「広げる」経験だけではキャリア・オーナーシップは育まれない

2023年06月22日

豊田義博
リクルートワークス研究所 特任研究員
ライフシフト・ジャパン 取締役CRO/ライフシフト研究所 所長

“日本のエンジニア”はどこへ行くのだろう。AIが世の中を変えようとし、 DXが各方面へと広がり、リスキリングが潮流となろうとする中で、我が国の「ものづくり」を支えてきた “日本のエンジニア”の未来には、どのようなCX(キャリア・トランスフォーメーション)が待ち受けているのだろう。大手メーカー4社のエンジニア40名へのインタビュー、エンジニア1000人への調査から未来の姿を探る。本稿では、 “日本のエンジニア” の豊かな「広げる」経験と、その効果についてさらに探索していきたい。キーワードは「キャリア・オーナーシップ」である。

エンジニアとしての「広げる」経験

40人のインタビュイーの多くが、「広げる」「深める」を繰り返し、マルチサイクルなキャリアを作り上げている。前回の記事「“日本のエンジニア”はすでにCXしている!? 」では、その概観をお伝えした。4名のキャリア曲線の変化の中には、担当製品のシフト、チームマネジメント、海外赴任や海外留学、事業再編、エンジニア以外の職種へのシフトなど、様々な変化が見られた。そして、そうした変化を、みなが「広げる」経験としてとらえていた。

一人ひとりのキャリアのプロセスで起きていた変化は、それぞれにユニークであり、変化のバリエーションも多岐にわたっているが、「広げる」経験に着眼すると、そこには共通するものが多いことが見えてきた。

40人の「広げる」経験には、エンジニアとしての「広げる」経験と、エンジニアというポジションを超えた越境的な「広げる」経験がある。それぞれについての「広げる」経験のパターンを見ていこう。まずはエンジニアとしての「広げる」経験だ。14のパターンが抽出された(図表1)。

図表1 エンジニアとしての「広げる」経験
図表1 エンジニアとしての「広げる」経験
「①部分から全体へ」「②製品・領域シフト」「③新製品/事業開発」「④新技術/新機能開発」「⑤新興事業」は、担当する仕事のテーマや領域に関するパターンだ。ある製品の一部のユニットの設計開発を担っていたが、その領域が広がったり、あるいはシフトしたり、という変化はインタビュイーの多くに見られた。

「⑥プロジェクトマネジメント」「⑦折衝機能」「⑧教える立場」「⑨顧客との対話」は、担当する役割に関するパターンである。エンジニアの仕事は、製品などのモノへの対峙が中核にあるが、これらの変化により、人との関わりが増えたり中核になったりすることになる。

「⑩ハード⇒ソフト」「⑪ハード×ソフト」というパターンは、エンジニア全体の仕事の重心がハードウェアからソフトウェアへと移っていることを表している。逆パターン(ソフト⇒ハード/ソフト×ハード)は見受けられなかった。インタビュイーの発言の中には、逆パターンのニーズはあるが、ソフトウェアエンジニアにそれを促してもシフトしない、シフトが難しい、という意見もあった。

「⑫メンバーマネジメント」「⑬事業・組織統括」「⑭技術専門職」は、組織内の役職や肩書に関わるものである。⑫にはプレイングマネジャーもいるが、⑬になると完全に現場≒エンジニアを離れることになる。なお、⑭は、複線型人事制度による専門職が主ではあるが、高い専門性を評価して付与している形のものもある。

データから見えてくるエンジニアの「広げる」経験実態

これらのパターンは、今回のインタビュイー以外に、どの程度当てはまっているものなのか。「“日本のエンジニア”の実態調査」 (※1)では、この14パターンの経験についての質問も実施している。これまでのキャリアにおいて、それぞれの経験をしたことがあるかどうかについてを、「とても当てはまる」「やや当てはまる」「あまり当てはまらない」「全く当てはまらない」の4段階で尋ねたものだ。回答結果は以下の通りである。

図表2 エンジニアとしての「広げる」経験率
図表2 エンジニアとしての「広げる」経験率「①部分から全体へ」「②製品・領域シフト」「③新製品/事業開発」「④新技術/新機能開発」「⑥プロジェクトマネジメント」「⑦折衝機能」「⑧教える立場」「⑫メンバーマネジメント」は、当てはまる計(「とても当てはまる」「やや当てはまる」の合計)が60%を超えている。これらの「広げる」パターンは、既存事業の維持拡大への貢献につながるものであるが、多くのエンジニアがこうした「広げる」経験をしていることが確認された。

しかし、「⑤新興事業」の「とても当てはまる」は9.1%にとどまる。当てはまる計まで見ても30%に及ばない。既存事業への対応というブレーキ要因の影響も、改めて確認された。

「⑩ハード⇒ソフト」「⑪ハード×ソフト」は、いずれも小さな数字だが、「⑪ハード×ソフト」の方がはるかに大きい数字である。ハードウェアエンジニアからソフトウェアエンジニアへの転換ではなく、ハード、ソフトともに担うことができるハイブリッドエンジニアの需要が高まっていることがこの数字からうかがえる。

越境的「広げる」経験

続いて越境的「広げる」経験を見ていこう。8つのパターンが抽出された(図表3)。

図表3 越境的「広げる」経験
図表3 越境的「広げる」経験

「①事業再編」は、エンジニアが所属していた部署全体がなくなってしまったり、切り離されたり、別会社化してしまったりといった劇的な変化である。平成に入り、日本のメーカーの業績や展望に大きく陰りが見えてきたことに端を発し、ダウンサイジング、選択と集中が叫ばれる中で増殖したパターンだ。リストラの一環として事業再編がなされ、組織文化の異なる別会社へと転じたり、組織が分解して全く異なる仕事へと転じたり、という越境経験を持つ方は40人の中にも散見された。

「②海外赴任/留学」は、インタビュイーの中には頻繁に出てくるパターンだった。日本のメーカーは、昭和後期から水平分業スタイルで現地生産を進めていたが、平成に入り、生産だけではなく設計も開発も海外で、という潮流が大手企業を中心に起きた。こうした変化に伴い、エンジニアの海外赴任機会は増えたものと思われる。また、マーケットの中心が国内ではなく海外にシフトしたこともあり、キャリア初期に海外に赴任する人も多い。海外留学は限られたケースにはなるが、いずれにしても日本という地を離れることは大きな越境となる。

「③技術部門以外の経験」は、バラエティに富んでいた。新規事業創造へのシフトはその典型例だろう。ものづくりの経験を活かしつつも、最上流の仕事へと大きくジャンプしていくのだ。スタッフ部門などの支援的なポジションへとシフトするケースもあった。前回の記事で紹介したDさんは人材育成の総括へと転身されていたが、近しいものとして組合の専従へのシフトというケースもあった。いずれも、エンジニアを支援し、エンパワーするという立場へのシフトである。

「④他部門メンバーとの深い交流」というパターンは、通常業務を離れたところで発生している。次世代リーダー候補を対象とした全社横断的な研修や、組織活性化や採用活動などの全社横断的、プロジェクト的な活動に参加することで得られている。エンジニアという仕事を離れ、会社の一員として、他事業部門や別職種の人々と数カ月から1年にわたって関与するという越境経験である。

「⑤社外メンバーとの深い交流」というパターンは、④の社外版といってもいいだろう。業界団体への出向のような異動の一環としての社外経験や、異業種交流会への参加のような社外研修的な経験がある。任命され、会社を代表する形で参加することになる。

「⑥社外での知識スキル活用活動」は、エンジニアのような専門性の高い仕事に就く人材ならではのパターンだ。自身の知識・スキルを活かしたり深めたりするために、大学院で学び、自身の研究開発プロセスを論文化したり、社外で講師をしたりするなどの例が見られた。

「⑦個人的な社外での活動」は、会社の業務に関連している上記のパターンとは異なる個人的なものである。 NPO・ボランティア、地域活動、異業種交流会などのコミュニティ活動、社会人大学(院)での学びなどに自主的に参加するような経験だ。仕事とは全く関係のないものから、自身のキャリア探索の一環としての活動まで内容は幅広い。

「⑧転職」は、文字通り会社を転じる経験だ。

「“日本のエンジニア”の実態調査」では、この8パターンの経験についての質問も実施している。結果は以下の通りである。

図表4 越境的「広げる」経験率
図表4 越境的「広げる」経験率越境的「広げる」経験の中には、選ばれた人に提供されるようなものが多いこともあり、エンジニアとしての「広げる」経験の経験率に比べると全体的に低くなっているが、「①事業再編」の当てはまる計30%超という数字は、 “日本のエンジニア” のキャリアの旅の起伏の大きさを物語っている。

「広げる」だけではキャリア・オーナーシップは形成されない!?

「40人インタビュー」を終えたときには、「広げる」経験を重ねることが、CXの鍵になるだろうと思われた。エンジニアとしての「広げる」経験、越境的「広げる」経験が、キャリア・オーナーシップ形成につながっているのではないかという仮説が浮かんできた。

マルチサイクルを前提としたときに、真っ先に問われるのが、キャリア・オーナーシップだ。自分が自らのキャリアの主人公であることを明確に自覚し、自身のコンディションを常に認識し、望ましい状況を維持するために行動することだ。
過去の経験を再編集し、自身の主観的なキャリアストーリーを創造していることがその前提となるだろう。「過去受容(これまでの自身のキャリア・経験を肯定的に受け止める)」とそれに基づく「近未来展望(向こう3年程度の先行きは良好であると認識している)」が自身の中に形成されている状態を理想的なステイタスであると置き、「近未来展望」のゆらぎ(それは、予期せぬ仕事環境、職場環境の変化かもしれないし、仕事に飽きてきた、というような変化かもしれない)が生じた際には、何らかの行動(それは、何らかの新たなインプットかもしれないし、他者との対話などを通した自身の過去経験の再編集かもしれないし、転職や異動の申告かもしれない)をとり、ゆらぎが収まる方向へと自身をリポジショニングする。

それは、自らの「やりたいこと」を決めて、その実現に向けて行動することを前提とするものではない。想定外の変化が起きるのが当たり前のものとなっている現代社会においては、計画的なキャリアデザインという考え方は前時代的であるといっていいだろう。

“日本のエンジニア”には、そのような想定外の、劇的な変化が幾度となく訪れている。そうした変化に対して主体的に向き合い、何らかの行動を起こしたり人との対話などを通じたりしながら、自身の主観的なストーリーを再創造していく。それが、キャリア・オーナーシップを高く有している人の行動であり状態である。

今回のインタビュイーの多くは、ハイパフォーマーであった。だが、ハイパフォーマーであるからといって、高いキャリア・オーナーシップを有しているとは限らない。今回のインタビュイーのキャリア・オーナーシップの保有・発揮状況も、ある程度のばらつきが認められた。
そして、そのばらつきと「広げる」経験には、明確な相関はなかった。エンジニアとしての「広げる」経験、越境的「広げる」経験を整理、抽出し、その数をインタビュイーごとに累計してみたが、その数とインタビュイーのコンディションには関係性は見られなかったのだ。

私たちは、改めてインタビューの再分析を試みた。再分析に向けてのポイントは2つあった。
1つは、エンジニアの原動力となっている能力や資質は、会社に入ってから培われているわけではないという点だ。インタビュイーの大半は、エンジニアとしての「広げる」経験、越境的「広げる」経験だけではなく、それ以前の幼少期から大学・大学院での研究や進路選択に至る時点で、そうした能力や資質を身につけていた。この観点から、実態を再度掘り下げてみようと考えた。

もう1つは、 経験の質的側面への着目である。エンジニアとしての「広げる」経験、越境的「広げる」経験レパートリーの中に、質的な差異があるのではないか。転機となりキャリア・オーナーシップ形成につながるもの、つながらないものがあるのではないか。 これは、経験ではなく、経験によって学習(何らかの気づき)が生まれているかどうかが問題なのではないか、という問いにもつながるものだ。この観点を踏まえ、経験によってインタビュイーにどのような変容が生まれたか、という掘り下げを行うこととした。

次回の記事では、前者の観点からの分析結果をお伝えしたい。キーワードは「エンジニア資産」だ。

(※1)“日本のエンジニア”の実態調査 
調査対象:《メイン対象》大学・大学院にて自然科学系(工学、理学、情報工学、農学等)学部に学び、卒業・修了後、従業員規模500名以上のメーカーへと就職し、正社員として設計、開発などの技術系職種でキャリアをスタートした就業経験5年以上の20~50代 《比較対象》大学・大学院にて社会科学系(経済学、法学、商学、経営学等)学部に学び、卒業・修了後、従業員規模500名以上の民間企業へと就職し、正社員として営業・事務・企画系職種(総合職)でキャリアをスタートした就業経験5年以上の20~50代 調査サンプル:《メイン対象》1082名 《比較対象》497名 調査時期:2023年3月

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