北城恪太郎氏 経済同友会 終身幹事 日本アイ・ビー・エム株式会社 相談役
日本アイ・ビー・エムを率いてきた名うての実業家・北城恪太郎氏は、長年にわたり、ベンチャー企業のサポートに尽力していることでも名が高い。2012年、同社会長職を退いてからは、「日本のイノベーションの担い手を育てる」「社会の変化、仕事の面白さを子どもたちに伝える」ことに全力を傾けると決め、日々精力的に活動している。次代を拓くリーダー育成に、今、大切なことは何か。ベンチャー支援と教育の改革現場にも立つ北城氏の言葉は、具体的で示唆に富む。
現状の日本社会は起業の受け皿が弱い
- 北城さんは、様々な場面で「新たな事業を生み出す起業家やベンチャー経営者が、日本にもっと出てこなければならない」とおっしゃっています。
北城 そもそも、企業は何のために存在するか。その話からすると、社会のため、人々の生活を豊かにするためです。より便利に、安心に、そして環境に配慮した企業活動を通じて社会に貢献する。それが本来の姿です。
その企業活動によって日本は成熟した社会になり、私たちは豊かな生活を送っているわけですが、これを維持していくためには、企業は常に挑戦し、新事業をつくり出さなければなりません。その際、大きな技術革新や新たな価値創造を一気に押し進められるのが、保守的ではないベンチャー企業です。加えて、そこには"働く場所"が生まれる。私は、職場をつくることは極めて重要だと考えているので、それもあり、ずっとベンチャー企業を応援しているのです。
- 日本のビジネス環境は「ベンチャーが育ちにくい」と言われてきましたが、現況はどうでしょう。一方で、社会の課題に気づき、自ら解決しようと立ち上がる社会起業家も出てきていますが。
北城 課題先進国ですからね。企業活動だけでは行き届かない問題が山積しています。貧困連鎖や、社会的弱者への思いやりなど、本来行政が取り組むべき問題でしょうが、この厳しい財政下では、もはや行政だけに依存できない状況です。そういう問題に焦点を当て、例えばNPOのように、事業として解決に臨む動きが出てきていることも尊いことです。ベンチャーにしてもNPOにしても、挑戦するという意味においては同じで、皆素晴らしい。ただ問題は、創業やスタートアップ期のリスクが高いということ。つまり、現状の日本社会は起業を支援する仕組みが弱いのが実態です。
「エンジェル税制」のような支援策を拡充すべき
- 創業、つまり挑戦するにあたってのハードルをもっと下げるべきだと。
北城 そうです。端的にはお金の問題。志はあってもお金がなければ、創業の際に資金集めをしなければなりませんが、銀行は実績のないところには融資しないし、あるいは担保を求める。もし失敗すれば、家や土地を失うかもしれない。若い人たちは、ある程度豊かな生活をしてきたわけだから、自分や家族の暮らしを投げ打ってでも創業に挑戦するような人はなかなか出てきません。
ですから、資金調達を支援する仕組みを整える必要があると思います。その代表的なものとして、実は、創業やスタートアップ期に力になる「エンジェル税制」という制度があるのですが、残念ながらあまり知られていません。
- 経済産業省の主導で創設された制度ですよね。
北城 ええ。創業間もないベンチャー企業に対して、個人投資家(エンジェル)が資本金を拠出すると、出したお金は寄付金と同様に扱われ、課税所得から差し引けるという優遇税制です。所得税の最高税率は約40%ですから、例えば100 万円投資すると、所得の高い人なら約40万円税金が安くなる。素晴らしい税制です。2008年の大幅な制度拡充にあたっては、私も経産省を応援し、エンジェル投資が上向きにはなったものの、まだ全然認知が足りていません。実際、経営者に聞いてみても、知らない人がほとんどですから。
NPO法人でも特に公益性の高いものなら、同様にお金を出した個人に対する税額控除や所得控除があります。こういう制度が広く社会に認知され、さらに適用基準ももっと緩く拡大していけば、様々な事業活動が持続可能になるはずです。私は声を大にしながら、あちこちでPRして歩いているんですよ(笑)。
「元経営者」こそ、有益なサポートができる
- 実際にビジネスの現場でリーダー育成に携わり、NPO法人の会長職などにも就かれる北城さんですが、具体的にはどのような支援をされているのですか?
北城 元経営者って、営業や管理、人事など多岐にわたって目が利くわけだから、経営に関する指導はもちろんですが、大きいのは信用供与です。ベンチャー企業は信用がないから、活動しようと思ってもうまくいかないことが多い。いい製品、サービスをつくり出しても、大きな会社には採用してもらえないとか。大企業にしても、どんなにいいと言われても、できたばかりの会社が翌年も存続しているとは限らないから、購入する際のリスクが高いわけです。
そういう時、例えば私が社外取締役として販売先の経営陣に説明をすれば、少なくとも話は聞いてもらえる。で、よければ採用されます。信用を補完する意味で、元経営者は非常に大きな役割を果たせるのです。ベンチャー経営で成功した人が、後進を応援するケースはけっこうありますが、日本には、いわゆる大企業の経営者OBがたくさんいるのですから、もっと自分の社会的信用とノウハウを使ってベンチャー企業を支援してくれれば素晴らしいのに、と思うのです。
- なるほど。最近では、コーポレート・ガバナンスの観点から独立取締役の必要性に対する声が高まっていますが、ベンチャー企業を支援するというかたちでも有益なのですね。
北城 これまでの日本企業においては、社外取締役が重要だという意識が低かったのです。本来の取締役とは、株主の代表として、経営する人を"取り締まる役"なのに、日本の場合は、そうした役割と、実際に経営を行う経営幹部としての役割を兼ねているのがほとんどですから。アメリカの会社だと社外取締役が過半数存在するのに対し、日本はいても数人。だから、経営者OBに社外取締役として活動するという意識が薄かったんだと思いますが、最近ではよその会社の取締役に就く流れも出てきましたし、「じゃあベンチャー支援もやってみようか」という人が増えるのではないかと期待しているところです。
幅広い知識と教養を身につける教育が重要
- 起業というかたちに限らず、企業内においても、気づいた課題に対して自律的な解決行動を取る、リーダー人材の育成は重要だと考えています。
北城 リーダーになる人は、高い倫理観を備えていなければなりません。単にマーケティングや営業戦略だけを学ぶというよりは、人間は何のために存在するのか――リベラルアーツというか、まず幅広いことを学ぶべきです。健全な企業活動は、そのうえにあるのですから。本来は、学生時代にもっと幅広い視野と教養を身につけてから、社会に出てきてほしいのですが......残念ながら、日本の教育はそうなっていません。
- 昨今では、そのリベラルアーツの大切さを提唱する経済人や識者が増えていますし、実際、大学の理事長に就任されている方々もいらっしゃいます。
北城 先述した経営者OBが、ベンチャー企業を支援することは素晴らしいことですが、大学の理事長などに就いて学生教育の支援をするのもいいことだと思います。私も今、ICU(国際基督教大学)の理事長をしていますが、大切にしているのは、大学の運営はできる限り学長に権限委譲し、その活動を支援するというスタンスです。
アメリカには約3000の大学があり、そのうち600校くらいがリベラルアーツ・カレッジです。入学時点では学部を決めず、分野を超えて幅広い知識を得たあとに、自分の志望や興味に合わせて専門過程に進みます。日本の大学は先に学部を決めて、1年生、2年生で教養を学ぶ仕組みがほとんどです。もっと、リベラルアーツ教育を重んじる学校が増えるとよいと思います。その先進校であるICUには、社会に目を向け、ボランティア活動に参加したり、開発途上国の支援に出かけていく学生も少なくありません。これからの社会のリーダーに、絶対に必要なことだと思います。
急ぐべきは、受験や教育過程の改革
- さらに前段階である高校や中学校の有りようについては、どうお考えですか。
北城 教育基本法では、人格の完成が教育の目的だといっていても、保護者の目が向いているのは大学受験のことばかり。他方、高校にしても、どこの大学に何人入れたかが世間の評価基準になっている。だから、受験を変えないと中・高の教育も現状から脱却できない。社会の価値観を変えるには、東大などの有力大学が、点数だけで学生を選ぶ入学者選抜をやめればいいんです。そうすればほかの大学も倣うし、保護者の意識も変わってくると思います。
- 北城さんご自身も、経済同友会の教育の委員会を通じて、教壇に立ってこられたわけですが、現場でお感じになることは。先生方との接点もあると思うのですが。
北城 教員の育成も重要で、私は、組織運営や人材育成の能力を持つ校長先生が、責任を持って教員を育てるべきだと考えています。教育委員会は人事権を持つにしても、もっと後方支援に回って校長先生に権限委譲をしたほうがいい。さらに、40歳前後の若い校長先生を登用すべきです。20年ぐらい教員を務めていれば、ある分野を教えることに情熱を持つ人、組織運営に力を発揮する人などの適性がわかってくるので、もっと早くに適材適所の人員配置をすればいいのです。今、ほとんどが50歳を過ぎてから校長になっています。それでは遅いと思います。
教育改革、ベンチャー支援はリーダー育成の両輪
- 著書の中でも「社会のニーズを教育現場がわかっていない」と書かれていますね。
北 日本の教育は、経済活動を軽視しているように思えてなりません。先生方のほとんどは企業勤めの経験がないので、会社で働くとは具体的にどういうことなのか、社会や経済活動がどう変化しているのか、実感を持って教えるのは難しい話です。私が教壇に立つようになったのは、教育現場にも経営者が参加する必要があると思ったからです。
一方で、受験偏重の価値観のなかで、子どもたちが自信を持てないでいること、これには大きな危機感を持っています。
- 具体的にはどういうことでしょう?
北城 日本青少年研究所などがまとめたデータのなかに、高校生の自尊感情に関する日米中韓4カ国の調査がありますが、「自分は優秀だと思うか」の問いに「そう思う」はわずか4%、「まあまあそう思う」と合わせても約15%と、日本の高校生の自尊心は極端に低い。アメリカのそれは9割近いのです。何もアメリカの生徒たちが特別優秀なわけではないから、いかに日本は、教育の現場で子どもたちに自信を与えられていないか、ということです。偏差値が高いことだけをもって「優秀」とするから、自信の尺度がほかに持てないのです。自信がなければ意欲も出ない。子どもたちにもっと多様な価値観を示して、褒めて育てる土壌を形成しなければいけません。
- 確かに、教育現場においても、そういう問題意識を持つ先生がいらっしゃいます。
北城 ご承知のように、一つの取り組みとして地域住民が運営に積極的に関わるコミュニティ・スクールがあります。今、全国に2000校弱あります。保護者や地域の人、多様な大人たちが教育の場に入るいい仕組みで、推進したほうがいいと思います。
さらにもっとオープンにして、経済人や文化人、スポーツ選手なんかも巻き込んで。銀行員が金融のことを話したり、あるいは製造業で働く人が商品開発について話したり、子どもたちにすればリアルで面白いじゃないですか。キャリア教育にもつながります。
様々な大人たちの姿から社会を知り、選択肢を得て、そこから何かに挑戦しようという気概が生まれれば、社会リーダーがもっと出てくるでしょう。だから、私にとってベンチャー企業支援や教育改革は、次代を担う人材育成において比肩するものなのです。あれもこれもと忙しくて仕方ないんですけど(笑)、それが私のライフワークだと思っているので。
TEXT=内田丘子 PHOTO=刑部友康
プロフィール
北城恪太郎
日本アイ・ビー・エム株式会社 相談役
1944年生まれ。慶應義塾中学、高校卒。67年慶應義塾大学工学部卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社入社。72年カリフォルニア大学大学院(バークレー校)修士課程修了。93年代表取締役社長に就任。2012年より現職。07年より経済同友会終身幹事、10年より国際基督教大学理事長。