朝比奈一郎氏 青山社中株式会社 筆頭代表(CEO)
朝比奈一郎氏は経産官僚時代に「プロジェクトK(新しい霞ヶ関を創る若手の会)」なる組織をつくり、その代表として中央官庁の縦割り打破と官僚の政策立案能力の向上を目的とした活動を繰り広げた「改革の士」である。その朝比奈氏が官僚を辞し、2010年、志を同じくする仲間とともに立ち上げたのが世直し法人「青山社中」。今後の日本を支えるリーダー育成と新たな政策策定、そして組織づくりを事業の3本柱にすえた株式会社である。2011年5月からリーダー育成のための塾を開講、座学編1年、実践編4年というプログラムが進行中だ。自ら塾頭をつとめる朝比奈氏に、育成の要諦を聞いた。
目指すのは思考力と行動力を備えた人材
― 朝比奈さんが塾頭をつとめている青山社中リーダー塾にも、われわれのいう社会リーダーの候補者のような人材たちがたくさん在籍していると思います。どんな方が、何人くらいいらっしゃるのでしょうか。
朝比奈 今は第4期までで全体で80名ほどですね。年齢は原則35歳以下、うち10名強が官僚で、あとは、銀行員、商社、IT企業といった大企業の人、自分で事業をやっている人、教師、ジャーナリスト、大学生などです。
― 塾ではどんな人材の育成を目指しているのでしょうか。
朝比奈 一言でいえば、「国や社会のことを考え、変革に向けた行動を起こすことができる人材」です。考えることと行動を起こすこと、この両立が結構難しい。
片方ができる人はいくらでもいます。私がいた官僚の世界はもちろん、たとえばメディアの世界にも、博識で頭がよく、国や社会のことを深く考えて問題点を指摘できる人がたくさんいる。でもそれを実現するために具体的な行動を起こすかというと、NOですね。ほとんどの人は起こさないんです。
― 考えるけれども、行動はしないと。
朝比奈 はい。一方で、行動が得意な人も結構いるんです。最近、シンガポールに拠点を移したある起業家と会いました。若いのに行動力抜群です。その彼になぜ日本ではなくシンガポールなのかと聞いたところ、「日本よりも税金が安いから」とあっけらかんと答えるんです。経営上は合理的な判断であるのは間違いありませんが、一方でそれだけの理由で日本から離れるのはどうかと思うんです。そういう人は日本という国や社会のことをきちんと考えているとは思えません。
今は社会起業家という人たちも結構な数います。困っている人を助けようとNPOや会社をつくるわけですが、なかには、それこそ国や社会のことをしっかり考えず、突っ走っているだけの人もいる。たとえていうと、足元のゴミを拾うための組織を立ち上げているようなものです。
ところが、よく見ると、近くに流れている川が度々氾濫を起こしており、それが原因で川の中にあったゴミが打ち上げられ堆積している。問題の根本原因は川の上流で大量のゴミが捨てられ、しかも川が頻繁に氾濫を起こすことなのに、そこに目が向かないんですね。こういう人も国や社会のことをしっかり考えているとは言い難いでしょう。
人物教育の希薄化がリーダー枯渇の一要因
― 幅広い視野と行動力、両方を兼ね備えた社会リーダーは非常に少ないということですね。なお悪いことに、以前と比べて、そういう社会リーダーが世の中になかなか輩出されにくくなっているのではないか、というのがわれわれの問題意識です。その理由は何だと思いますか。
朝比奈 一つには人物教育が希薄になってきたからではないでしょうか。この塾をつくるにあたり、それこそ幕末の松下村塾から始まって、さまざまな塾なり教育機関なりのカリキュラムを調べてみたのですが、いずれも偉人の伝記をよく読ませていました。まさに人物教育です。そういう人の伝記を読むことで、自分もこういう人になりたいというロールモデルができるわけです。
もう一つ、時代の影響もあるでしょう。幕末維新や先の戦争直後はこのままでは国が亡びるという危機感が日本中にありましたから、それをどうにかしなければという志を持ったリーダーが数多く現れました。平時にはなかなか卓越したリーダーは現れにくいものです。
われわれの塾が立ち上がったのはちょうど東日本大震災の年、しかもその直後の4月でした。そんな非常時に人が集まるのか、不安もあったのですが、蓋をあけてみたら意外と応募が多く、しかもかなりユニークな人たちが集まりました。これも時代の影響でしょう。
― 社会や国を何とかしたいと思い、塾の門を叩く人がいる。でもそう思わない人もいる。その違いはどこから来ると思いますか。
朝比奈 志を抱いてうちに来る人間には二つのタイプがいます。一つは「こうしたほうが面白い」というワクワク感から行動する人で、天才型です。圧倒的に数が少ない。
もう一つは何らかの怒りがある人です。私憤、公憤といってもいい。それをバネにして行動する人のほうが多いと思います。怒りの中身は、貧困や家族環境といった自らの出生に対する苛立ち、もういい歳なのに、このままの人生を送っていいのかといった焦り、日本の国益が他国によって損なわれていることへの憂慮といった具合に、千差万別です。
いや、怒りというより、豊かな感情と言ったほうが正確かもしれません。それを持っている人は現状に満足せず、自分はこれを目指すべきではないか、世の中はこう変わるべきじゃないか、という問題意識を持つようになるのではないでしょうか。われわれも塾生を選抜する際、そうした感情の多寡を見ています。
感性と理性のバランスが大切
― 喜怒哀楽も含め、豊かな感情をもっている人が今の社会では減ってきているような気がします。
朝比奈 まったく同感です。物があふれ食べるのには困らない、病気になってもすぐ医者に行けば治してくれる、社会の仕組みも合理的になり、感情を爆発させるような場面がどんどん減っています。欧米も含め、近代合理主義社会の負の側面であり、ある意味、致し方ないことでしょう。行く着くところ、物事を判断する際でも、感性や直感に頼ることがどんどん少なくなっていく。恋愛や結婚も、そうなりつつありますね。
でも昔の偉人の伝記を読むと、彼らの挑戦はほとんどが感性に衝き動かされたものだといっていい。そこが弱ると、人間自体も弱体化するのでしょうね。
― 感情の量は能力というよりは資質といったほうが近いかもしれません。私も何かを成し遂げるためにはそれが非常に重要だと思います。ところが世間ではその重要性があまり認識されていない気がします。
朝比奈 どちらが大切というわけではなく、結局はバランスだと思うんです。感性とか感じる力のほうだけを伸ばそうとする塾もあるんですが、われわれの塾は違う。データとファクトで考える分析力も重視します。
私は判断と決断を分けて考えるんです。判断のプロセスでは合理的思考が重要で、そうやって判断したことを実行する決断のプロセスになると、それこそ、豊かな感情が必要になるのではないでしょうか。
― 両者のバランスというのは学歴と関係ありますか。
朝比奈 いや、受験の偏差値とはまったく関係ないでしょう。高卒でも非常にバランスに長けている人もいれば、昔の官僚仲間でも偏っている、つまり感性や感情の量が劣っている人が結構います。
伝記を通じ偉人の若い頃を追体験させる
― ある程度、年齢を重ねた後、感情量を増やすべく、教育を施すことは可能でしょうか。
朝比奈 可能だと思います。うちでもやっていますが、その方法の一つが伝記を読ませることです。
― どんな人の伝記でしょうか。
朝比奈 日本人が4名、日本人以外が3名です。日本人以外からいくと、まず西洋の代表的な政治家、ユリウス・カエサル、同じく東洋の孫文です。もう1人は同時代人であるアップルの創業者、スティーブ・ジョブズです。日本は幕末維新期の坂本龍馬と渋沢栄一、戦中戦後期の松下幸之助と盛田昭夫を選びました。
塾で講義する時には、それぞれが功成り名を遂げるまでを追うのではなく、まだ偉くない若い頃に光を当てます。たとえば渋沢栄一の場合ですと、500社以上の設立に関わった資本主義の父、という側面はあまり取り上げません。取り上げるのは革命家としての側面です。
彼は埼玉の豪農の家に生まれ、当時の世相だった尊王攘夷論に共鳴し、横浜の外国人居留地の焼き討ち計画を立て、あわや決行というところまで行くわけです。いま考えると愚かなことですが、当時の時代背景を解説しながら、彼がどんな思いでそこまで発想したかを当時の彼自身に感情移入させて追体験してもらう。私が一方的に話すのではなく、いくつかの決断の場面を取り出し、皆でそれに関する議論もしてもらいます。塾生には、この授業は予習は要らない、ここで学んだことを専ら復習してくれ、つまり今後の人生で生かしてくれ、と言っています。
― そうやって偉人の人生を疑似体験させることで、感情を育んでいるのですね。本ではなく、直接経験を積ませることも感情を豊かにさせるのに役立つのではないでしょうか。
朝比奈 もちろんです。被災地にボランティアで行ったり、貧しい国に行ったりして、今までとは違う現実を突きつけられることで、感情を刺激されることも大いにあるでしょう。われわれの講義の中で、ある事実に触れ、「そんなこと、今まで知りませんでした!」「あの仕組みはこうなっていたんだ!」という形で、突然、怒りが湧いて出る場合もあるでしょう。実際に塾生同士で決起し、NPO法人「地域から国を変える会」や一般社団法人「日本と世界をつなぐ会」などが生まれています。
大局観から、前に進むための構想が生まれる
朝比奈 もう一つ大切なのが大局観です。題材はそこかしこにあります。たとえば身近にあるお茶や砂糖、木綿がどこで生まれ、どうやって世界に広がっていったかを文明史的に考えてみる。それから、車やパソコン、あるいはiPhoneを題材に同じようなことを考えてみる。
お茶も砂糖もiPhoneも、それ単体としてはよく知っているものでも、時間軸を入れて考えると、その物に対する見方が変わってくるわけです。そうやって物事を大局的にとらえる力、つまり大局観がリーダーには重要です。
― なぜでしょうか。
朝比奈 社会リーダーにとって一番難しいのは一歩前に踏み出すことです。その踏み出す時に、何らかの構想がないと踏み出せません。その構想がどこから出て来るかというと、大局観からなんです。時間や距離を超えて、一見関係のない事象を結び付けると、こういうビジネスやサービスはあり得るんじゃないか、こういう政策が今求められているんじゃないか、ということが見えてくる。
大局観を養うには無駄も必要です。世の中に、これさえ読めばリーダーになれる、リーダーの条件50か条のような本があふれていますよね。そういう本を僕は省エネ本と呼んでいる。80の力で100の成果が得られるというわけですからね。省エネ本は読んでもあまり意味ないぞ、と塾生には言っています。
100の成果を出したいのなら、無駄もたくさん経験しながら、200も300もやらないと駄目だぞ、と。しかも、最初は無駄だと思ったことも、将来、無駄ではなくなる可能性もたくさんある。その無駄の最たるものがこの塾かもしれません(笑)。英語力が伸びるわけではないし、MBAが取れるわけでもない。正直、すごくわかりにくい塾だと思います。通って何のメリットがあるのですか、という質問に対しては、「この時代や世界を自分なりに解釈できる能力が身につく」と言います。
人物教育の基本は家庭
― 学校教育の中で、伝記を使った人物教育をもっとやるべきなのでしょうか。
朝比奈 いや、本来それは家庭教育でやるべきでしょう。学校教育は読み書きそろばんの実学に特化すべきだと思います。そもそも、人物教育は地域も含めた家庭が担い、実学は国家が学校を用意し、面倒みますという役割分担だったはずなのに、最近は何でも学校教育に押し付けようとする風潮があります。困ったことです。
それでも昔の小中学校では先生自身が優秀で感情豊かで、読み書きそろばんを教える中でも、子どもの感性を磨くような授業をしていたはずですが、昨今はサラリーマン教師が増え、しかもしっかりした家庭教育をやらないものだから、感情が貧困な子どもが増えてしまったのではないかと。
家庭教育といっても、意図的なものでなくてもいいんです。兄弟含め、感情は人間関係の中で勝手に育っていくものです。私には子どもが3人いて、お姉ちゃんはずるいとか、喧嘩ばかりしています。でもそういう喧嘩の中から自分たちで人間関係のルールを見つけ、問題を解決していく。暴力はいけませんが、些細な言い争いさえも駄目だと親が頭ごなしに叱るのもどうかと思います。
師自身が行動するリーダーたれ
― 親にせよ、教師にせよ、今の大人たちは摩擦を嫌います。子どもたちをそこから遠ざけ、無菌状態においておく傾向があります。
朝比奈 おっしゃる通りです。僕も塾生によく言います。時には土足で相手に踏み込め、と。人の魂に火をつけ、次の一歩を踏み出させるには人間同士のぶつかり合いが必要なんですよ。そのぶつかり合いは直接的なものではなくてもいいんです。
明治初期、札幌農学校で教えたウィリアム・クラークというアメリカ人はご存じですよね。彼がそこを去るにあたって残した「少年よ、大志を抱け」という言葉はあまりにも有名です。このクラーク、どのくらいの期間、農学校にいたと思いますか?
― クラークはそこで学んでいた内村鑑三や新渡戸稲造に多大な影響を及ぼしたはずですから、結構長い期間、在籍していたんでしょうね。
朝比奈 違うんです。たった8カ月しかいなかったんです。内村も新渡戸も直接教えていないですよ。それなのに、なぜ農学校生の魂に火をつけることができたか。
私はクラーク自身が単なる教育者ではなくて、アクションする人だったからではないかと思っています。現にクラークはアメリカに帰国後、事業に手を出し、失敗もしている。
「少年よ、大志を抱け」というフレーズには実は続きがあるんですよ。"Boys, be ambitious"の後に "like this old man."と続けたと言われています。this old manとは自分のこと、この老人のように若いあなた方も大志を抱け、と言ったんです。
― 頑張っている俺の後に続け、と。
朝比奈 吉田松陰もそうですね。松下村塾をつくり子弟を教えましたが、彼は教育者ではなく、革命の実践者だった。
私もこの塾を「私教える人、あなた学ぶ人」という形にしたくありませんでしたので塾長ではなく塾頭としています。塾頭たる私も、その仕事とは別に、日本を変えるための政策づくりに携わっています。
この塾を始める時、役所の先輩から「君はまだ30代だ。塾頭なんて若すぎる。多くの経験を積んで世の中の酸いも甘いも噛みしめられる70歳くらいになってからのほうがいいんじゃないか」とアドバイスされたんです。でも僕は違うと思いました。未熟な30代の自分でも「日本を変えるんだ」という志を持ち、そのための活動を行いつつ、塾頭もつとめ、講義もするからこそ、若い人の魂により大きな火がつけられると信じています。
TEXT=荻野進介 PHOTO=刑部友康
プロフィール
朝比奈一郎
中央大学(公共政策研究科)客員教授
1973年東京都生まれ。
東京大学法学部卒業。ハーバード大行政大学院修了(修士)。97年経済産業省(当時の通商産業省)入省。エネルギー政策、インフラ輸出政策などを担当。アジア等の新興国へのインフラ・システム輸出では省内で中心的役割を果たす。小泉内閣では内閣官房に出向。特殊法人・独立行政法人改革に携わる。2003年にNPO法人「新しい霞ヶ関を創る若手の会」(プロジェクトK)を立ち上げ、初代代表に就任。10年に青山社中株式会社を創立。13年より、総務省 地域力創造アドバイザーを務める。
青山社中株式会社 http://aoyamashachu.com/