領に沿って変化しますが、核に据えている教育方針は変わっていません。子どもの個性や、最も良いところを自由に伸ばす環境を提供することです。私学というのは、教育制度がいかに変わろうとも、人をどう育てるか、つまり建学の精神を貫かなければいけません。もっとも、それが時代に合わなくなれば変えていくべきですが、今はむしろ、時代が合ってきているように思っています。

- 灘校の建学精神は、「精力善用・自他共栄」ですね。この言葉を拝見した時、社会理念の一つであるノーマライゼーションに近い考え方だと感じたのですが。

和田 そうですね。教育者であり、柔道の祖としても有名な嘉納治五郎先生が定めたものですが、人それぞれが自分の持っている力を最大限に発揮し、互いの個性を認め合えば、皆が幸せになるという教えです。今考えれば、極めて進取的な提唱です。
だから私も、事あるごとにこの言葉についての話を生徒にするようにしています。例えば、国際間での問題に触れるならば、「日本は日本の得意分野で世界に貢献し、それ以外の貢献ができる国はそれをすればいい。各国が得意分野を発揮することで、世界は平和になっていくんだよ」という具合に。私自身、中学1年生を対象に、話をする場を持っていますが、こういった子どもたちが接したことのない世界の話や、あるいは、戦争や地震などの災害を乗り越えてきた当校の歴史を教材にしながら、そこに息づく「精力善用・自他共栄」の精神を伝えているのです。

- 中1の生徒たちにとっては、ほとんど未知の話だと思うのですが、何かしら影響を及ぼしていますか?

和田 すぐさま影響が出るというわけではないでしょうが、こんな例があります。つい先日、高校の生徒会が持ってきた企画があるんですよ。2015年の1月で、阪神・淡路大震災から20年が経ちますが、それを契機に、文化祭で展示室をつくろうというものです。また校内に残っている写真や資料だけでなく、自治体や20年以上勤めている先生たちにインタビューをして記録を集めて冊子を作ることも考えているようです。生徒会が設置・運営すると言っているのですが、「自分たちでできることをやろう」という思い、自主性が育まれているんだなぁと嬉しく思いますね。

(本インタビューは、2014年10月に実施されたものです)

リーダー誕生の大きな素因になるのは自主性

- その自主性はまさに、社会リーダーが生まれる一つの重要なファクターになると考えています。

和田 人はバラバラに社会生活を営むものではないので、どのような組織、集団においても、必ずリーダーというものが生まれる。例えば、災害が起きた時にボランティアが集まれば、そこに官が関わったとしても、ボランティアのなかで自然とリーダーが出てくるわけです。任用ではなく、このように必要に応じて自然発生的に生まれるかたちが本来で、その時、大きな素因になるのが自主性です。
換言すれば「自由」ということにもなるのですが、私たちが非常に重んじている環境です。こちらから何かを意図して生徒を育てるのではなく、自主性を育むための時間的余裕、社会を疑似体験できるような場を与えることが大切なのです。そういう環境下にあると、それなりの能力がある人がちゃんとリーダーに就く。だからうちでは、クラブ活動においてもキャプテンの選出は生徒たち自身が考えてやっているし、生徒会からも毎年新しい企画が持ち込まれてくるのです。

- 自由な環境が、いわば苗床になっているのですね。それぞれの状況において「これをやろうじゃないか」と手を挙げる人材、つまり自然発生的リーダーが多く生まれることが大切になってきたと。

和田 冒頭でお話ししたように、組織に任命されたリーダーが、パフォーマンスを上げていくということがもう難しい時代ですから。まぁもともと、うちのような学校の出身者には、大企業や権力の中枢でリーダーシップをとっている人が少ないんですけどね。組織に収まらないケースが多い。得意分野での力や個性を発揮すれば取り上げてくれるという、わりに緩い組織でのほうが生き生きとしているようです。

自由な発想や個性を受け入れる環境づくりを

- そういった人材に共通する資質、灘校のカラーというのは、どのようなものでしょう。

和田 自由な発想力はかなりあると思いますし、それを認める環境がある。授業で例を挙げると、数学のある問題を解く時に、先生が用意する解き方だけではつまらないと、違うやり方で解を求める生徒がいたりするんですよ。なかなか先生泣かせではあるのですが(笑)、面白いといえば面白い。本校では、そういうことが弾かれず、生徒たちは「うわー」と注目するし、先生も「ほお、なるほど」といった具合になるわけです。だから、管理教育をしていないから、そのぶん管理色が強い社会では収まりきらないのでしょう。そういう人材がリーダーになっていくのか、異端児になっていくのか、それはわかりませんが。

- でも、何か新しい力や感性が生まれてきそうです。

和田 私の同級生に中島らもさんがいたのですが、今思えば、彼の創作的才能はすごかったですよ。当時から、絶えずヘンな替え歌を作っていましたから。卒業してから多彩な才能を開花させて、小説を書き、演劇をやりと......リーダーと呼べるかどうかは別にして、自分で生きていく能力に長けていたことは確かです。当校の出身者には、こういう類の人材が少なくありません。

- あえて、そういう人材に社会リーダーになってほしいという前提に立つと、そこに必要なのは資質なのか、単にきっかけなのか、どう思われますか?

和田 やはり、早くからしたいことがある、興味を惹かれるものがあるということが一番大きいのではないでしょうか。途中挫折があっても、好きなことならば続けられるし、人に対しての説得力もある。「毎日大変やなぁ」と思うような職人仕事でも、少しでもいいものをつくろうとずっと頑張っている人は、その世界ではリーダーなんです。「あまり面白くない」と思っている間は向上心も出てこないでしょう。自分は何をしたいのか、何に向いているのかを早く見極めること。加えて、それを保護者や先生ではなく「自分で道を選んだ」と言えるようにしてあげることが、極めて重要だと思います。

生徒たちに様々な世界を見せることの大切さ

- まさにキャリア教育ですね。

和田 そうです。もう10年以上続いていますが、うちには「土曜講座」というものがあります。学校として唯一仕掛けている場で、キャリア教育につながると考えています。当校の出身者や、趣味を持つ先生たちが講師に立つ講座を用意し、生徒は好きに自分で選択して受けることができる。政治、経済、科学技術、医療などジャンルも多彩で、これは受講率がかなりよく、「今度はこういう先生を呼んでほしい」と生徒から挙がる要望も多いんですよ。
先生のほうもだんだん刺激されてきて、普段の授業を超えて、自分の持っている能力や趣味を生かしてやり始めています。英語の先生がハングル語の基礎講座をやったり、なかには「誰でも趣味で砂金が採れる」というタイトルでフィールドワークをやっている先生もいる。砂金を採るのが趣味だから(笑)。また、医者や弁護士、あるいは官僚が行う講座もあり、生徒たちにいろいろな世界に触れてもらうことが目的です。

- キャリア教育の意味において有効ですね。お話を伺っていると、灘校は、指導要領のような縛りはあるにしても、かなり自由な授業をしていらっしゃる印象です。

和田 そうですね。そもそも、うちには「こうやって教えなさい」という基準がありません。どこか一点図抜けた生徒も多いので、極端な話、生徒ごとに教える工夫が必要になってきますから、個々の教員には自由な教え方を認めています。先生たちも担当科目をいい加減にして、生徒に退屈がられたり、面白くないと思われると、しんどさが自分に返ってきますから、皆それぞれ工夫していますよ。
それと、当校では、「担任団チーム」というかたちを採って、ひとつの学年を持ち上がりで6年間続けて担任しているんです。各教科の先生たちがフラットに相談し合いながら教育にあたれる"緩い幅"があり、そこにも自主性が生まれる。よく「灘校には6つの学校がある」という言われ方をしますが、本当にそうだと思います。自由な環境のなかで、生徒と先生との間に有機反応が起こり、それぞれの特色を形成しているのでしょう。

トップダウンよりボトムアップ

- 灘校で育った芽が、社会のあちこちに存在すれば楽しそうですし、新たな価値形成に力を発揮すると思うのですが、教育機関としては、そういう"埋め込み"は考えられないものでしょうか。

和田 それは広義のトップダウンになってしまうので、いかがなものかと思います。昨今は、首長のトップダウンの重要性が声高に言われていますが、能力のない人が立った場合のトップダウンは大変な事態を招きますよね。企業でもどこでも。
振り返れば、日本は明治時代から官僚機構をうまくつくり、それで国を動かしてきたわけです。だから、大臣がコロコロ変わっても、機能してこられた。企業にしても、極端な言い方をすれば、トップが誰でもそこそこうまくいく産業界の強みのようなものがあったと。その構造が崩れ、「それではいけない」という揺れ戻しはあるにしても、行きすぎたトップダウンは、やはり危険です。教育界においても今、それに振り回されている感があります。大学入試の大幅な変更、小中一貫校の創設といった案が浮上しているのは、その典型です。現場をわからずして強く政治力が働くのは怖い話です。押し付け憲法論と同じで、六・三・三制はGHQが押し付けたもので、それを変えたいという側面が見え隠れしているように思うのです。

- 国がいろいろと言っても、個別にやれればいいんでしょうけれど......。そのためには、現場にいる人間がもっと主体的に、まさにリーダーシップをとっていくかたちを活かさないといけないですね。

和田 そのとおりです。教育界だけの話じゃなく、それぞれの世界で、現場を知っている人が問題意識や自主性を持つこと。先述したように、必要に応じて、自然発生的にリーダーが生まれるのが本来なのですから。その豊かな芽を育てることが、私たちの役割であると考えています。

TEXT=内田丘子 PHOTO=和久六蔵

プロフィール

和田孫博(わだ まごひろ)

灘中学校・灘高等学校 校長

1952年大阪府生まれ。灘中学校・高等学校出身。76年、京都大学文学部卒業後、母校に英語科教諭として就職。野球部の監督・部長を務める。2007年より現職。